2016-01-01から1年間の記事一覧

『Get Back! 40’s / 1946年(s21)』

『Get Back! 40's / 1946年(s21)』 ○1.4 GHQ(連合国軍総司令部)が、軍国主義者の公職追放および超国家主義団体の解体を指令する。(公職追放) ○2.28 公職追放令が公布される。 1946年1月4日附連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去…

『Get Back! 40’s / 1945年(s20)』

『Get Back! 40's / 1945年(s20)』 【終戦まで】 ○2.4 ヤルタ会談 / Fルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ)。○2.16 [小笠原諸島] 米艦隊が硫黄島に徹底攻撃を開始。3月25日、日本軍守備隊が玉砕する。 1944年8月グアム島をほぼ制圧し、同…

『Get Back! 50’s / 1959年(s34)』

『Get Back! 50's / 1959年(s34)』 (10-11歳)小学校5年生になる。普段、個別に遊ぶ顔ぶれではないことから、学校の遠足かなにかの写真だと思われる。どこなんだろうか。この頃は、ソフトボールでの三角ベースとかに明け暮れていた記憶ぐらいしかない。6年…

『Get Back! 50’s / 1958年(s33)』

『Get Back! 50's / 1958年(s33)』 (9-10歳)小学校4年生になった。長袖を着ているから秋かも知れない。家の前で撮った写真で、戸口は狭い引き戸、開け閉めするとガタピシした。もたれ掛っているいるのは木組みの垣根、戦前には鉄の垣だったが戦時中に供出…

『Get Back! 50’s / 1957年(s32)』

『Get Back! 50's / 1957年(s32)』(8-9歳)小学校3年生になった。新学期初めの朝礼で、新任の先生方が紹介された。きりっとしたスーツに身を固めた若い女の先生が担任になるといいなと思っていたら、その通りクラス担任となった。始業式を終えてふらふら道…

『Get Back! 50’s / 1956年(s31)』

『Get Back! 50's / 1956年(s31)』 (7-8歳)小学校二年生になった。家の前で凧揚げして遊んでいる。この頃は通りすがりにスナップ写真を撮って、後日プリントしたものを売りに来る人がいた。個人宅にカメラが普及してないので、カメラ屋とかの副業だったの…

『「着物業界」が衰退したのはなぜか? 「伝統と書いてボッタクリと

『「着物業界」が衰退したのはなぜか? 「伝統と書いてボッタクリと読む」世界』http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1602/23/news055.html これは西陣周辺の織屋[オリヤ]の次男として生まれた育った自分にとっては、きわめて当たり前のことだった。…

『Get Back! 50’s / 1955年(s30)』

『Get Back! 50's / 1955年(s30)』 (6-7歳)4月小学校入学。道を挟んで50mほどの地域に、5人も同時入学する生徒がいた時代だ。写真では1名入院中で写っていない。制服とかは無かったが、男子は入学時だけ制服制帽らしきものを着せられているし、入学後一か…

『Get Back! 50’s / 1954年(s29)』

『Get Back! 50's / 1954年(s29)』(5-6歳)4月に幼稚園に入る。写真は、その秋の氏神神社の祭礼。子供神輿が出るが、小学生以上でないと担がせてもらえないので、旗持ち・槍持ちなどで神輿の後をぞろぞろついて回る。 ○3.1 [中部太平洋] 航行禁止区域外のビ…

『Get Back! 50’s / 1953年(s28)』

『Get Back! 50's / 1953年(s28)』(4-5歳)町内会のリクレーションで琵琶湖へ海水浴に行った時の写真。この時期、周辺には結婚適齢期を過ぎていると言われた女性が多かったように思う。もし仮にこの年27歳だととしたら、昭和初年の生まれとなり、終戦を20歳…

『Get Back! 50’s / 1952年(s27)』

『Get Back! 50's / 1952年(s27)』(3-4歳)この頃になると、町内会のリクレーションなどで近郊に連れて行ってもらっている写真が増えた。これは清滝川へのハイキングで、川岸の石に腰掛けて撮られたもので、急に言われたのであわててリンゴの齧っていない部…

『Get Back! 50’s / 1951年(s26)』

『Get Back! 50's / 1951年(s26)』(2-3歳)自宅前かと思われるが、竹製の子供椅子に腰掛けて撮影。s25かもしれない。ノーパンにつき下半身カット(笑) ○3.5 無着成恭編「山びこ学校」が刊行される。戦後の生活綴方の復興に影響を与える。 山形県山元村の若き…

水上勉と京都

【水上勉と京都】 作家水上勉は、直木賞受賞作『雁の寺』や、金閣寺炎上をテーマにした『五番町夕霧楼』及びノンフィクション作『金閣炎上』などで、京都を舞台とした作品を描いている。水上は福井県の寒村に生まれ、生家の貧困から9歳で京都の臨済宗寺院相…

『Get Back! 50’s / 1950年(s25)』

『Get Back! 50's / 1950年(s25)』(1-2歳)自宅の前で歩行器にのって撮影。家の前は竹垣だが、元は鉄製の垣だったのが戦時中の供出で持っていかれて竹製になったとか。 ○2.9 [アメリカ] マッカーシー米上院議員(共和党)が、国務省に57人の共産党員がいる…

『Get Back! 80’s / 1989年(s64/h1)』

『Get Back! 80’s / 1989年(s64/h1)』#そのころの自分# 近くに時間貸しの部屋を見つけて、教室形式での塾も始めた。これが、やがてバブルの崩壊もあって破綻につながるのだが、それはともかく、少しづつ塾業界の内情も知るに至った。塾や家庭教師の講師募…

『Get Back! 80’s / 1988年(s63)』

『Get Back! 80’s / 1988年(s63)』#そのころの自分# 家庭教師業も軌道に乗り、自分だけでは足りないので学生講師も募集し出した。簡単なチェックテストに、公立高校入試過去問題の英数をやらせていた。中学教科書範囲だけで、ほぼ満点が取れる問題なのだが…

『Get Back! 80’s / 1987年(s62)』

『Get Back! 80’s / 1987年(s62)』#そのころの自分# 家庭教師業も軌道に乗ってきた。関連して、中学校や高校の教科書を、あらためて読む機会ができた。このへんの基礎的な知識を身につけておくと、たいていの世の中の出来事は理解できる。基礎さえあれば、…

『Get Back! 80’s / 1986年(s61)』

『Get Back! 80’s / 1986年(s61)』#そのころの自分# 手探りで始めた家庭教師、経費を掛けられないので、募集チラシは、はがきサイズにカットした厚紙に、プリントゴッコで一枚一枚印刷したものを自分の足で手配りする。経費が掛からない上に健康にも良い、…

『ダッチロールほか』

『ダッチロールほか』 日航ジャンボ機墜落事故の記事を書いていたら「ダッチロール」"Dutch roll"という言葉が出てきた。アヒルがお尻をふりふり歩く姿に似てるからという話しを聞いた気がしていたが、アヒルは"duck"でまったく違う。"Dutch"はオランダのこ…

『Get Back! 80’s / 1985年(s60)』

『Get Back! 80’s / 1985年(s60)』#そのころの自分# 会社を辞めて京都に帰ることになったが、さすがに京都市内に手ごろな場所がなく、宇治市内に住いをかまえた。転社したコンサルタント会社は、思っていた仕事と違ってなじめなかった。なれない数ヶ月を過…

『Get Back! 80’s / 1984年(s59)』

『Get Back! 80’s / 1984年(s59)』#そのころの自分# 三度目の転勤地となった姫路には、なかなかなじめなかった。仕事にも意慾が起きず、転職することも考え出した。転職に向けて資格でも取ろうと、中小企業診断士の勉強をし出した。所沢でパソコンをマスタ…

『Get Back! 80’s / 1983年(s58)』

『Get Back! 80's / 1983年(s58)』#そのころの自分# 所沢に来て3年目になっていた。特別な事情がないかぎり3年以内の転勤はないと聞いていた。その3年が過ぎた直後の8月に姫路への転勤を言い渡された。支社のトップからこころよく思われてないのは感じ…

『Get Back! 80’s / 1982年(s57)』

『Get Back! 80's / 1982年(s57)』#そのころの自分# 相変わらず仕事さぼってパソコン三昧、東芝PASOPIAユニットに、FDD-2driveにドットプリンターまで買い揃えて、それぞれ純正しか使えず高くつく。フロッピードライブだけで20万ぐらいしたし、なにやかや…

『Get Back! 80’s / 1981年(s56)』

『Get Back! 80's / 1981年(s56)』#そのころの自分# 所沢も二年目をむかえ、仕事も生活も慣れてきた。この年初めて、新聞広告で「パソコン」なるものがあると知り、即刻駅前の丸井へ駆けつけて月賦で購入。最初はシャープのポケコン、やがて本格的な東芝パ…

『Get Back! 80’s / 1980年(s55)』

『Get Back! 80's / 1980年(s55)』#そのころの自分# 6月、埼玉県所沢市に転勤する。初めての関東住まいとなった。入間市、東村山市、東久留米市などが担当地域だった。 赴任当初、土地柄や社内の雰囲気になじむのに時間がかかった。慣れてしまうと、簡単に…

『Get Back! 70’s / 1979年(s54)』

『Get Back! 70's / 1979年(s54)』#そのころの自分# 3月に長男が生れる。小売り専門店の担当にもなれて、仕事は好き放題にできるようになった。担当地域が牧歌的な丹波路ということで、峠を越えれば社員は自分一人という気楽さもあった。仕事帰りの一杯は…

『Get Back! 70’s / 1978年(s53)』

『Get Back! 70's / 1978年(s53)』#そのころの自分# この時期、デパート量販店担当から一般小売店へと担当が替わった。しかも毎日営業車で、あの明智光秀が「敵は本能寺にあり」といって折り返したという峠を越えて、はるか丹波地方へ行くというローカル地…

『縁切り伝説』

『縁切り伝説』 この節で最後に取りあげるのが「縁切り伝説」のある特異空間である。その場所で男女カップルがデートをすると縁が切れるという噂であって、特にストーリーのある伝説というよりはほとんどジンクスに近いものである。まずは有名な井の頭公園の…

「桜の樹の下には屍体がある」

「桜の樹の下には屍体がある」と言ったのは梶井基次郎。たしかに、半透明な薄いピンクの花びらが頭の上を覆っている様子は、なにかしら不吉な予感さえもよおすところがある。 今年も出先でちょい見して終わりだ。毎年、かすかに素通りしてゆく、そういう付き…

『Get Back! 70’s / 1977年(s52)』

『Get Back! 70's / 1977年(s52)』#そのころの自分# 四月に入籍、旅行は海外と主張されて、しぶしぶシンガポール・バンコック3泊4日という最安パックにした。飛行機に乗ったのも海外に出たのも、後にも先にもこの時だけ。タイの水上マーケットツアーでトイ…