『Get Back! 70’s / 1979年(s54)』

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『Get Back! 70's / 1979年(s54)』

#そのころの自分#
 3月に長男が生れる。小売り専門店の担当にもなれて、仕事は好き放題にできるようになった。担当地域が牧歌的な丹波路ということで、峠を越えれば社員は自分一人という気楽さもあった。仕事帰りの一杯は相変らずだが、さすがにシングル時代のように祇園筋に通うには金銭的に無理、公団住宅2DKの住まいに帰って寝る毎日であった。この時期、実家の町屋造りの古い家は、兄が引き継いで建て直すことになった。
 
○1月 [大阪] 三菱銀行北畠支店に猟銃強盗が押し入り5000万円を要求。行員・警察官各2名を射殺し、40名を人質に籠城するが、28日、狙撃され死亡する。

 あの映画の一シーンのように恰好をつけた犯人の写真は、ほとんどの人が記憶しているであろう。銀行の閉店時を狙って進入した犯人梅川昭美は、いきなり猟銃をかまえて金を要求した。非常ボタンを押そうとした行員を射殺、逃げた客の通報で駆けつけた警察官二人も射殺、立てこもった後、金を用意しなかったと支店長も射殺、計4人の犠牲者をだした大事件となった。

 客や行員を人質にとって篭った行内で、どのような事があったかはあまり報道されない。詳細は省くが、梅川のコンプレックスからくる嗜虐的な性向と舜発的な暴虐性は、40数時間に及ぶ籠城中にいかんなく発揮されたという。行内の什器でバリケードを築かせ、人質の行員たちを盾にして、猟銃を手ばなさず構えていた梅川も、長時間の疲労と気の緩みから、一瞬の油断をつかれて射殺された。

 梅川は高校を一学期で中退するまで、これという特徴もない存在感の薄い少年だったという。しかし裏では非行化が進み、家庭では二人住まいの母親に暴行を繰り返した。やがて、少し勤めたことのある会社の社長宅に目をつけ、強盗に押し入り留守番の社長の身内女性を刺殺する。このとき梅川15歳、16歳以下は刑事事件に問わないという少年法のもと、中等少年院送りとなるが、一年余りで仮退院する。

 その後、この事件をひき起こすまでの15年間、大阪ミナミの水商売界で働き、警察沙汰になる事件はひき起こしていない。学歴コンプレックスからか、あらゆる本を読みふける読書家でもあったという。しかし同居女性と別れたあと。ハードボイルド小説の暴力シーンや残虐描写を好んで読んでいたらしい。その間、借金もかさみ、一発逆転を狙って銀行強盗を計画することになった。

 
○6月 [東京] 第5回主要先進国首脳会議が開催される。

 東京でのサミット開催は、このあと第12回(1986)、19回(1993)と三度あり、それ以降は地方で開催されることが多くなった。この第5回目の主要先進国首脳会議(サミット)は、日本で初めてのサミットで東京赤坂迎賓館で開催された。この年の初めに勃発したイラン革命の影響で、第2次石油危機がひき起こされたため、サミットの議題は、石油・エネルギー問題が中心となった。

 会場となった赤坂迎賓館は、明治末に東宮御所(皇太子の住居)としてネオ・バロック様式の華麗な西洋式宮殿として建設された。しかし住居としての使い勝手が必ずしも良くなく、あまり皇太子に使われなかったので、やがて「赤坂離宮」とされて戦後に至る。戦後の混乱期には、国会図書館などさまざまな用途に転用されたりしていた。

 この時期、自由主義諸国で第2の経済規模となった日本にも、多数の外国賓客を遇するまともな迎賓館がなく、旧赤坂離宮を改修してこれを迎賓施設とすることが決まった。赤坂迎賓館は洋風本館と和風別館もつ施設として 1974年(昭和49年)3月に完成、アメリカ現職大統領として初の訪日となったジェラルド・フォード大統領が、その最初のゲストとなった。

 なお2005年(平成17年)には、京都御苑内に純和風の京都迎賓館が完成し、賓客に応じて赤坂迎賓館と使い分けられている。

*参加各国首脳(順不同)
大平正芳(議長・日本国内閣総理大臣
ヴァレリー・ジスカール・デスタンフランス共和国大統領
ジミー・カーターアメリカ合衆国大統領
マーガレット・サッチャー(イギリス首相)
ヘルムート・シュミット(西ドイツ首相)
ジュリオ・アンドレオッチ(イタリア首相)
ジョー・クラーク(カナダ首相)
ロイ・ジェンキンス欧州委員会委員長)

 
○9月 日本電気がパーソナルコンピュータ PC-8001 を発売、パソコンブームの口火を切る。


 PCとはパーソナルコンピュータの略、それまでは写真3のような基盤キットとして販売されており、マイコンと呼ばれていた。マイクロプロセッサ、すなわち数平方センチメートルのチップにコンピューター演算の基本機能が組み込まれたものが発売された。それに入力(電卓キー)、出力(電光表示)、補助記憶(RAM)などを基盤に取り付けて一体化すれば、それが基本機能を備えたコンピュータであり、マイクロコンピュータマイコン)と呼ばれた。

 当時学生だったビル・ゲイツスティーブ・ジョブズらは、このチップを見て壮大な可能性を思い描いて感動したそうだが、我々にはゲジゲジのような部品の一つとしか見えない。そのようないわばマニアの世界に、キーボードを備えた筐体(箱)に必要なパーツを内蔵させ、「BASIC」("Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code" 初心者向け汎用記号命令コード)という初心者用プログラム言語を搭載して発売された。

 表示装置は別売、グリーンディスプレイが基本だった。写真2には超簡単なBASICのプログラムが入力されている。これが読めれば、立派なパソコン使いとなれる(笑) ディスプレーをそろえて、当時の価格で約30万円ほど、極めて高い大人のオモチャであった。

 やがて富士通、日立、シャープ、東芝なども同じようなPCを発売した。市販のソフトなどほとんどなく、マイコン雑誌などに掲載されるプログラムをひたすらその通りに入力する。徹夜して入力しても、なんどやってもまともにプログラム通りに動かない。明け方にあきらめて眠ろうとしたときに、やっと「I」と「1」を入力ミスしてたことに気づくなどもザラだった。


(追補)

 私自身はこの翌年ぐらいに、新聞でシャープ・ポケコンの広告を見て、個人でコンピュータを扱える時代が来たのだと感動して、月賦のマルイへ走った。ほとんど見た目は電卓だが、一応、Basicのプログラムが使えるのでコンピュータとしての仕組みは備えていた。オプションでミニチュアのドットプリンターや、ボールペンの芯で描く3色プロッターなどもあり、この頃のシャープはユニークだった。

 表示は一行だけのモノクロ液晶で、扱える文字は半角英数のみ。二次方程式の解の公式など入力してみたが、それなら数式が扱えるプログラム電卓などが既にあった。ということで、翌年には道楽が高じて、NEC-PC80系の東芝PASOPIAというマシンを購入、グリーンディスプレイとセットで30万ぐらいした。

 外部記憶装置は、ハードディスクはもとよりフロッピーディスクもない時代で、ラジカセテープでセーブロードしていた。やがて専用のフロッピードライブ2基付が発売されたので、ボーナスをもらうと早速、秋葉原に買いに出かけ、電車で所沢まで下げて帰ったが、PCのディスクトップ本体ほどもあり、超重たかった。20万前後したから、かれこれパソコンには100万近くつぎ込んだことになるが、何ら実用の役にはたたず、贅沢なおもちゃだった(笑)


○10月 [韓国] パク・チョンヒ(朴正煕)大統領が KCIA部長キム・ジェキュ(金載圭)に射殺される。

 ソウル市内にある中央情報部(KCIA)の施設内で、朴正煕大統領を接待する晩餐会中、金載圭(キム・ジェギュ)KCIA部長によって、朴大統領及び車智茢(チャ・ジチョル)警護室長らが射殺さる事件が起きた。この事件は、韓国では「10・26事件」と呼ばれる。

 この事件は大統領の最側近であったKCIA部長による犯行で、何人もの同席者の面前で実行され、金載圭自身逮捕され尋問を受けたにも関わらず、その動機が明瞭でないことなど謎が残る。大統領による処遇に不満を持ったからという説が有力だが、自らの地位が失われるほどの窮地にあったわけではない。

 朴独裁体制を倒して民主化するためのクーデターという本人の主張も、その行きあたりばったりの犯行では説得力に欠ける。米のCIAによるお膳立て説も、その後継の準備もなく、強力な反共親米政策を進めてきた朴政権を倒す根拠には乏しい。そして、金載圭の精神的情緒不安定による偶発的な凶行説まである。

 さらに分りにくいのは、韓国での朴正煕大統領および朴政権への評価が両極端に大きくぶれることである。戦後の大韓民国を、米軍の背景のもと独裁的に支配してきた李承晩(イ・スンマン)大統領が「四月革命」によって追放されたあと、混乱した政情下で軍事クーデターを起した「朴正煕少将」が実権を握った。

 朴正煕は「国家再建最高会議」という一元化された独裁機関を通じ、治安維持と経済改革を徹底して追及した。軍事政権としての力を背景に、李承晩長期政権下で腐敗しきった政治・経済界の浄化を押しすすめる。一方でKCIAを創設し、野党勢力・政敵・報道陣・抗議デモなどを徹底的に弾圧した。この独裁政治は、朴政権の負の側面を形成し、当時弾圧を受けた報道関係者が韓国マスコミの中枢をしめる現在では、根強い朴正煕批判勢力を維持している。

 一方で朴正煕は、「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済発展を為し遂げた立役者とも評価される。政権奪取時、北朝鮮より低い最貧国とされた韓国経済を、一躍先進国の一員にまで押し上げたヒーローである。朴大統領の政治・経済政策は「開発独裁」とも呼ばれる。強力な一元的権力の下、経済資源を集中的に投下して産業立国を進める。そしてその経済的利益を民間に分配還元する事によって支持を集め、さらに権力集中を進めるという手法である。

 多くの新興国では、開発独裁を進める権力者が登場する。しかしその多くが、政権者自身や取巻き・近親者などが、蜜に群がる虫のごとく国の資源を食いつぶすことで、ことごとく失敗に終る。朴正煕個人としては比較的清廉であったとされ、政権関係者にも綱紀引締めを徹底したとされる。これが周辺事情の幸運とともに、漢江の奇跡の一因となったとも考えられる。


(追補)
 朴正煕という人物は、明治維新の元勲 大久保利通と重なるところがある。朴は「漢江の奇跡」を為し遂げ、大久保は明治維新の大改革を中心となって仕切った。にもかかわらず両者共に、国民的な人気がない。
 目的達成のためには、冷酷に政敵や反対者を消してゆく、一種のテクノクラート的冷徹さが不人気の理由だろう。そして二人とも、私腹を肥さない清廉さが仇となり、世の中が見えない暗愚な小物に暗殺される原因になった。
 あの司馬遼でさえ、大久保を龍馬みたいに持ち上げないのは、庶民の不人気に忖度したのだろう(笑)
 
*この年
インベーダーゲーム流行/外食産業が急成長/「口裂け女」の流言がピークに/「ドラえもん」人気
【事物】ウォークマン/ターボ仕様の乗用車/自動車電話/ホカロン
【流行語】ウサギ小屋/夕暮れ族/省エネ/激…/エガワる
【歌】YUNG MAN(西城秀樹)/魅せられて(ジュディ・オング)/舟唄(八代亜紀)/関白宣言(さだまさし
【映画】復讐するは我にあり今村昌平)/旅芸人の記録ギリシア
【本】和泉宗章「天中殺入門」/山口瞳「血族」/ボーゲル「ジャパン・アズ・ナンバーワン