『Get Back! 50’s / 1954年(s29)』

matsuri

『Get Back! 50's / 1954年(s29)』

(5-6歳)4月に幼稚園に入る。写真は、その秋の氏神神社の祭礼。子供神輿が出るが、小学生以上でないと担がせてもらえないので、旗持ち・槍持ちなどで神輿の後をぞろぞろついて回る。
 

○3.1 [中部太平洋] 航行禁止区域外のビキニ環礁で操業中の第五福竜丸が、米の水爆実験により「死の灰」をあびる

 静岡焼津港に所属する遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」は、太平洋中部マーシャル諸島近海で操業中の1954年3月1日、米国信託統治領であったビキニ環礁で行われた米国による水爆実験に巻き込まれて被爆した。実験当時、第五福竜丸アメリカ合衆国が設定した危険水域の外で操業していたが、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初アメリカ軍がこの爆弾の威力を過少に見積っていたことによるとされる。

 被爆した23人の乗組員からは、白血球数の減少、脱毛等の放射線障害の症状がみられたが、中でも無線長久保山愛吉はこの半年後にC型肝炎で死亡した。日本医師団は死因を「放射能症」と発表したが、アメリカ政府は放射線が直接の原因とは認めていない。

 久保山無線長の直接の死因は重度の急性肝機能障害だが、肝炎、肝癌、肝硬変などの原因因子はほとんどが肝炎ウイルスの感染とされ、放射線被曝が原因の肝炎肝癌発症例はほとんど無い。当時の輸血は売血によるものが主であり、ウィルス感染した輸血用血液によって肝炎に感染した可能性も多いとされる。実際、同じく緊急輸血された第五福竜丸乗組員の17名が重度の肝機能障害を引き起こしているが、同様の被爆を受けた周辺マーシャル諸島の住民には重度の肝機能障害の患者は全く発生してないという。

 とはいえ、乗員の被爆者は深刻な放射能障害に悩み、「原爆マグロ」などという風評被害も発生した。それ以上に、ビキニ環礁の数百人に及ぶ住民は、強制的に移住させられ、飢餓に苦しみ、放射線障害に悩み、いまだ元々住んでいた島に戻れていない。このような被害をもたらした無謀な水爆実験を遂行したアメリカの責任は、免れるものではない。

 広島・長崎の原爆投下からまだ十数年、その記憶も生々しい時期の水爆実験による被爆は、日本に衝撃をもたらした。3.1はビキニ・デーと定められ、本格的な原水爆禁止運動の出発点ともなった。一方で、「死の灰の恐怖」は現実以上の噂として言い広められたのも事実である。雨に濡れると頭が禿げるなどと、親たちだけでなく学校教師さえ注意を促したものである。
 
○6.9 防衛庁設置法と自衛隊法(防衛2法)が公布され、7月1日、陸海空の自衛隊が発足する。

 日本を占領した連合国軍は、当初日本の軍事力を完全に無力化する予定であった。しかしソ連が核保有国となり冷戦構造が顕著になるとともに、大陸では中国人民共和国が成立し、さらに1950年に朝鮮半島で戦争が勃発すると、全く状況が変わってきた。日本に駐留の米軍は、その主力を朝鮮半島に向けざるを得ず、空白となる日本の治安維持は、日本自体が担う必要に迫られ「警察予備隊」を組織させた。

 1951年、サンフランシスコ講和条約が成立すると、同時に(旧)日米安全保障条約も締結される。これは、占領軍が撤退すると同時に、米軍の継続駐留や基地の存続を認め、日本の防衛は日本自身が主体となり、米軍はこれを援助するというものであった。その趣旨を明確にするために翌1952年、警察予備隊は「保安隊」と改組された。

 1954年、安保条約を具体的に補完するため「日米相互防衛援助協定」が結ばれ、米国は日本に駐留するとともに日本に軍事支援を与え、その支援を受けて、日本は自国の防衛のために軍備を整えることが義務付けられた。これにより日本は、防衛の目的に限り再軍備する事を認められ、それに対応して保安隊は「自衛隊」と改組され、事実上の自国防衛軍となった。

 とはいえ自衛隊は、設立当初から現在に至るまで、論議の的になり続けてきた。詳細には立ち入らないが、憲法九条との関係で、自衛隊は軍隊であるとかないとか、無意味な空論が続けられてきた。自衛隊は名実ともに自衛軍であり軍隊である。問題は、それが憲法で認められ得る軍隊なのかどうか。もし認められないなら、憲法を変更するかどうか、それだけの問題だろう。

 とここまで書いて、50年前の高校生の時に、こっそりローカル新聞に投稿した内容と全く同じなのに気付いた。クラスの女子に気付かれて恥ずかしい思いをしたが、とにかく50年間自分の見解が変わっていないことよりも、50年間政治状況が全く変わっていないことの方に驚かされた(笑)
 

○9.26 [津軽海峡] 青函連絡船「洞爺丸」が、台風15号下の函館港外七重浜沖で座礁、転覆。日本最大の海難事故となる。(洞爺丸事故)

 1954年9月26日、函館港に待機していた青函連絡船「洞爺丸」は、近辺を通過する台風第15号(のち「洞爺丸台風」と命名)の様子を窺いながら、予定より4時間遅れで18:30の出港を決めた。台風は17時ころ津軽海峡に最近接すると予報され、その頃一部晴れ間が見えたのを台風の目の通過とみなして出港を決定したが、実際には急速に速度を緩めており未だ北海道付近には未達、そして洞爺丸は、函館港を出た後に強い風雨に見舞われることになった。

 当時の気象観測体制はきわめて遅れており、当然気象衛星などなく、レーダーは米軍頼り、数カ所の定点観測の数値から、予報官の職人技で天気図を作成するありさまで、天気予報など当たる方がめずらしいと言われる状態だった。通り過ぎてあとは弱まるのを待つだけと思われた台風は、洞爺丸が出港して函館沖合に出た時に、最も強力に吹き荒れることになった。

 洞爺丸は航行不能となり、台風通過を錨泊待機するも耐え切れず、午後11前に座礁・転覆した。暗黒の海に暴風雨のもとでの救助は難航をきわめ、結果、死者1155名、生存者159名という、世界でもタイタニック号事故に次ぐ海難事故となった。なおこの台風では、洞爺丸だけではなく、ほかに4隻の貨物連絡船が沈没している。貨物船ゆえに乗船員ばかりだが、数百人の殉職者を出した。

 洞爺丸事故の反省から、連絡船の船体構造の改良、気象予報体制の見直しなど改善が加えられたが、なかでも青函トンネルの建造が本格的に検討されるようになった。1988年には、世界最長の海底鉄道用トンネルとして青函トンネルが開通、今年2016年には北海道新幹線が開通し、東京から函館までが4時間わずかで結ばれるようになった。ちなみに、洞爺丸の当時、青森-函館間だけを連絡船で4時間半以上かかったのであった。
 

○11.3 東宝映画「ゴジラ」が封切られる。以後、怪獣モスララドンなど怪獣映画が一世を風靡する。

 この年、米国によるビキニ環礁の核実験と第五福竜丸被爆という事件があり、そこから着想を得て製作された第1作『ゴジラ』は、“水爆大怪獣映画”というサブタイトルが付けられている(ポスター写真参照)。実際、海底深く住んでいた太古の怪獣が、水爆実験で安住の地から追い出され現れたという設定とされた。

 体長50メートルと設定されたゴジラは、東京湾から品川方面に上陸し、新橋から銀座に向かい、銀座和光ビルの時計台や国会議事堂を破壊し、上野、浅草から隅田川に至り、勝鬨橋から東京湾に消えてゆく。精密に作られたミニチュアセットを踏みにじりながら、ゴジラは東京名所めぐりのようなコースをたどる。いまだ東京タワーも新幹線もなく、ゴジラは特徴ある和光ビルや議事堂の建物を毀し、東海道線の電車を食いちぎって暴れた。

 数々の東宝特撮映画を撮った本多猪四郎本編監督と、特撮の神様と呼ばれた円谷英二特撮監督のコンビで始められた「ゴジラ」の制作は、戦後初の特撮怪獣映画で、様々な未経験の困難に遭遇する。欧米では「キングコング」など人形アニメによる特撮が主流だったが、スケジュールの都合で着ぐるみ方式を採るしかなかった。最初のゴジラの着ぐるみは100キロ近い重さで、大部屋役者でスタントも手掛けていた中島春雄が最初のゴジラ俳優に選ばれた。中島は動物園などでゴジラの歩き方を工夫し、のちのテレビ特撮映画「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などでも怪獣を演じている。

 初代『ゴジラ』は、観客動員数961万人を記録する空前の大ヒットとなった。この成功を受けすぐに続編が準備され、翌1955年第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。前回東京で暴れたゴジラは、今回は紀伊水道を遡り大阪に上陸する。そしてゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜「アンギラス」もゴジラを追い、大阪の街を破壊し尽くし大阪城を舞台に世紀の対決を行う。この「怪獣同士の対決」は、以後のゴジラ映画の基本フォーマットとなり、次作ではアメリカからキングコングを迎え『キングコング対ゴジラ』という夢の対決が演じられる。

 この『ゴジラの逆襲』は、小学校に入学したばかりの私も観ている。父の友人グループの家族同伴リクレーションの帰り、映画館に直行して観ることになる。真っ暗な館内でのゴジラの迫力で、危うく失禁しそうになった記憶がある。北極海ゴジラを追い込む場面だったと思うが、放射能の火を吐いて暴れくるうゴジラを指さして、防衛隊の誰かが「北極海の氷が融けて海水面が上がり、日本が海中に沈む!」というシーンがあった。数年後、中学校の理科実験で、「コップに浮かべた氷が融けても水面は上がらない」ということを知った。あれは映画用のウソだったのか(笑)
 

*この年
朝鮮特需による好景気が終わる/電気洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ(or掃除機)が「三種の神器」となる/ヘップバーン・カット大流行/東映娯楽映画シリーズで中村(萬家)錦之助東千代之介などのアイドル誕生
【事物】短波放送/パートタイマー/ラジオの深夜放送
【流行語】死の灰/スポンサー/水爆マグロ/ロマンスグレー
【歌】お富さん(春日八郎)/岸壁の母菊池章子)/原爆許すまじ
【映画】七人の侍黒沢明)/二十四の瞳木下恵介)/ローマの休日(米)
【本】伊藤整「女性に関する12章」/三島由紀夫潮騒」/ローゼンバーグ夫妻「愛は死を越えて」