『Get Back! 80’s / 1980年(s55)』

tokorozawa

『Get Back! 80's / 1980年(s55)』

#そのころの自分#
 6月、埼玉県所沢市に転勤する。初めての関東住まいとなった。入間市東村山市東久留米市などが担当地域だった。
赴任当初、土地柄や社内の雰囲気になじむのに時間がかかった。慣れてしまうと、簡単にその日の業務が終ってしまい、日が暮れだしたら、さっさと6時の終業時間に合わせて会社に車を向ける。
 京都でも同じようにしていたのだが、さて会社に着いてしまうと退社時間に30分以上も間がある。応接で新聞などを読んで時間をつぶしたが、関西と関東でこれだけ時差があるのだなと実感した次第である。
 
○5.21 [韓国] 戒厳令下の光州市で、武装した学生・市民が全市を制圧する。27日、軍が市内に突入して鎮圧(光州事件)。

 朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが一時的におとずれたが、間もなく「粛軍クーデター(12・12軍事クーデター)」と呼ばれる軍部内の主導権争いで、全斗煥(チョン・ドゥファン)陸軍少将が実権を掌握する。軍事政権の復活を懸念して全国で民主化要求のデモが頻発するなか、全斗煥戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三・金大中(両者とものち大統領)らを逮捕、騒動は全羅南道光州市(現 光州直轄市)に飛び火した。

 学生や市民たちは鎮圧に派遣された戒厳軍と戦い、やがて全羅南道道庁を占領をするに至り、もはや内乱の様相を呈した。光州鎮圧に投入された総兵力数は2万5千人にも上り、市街戦の末、市民軍は徹底的に鎮圧された。光州事件の模様は徹底的に報道管制され、その実態はなかなか明らかにならなかったが、のちに設立された「5.18記念財団」によると、認定された死者は154人、行方不明者70人、負傷者1628人に上るという。

 金大中は、光州市を含む全羅南道の出身で、当地域に地盤をもつ野党のリーダーであった。全羅道は、古代三国時代百済、後三国時代後百済が位置した地域で、それぞれ新羅、高麗の統一によって滅ぼされた歴史をもつ。一方、軍事政権を展開した朴正煕・全斗煥盧泰愚らは、新羅・高麗が歴代支配した慶尚道の出身で、そちらに地盤を置いていた。

 朴政権以来、慶尚道地域がインフラ整備・経済開発・官公庁人事などで優遇され、全羅道地域が冷遇され、経済的にも後発地域となった。つまり勝ち組に不満をつのらせた負け組の鬱憤の高まりが、その心理的な背景にあったと言える。その我らが地域のエース金大中が、逮捕され死刑に処せられかけていたのである。


 
 
○8.19 [東京] 新宿西口で、中年の男がバスにガソリンをまいて放火。6人が焼死。14人が重軽傷を負う。

 8月19日21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナルで停車中のバスに、中年男が火のついた新聞紙とガソリンを流し込んだ。火は瞬時に燃え広がり、6人が死亡14人が重軽傷を負う惨事となった。犯人は38歳の現場作業員で、定住せず全国を転々としていたという。駅前広場近くの階段で酒を飲んでいたところ、追い出すような声をかけられて、かっとなって犯行に及んだという。

 犯人は無期懲役が確定し刑務所に収監されたが、所内受刑者からいじめを受けていたもようで、十数年後に首を吊って自殺、その報道は半年後になって小さく報じられただけだった。都心の真ん中で、見知らぬ人間の通り魔的行為によって一命を失った被害者にとって、なんとも形容しがたい無残な事件であった。そして犯人自身、何のために生れてきたのかと思わせるような無意味な人生であることか。

 なお私事であるが、この6月に転勤してきて、西武新宿線沿線に住むことになったところだった。都心に出るときには必ず経由する場所であり、この日付からすれば盆休暇で帰省して戻ってきた直後ぐらいの時期、微妙なタイミングの事件であった。

 
 
○9.22 [イラン・イラク] イラン・イラク両国が国境地帯で交戦。以後、全面戦争に発展する(イラン・イラク戦争)。

 イランではこの前年、シーア派によるイスラム革命があり、親米近代化路線をとったパーレビー朝帝政が倒され、ホメイニーの下で「イラン・イスラーム共和国」が成立した。これはイスラーム法に基づく一種の宗教独裁政治で、伝統的イスラム社会への回帰を目指したものである。

 一方イラクは第二次大戦後、オスマントルコから分離独立したが不安定な政権が続き、1968年イラクバース党がクーデターで政権を奪取、その後サダム・フセインが大統領に就いて、イラクで少数派のスンニ派を重用して強固な独裁制を樹立した。

 9月22日未明、イラク軍はアルジェ協定を一方的に破棄してイラン空軍基地を奇襲、翌日にはイラク地上軍は長大な国境線を越えてイランに侵攻した。革命直後の内政混乱で準備不足だったイランは苦戦を強いられた。もともと友好関係にあったソ連イラクを支援、イスラム原理主義の拡大を恐れる欧米も、武器供与などでイラクを裏で支えた。周辺のアラブ諸国も、スンニ派世俗的王政の独裁政権が多く、古来からのアラブ・ペルシャ対立関係とともに、シーア派によるイラン革命の影響をおそれたためイラク側につく。

 孤立無援のイランであったが、イスラム革命に燃える民衆の士気は強く、20万の義勇兵が前線に加わり抵抗を続けた。そこへ何故かイスラエルがイラン支援に乗り出した。アラブ諸国すべてを敵にまわして戦い続けているイスラエルは、敵の敵は味方とばかり、イスラムであっても非アラブのイランを支援し出した。さらに最も対イスラエル強硬派であったはずの、アサドのシリア、カダフィーのリビアが、それぞれの思惑からイランを支援、もはや誰が味方か敵か分らぬ戦況となった。

 その後、戦線は一進一退で膠着し消耗戦になった上で、1988年になってやっと、国連安保理事会の停戦決議に基づいて停戦が成立した。翌年、イラン革命の父ホメイニ師が死去、1990年イラン・イラク両国は国交回復することになる。しかしすでにこの時、サダム・フセインイラクは、隣国クウェートに侵攻しており、やがて「湾岸戦争」へと展開する。
 

 両国相互の都市爆撃の応酬が続くなかの1985年3月17日、サダム・フセインは突如、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると宣言した。イラン在住の外国民間人たちは、それぞれの国の民間機や軍用機で帰国していったが、200人以上にも及ぶ在留日本人はそうは行かずに窮地に陥った。

 諸外国機は自国民の救出で手一杯、自衛隊機は当時の法制上の制約で使えない、唯一たよりのフラッグキャリア日本航空は、乗務員労働組合の反対で拒絶するというありさま。そこへ支援の手を差し伸べたのがトルコであった。トルコ航空の最終便を2便と増加させ、それに215名の日本人全員が分乗するという形で無事脱出できた。イランと国境を接するトルコ自国民は、陸路脱出も可能という判断からだった。

 これは、百年前の明治年間に起きた「エルトゥール号遭難事件」で、日本から受けた恩義に報いるためであるとの美談として報じられた。千年の恨などという、どこかの国と比べるなかれ(笑)


 
 
○9.11 [埼玉] 県警が所沢市芙蓉会富士見産婦人科病院理事長、北野早苗を無免許診療で逮捕。捜査が進むなかで多額の政治献金が表面化する。19日、1800万円を受取っていた斉藤邦吉厚相が辞任。

 埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院は、写真からも分るようにホテルを思わせるような立派な設備で、遠方からも多数の妊婦が訪れるなど繁盛していた。いち早く超音波検査装置を導入して診療していたが、医師である院長の夫の理事長は医師免許をもたないまま、無資格で検査診断をしていた。

 しかもその後の調査によると、子宮癌や子宮筋腫と診断され子宮・卵巣を摘出された妊婦のうち、その必要がなかった可能性が指摘された。しかし病院ぐるみで行われた乱診乱脈医療は、意図的に隠蔽された場合、当事者以外の実証は困難であり、傷害罪での立件は見送られた。

 しかし、別の訴訟で証拠押収された臓器の鑑定結果から、その多くが施術の必要がなかったという専門家の判定が出されたが、その時点での傷害罪は公訴時効となっており、無資格診療の理事長が医師法違反、見逃していた院長が保助看法違反で立件されたが、両者とも執行猶予付きの軽微な有罪判決となった。

 並行して元患者の女性らが民事訴訟を起し、元理事長夫妻や担当医師ら7人に総額5億円を越える賠償を命じる判決を下した。だが決着がついたのは、提訴から23年経った後であった。

 また院長の医師免許は取り消しされず、元理事長夫妻は所沢市で新たな病院を経営し診療を始め、さらに出版物で治療の正統性を訴えるという活動をしていた。これに反発した被害者の活動もあり、厚生省医道審議会は民事裁判の結果をふまえて、元院長の医師免許取り消し処分をしたが、これも事件から25年後、院長が78歳になってからであった。

 同時に、医療行政を取り仕切る当時の厚生大臣や、地方自治行政を担当する自治大臣が、富士見病院から政治献金を受けていたことが露顕し、大臣を引責辞任するにいたった。

 私事だが、この年の6月に家族共に所沢市内に転居してきていた。事件が明らかになる前、妻は富士見病院外来で診療を受けていたという。その後、たまたまより近い病院に変更していたが、事件を知って驚くことになった。翌年10月、別の病院で無事次男を出産し、事なきを得たのであったが。

 
 
○11.29 [神奈川] 大学受験の予備校生 金属バットで両親を撲殺 現代家族の危機鮮明に

《今回だけ元記事を全文引用してみます。コピペばかりしてるとか言う人も居たので、ご参考までに(笑)。『日本全史』(ジャパン・クロニック)より》
 川崎市高津区の高級住宅街で、夫婦が鈍器のようなもので撲殺される事件が発生した。第一発見者である2男(20)は大学受験勉強中で、午後9時すぎに目を覚まして1階に降りていったところ、両親が殺されていたという。

 捜査本部では外部からの侵入の形跡が薄いことなどから2男に事情を聴取。翌30日、2男男の自供で「金属バット」による殺人事件と判明した。

 父親は教育熱心な東京大学卒のエリートで、2男の早稲田大学受験失敗には面罵したという。レコードを買う金欲しさに父親のキャッシュカードを無断使用した2男は、これを叱られ足げにされ、ふだんはかばってくれる母親からも叱責されたため「立場がなくなった」と酒をガブ飲みして犯行に及んだ。

 家庭不和、父兄への劣等感、受験戦争など、犯人の人格形成をうながした要因が問題とされ、現代の家庭像について各方面で議論される。

 
 
*この年
ルービックキューブが人気/漫才ブーム/自動車生産台数が世界一に/校内暴力・家庭内暴力が急増
【事物】スポーツドリンク/ゲームウォッチ/家庭用生樽ビール
【流行語】それなりに/昭和ひとけた病/カラスの勝手でしょ
【歌】ダンシング・オールナイトもんた&ブラザーズ)/雨の慕情(八代亜紀)/風は秋色(松田聖子
【映画】ツゴイネルワイゼン(鈴木清順)/クレイマー,クレイマー(米)
【本】石川淳狂風記」/山口百恵「蒼い時」/「とらばーゆ」創刊