【月やあらぬ・・・】

【月やあらぬ・・・】

 

 伊勢物語には、挿入歌として次の歌がある。

「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」

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 これは在原業平に擬せられた主人公が、想い続けた高貴な身分の女性と無理やり引き離されて、居なくなってしまった侘しい心を、月に託して歌ったものとされる。

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 昔から様々な情緒を、月に託して語られることが多い。中でも、満月以降、徐々に欠けていく「下弦の月」には、なかなか風流な呼び名がついている。


 15日目=十五夜・満月・望月(もちづき)

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の・・・」と藤原道長がうたったとされが、これは時の権力者のおごりが目だってスノビッシュで風情がない。満月自体が満ち足りすぎていて、むしろ恐怖感を抱かせるので、西洋では狼男が出現したりする。


 16日目=十六夜(いざよい)

日没と同時に昇る満月よりは、少し遅れて「いざよい=ためらい」がちに出てくるからだそうだが、「十六夜日記」などがあるように、古代の人はその奥ゆかしさを愛でたのかもしれない。

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 以降、17日目= 立待月(たちまちづき)、18日目=居待月(いまちづき)、19日目=寝待月(ねまちづき)と続く。それぞれ、月の出るのを、立って待つ、座って待つ、横になって待つという時間を指している。月を待つことになってるが、それを恋人を待つ気持と考えれば、そのまま和歌になる。


 20日目=更待月(ふけまちづき)

文字どおり夜更けまで待つわけだが、実際には今の午后10時ごろらしく、昔の人はきわめて早寝だったようだ。


 23日目=下弦の月(かげんのつき)

ちょうど左半分が残った月で、見え出すのはまさに深夜。上弦、下弦というのは、月の形を弓に見たてたからである。


 26日目=有明の月(ありあけのつき)

明け方になってやっと昇ってくるので、月が有りながら夜が明けるところから。いにしえの恋人たちが「後朝(きぬぎぬ)の別れ」をする時刻である。なんとなくこころ残りな気もちを抱きながら、互いの衣(きぬ)の擦れ合うカサコソという音を惜しむ(笑)

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 西洋にはこんな風流な呼び名はないだろう。せいぜい、サロメがヘソ踊りしたり狼男が叫ぶシーンぐらいか。

 

 上弦の月には、あまり呼び名が付いていない。日が暮れた瞬間に西の空に見えてきたりするから、東の空から上ってくるのをまだかなと待つ時間がないので、情緒を感じる時間の経過が無いせいかと思われる。だから荷が暮れると西の空に見えてきて、すぐに沈んでゆく三日月を、浴衣姿で眺めるとかぐらいしか話題にならない。


 そのほかに、上弦で名前がついているのが「十三夜月」。これは十五日の満月の二日前で、満月には少し足りない月だが、場合によっては満月より美しいともいわれる。秋の月見には、十三夜と十五夜と、二度見るという風習がある。一方だけだと「片見月」といって縁起がよくないとされるが、これは遊郭で月見の宴を催して、旦那衆を二度登楼させるという、商魂が作り出した風習だともいわれる。

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 樋口一葉に「十三夜」という短編がある。官吏に嫁いだお関だが、DVにあって実家に逃げ帰ったところ、メンツを重んじる父親に追い返される。いやいやながら婚家に帰る道で拾った人力車の車夫は、かつてのお関の幼馴染の録之助だった。互いに淡い恋心を抱いていた2人だったが、お関が他家に嫁がされてしまい、自暴自棄になった録之助は車夫にまで堕ちぶれていたという話だ。十五夜に少し足りない十三夜月に、一葉は古い世界に生きる女の、満ち足りなさを託したのかもしれない。

 

自作品/『喫茶店にて』

自作品/『喫茶店にて』

 

 文学にはまっていた学生時代、吉行淳之介梶井基次郎の、無機質で透明な文体にあこがれて真似した。結局まともなものは書けなかったが、唯一「散文」としてまとまったものと思ったのが、この掌編だった。

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 『喫茶店にて』

 

 小さな喫茶店で、珈琲を飲んでいた。

 ぼくの席は店のいちばん奥にあって、まわりは薄暗い。ここからは、ちょうど入り口のところが見渡せる。入口のドアは、白く塗られた木枠ががっしりと組まれており、その枠に、厚そうな一枚ガラスがはめ込まれている。ガラスは透明で、外の往来が見える。

 先ほどからぼくは、落ちついた気分でドアの外を眺めている。幾台もの自動車が、前の往来を通り過ぎてゆく。店内の音楽でエンジンの音は聞こえず、高速度撮影の映写を見るように、無音のままゆっくりした速度で動いてゆく。

 

 一台の乗用車が店の前で止まった。少々太り気味の年配の男が降りて来る。黒っぽいダブルの背広を着ていて、重役風の男である。腹の出ているせいか、いくぶん躰を反らせて歩く。その姿勢から、自分の半生に自信を持った男、という気配が感じられる。

 男はこの喫茶店に向かって歩き、ドアの前で立ち止まり、ドアを押して入って来る。いや、そのドアが開かないのである。力を強めて押してみる。依然としてドアは動こうとしない。

 当然である。男の押した箇所は、押すべき場所の反対の側、つまりドアの支柱のある側であったのである。ぼくは、少々意地悪い気持ちになった。男が狼狽する顔をとっくり眺めてやろう、と思ったのである。

 まもなく、男は自分の失敗に気付く。そして、しかるべき場所を押して入ってくる。入った場所で、店の中を見回す。自分の失敗に気付いた者はいないだろうかと。そのとき、ぼくの視線と出くわす。男の躰の中を、狼狽がはしる。その時の男の素振りを観察してやろう。そういう風に、ぼくは想像を巡らした。

 

 ところが実際には、ぼくの方が狼狽するという事態がおこったのである。男は自分の失敗に気付くどころか、力をさらに強めていった。ほとんど、体当たりでもしかねない様子である。男の押す力とドアがそれにあらがう力とが均衡して、これ以上の力が加わればガラスが割れて店内に散乱する。そう思われた瞬間、急に男は力を抜いた。

 自分の失敗に気付いたのではなく、店に入るのを断念したわけでもない。方針を変えて、男はドアをたたき始めたのである。音楽でやかましい店内ではあるが、厚いガラスをたたく鈍い音が、手に取るように聞こえる。男の顔は、絶叫するように口をぱくぱくさせている。

 閉所恐怖症という神経症がある。閉じ込められた場所におかれると異常に恐ろしくなる、という症状を示す。そのような患者を一間四方の檻にでも閉じ込めてみたら、この男のような反応を示すのではないか。そういう異様な光景として、ぼくの目に映っている。

 なのに、店の者は一向に気付く気配がみられない。客はといえば、ぼく一人だけである。全く気付かない振りをするか、ドアをあけに行ってやるか、どちらかしかないと思った。しかし、そこへ行くには、猛獣の檻をあけるほどの勇気が必要かと思われた。

 結局、ぼくは目をそらせてしまった。その間、ほんの数秒であったと思う。視線をもどすと、男はもう店の中に入ってきていた。何事もなかったような、平然たる様子である。男の落付きはらった視線がぼくと出会ったとき、逆にぼくの方が狼狽してしまった。男のなすべきはずの狼狽が、その視線を伝ってそっくりとぼくの方へ引越ししてきた、そういったあんばいであった。

 男はまっすぐぼくの隣りの席へ来て、坐った。珈琲を注文し、ゆっくりと飲み干し、煙草を一本とりだす。それをうまそうに吸い終え、立ち上がり、硬貨を投げだし、そして出て行った。

 

 カウンターの向こうで店員が、アイスクリームを器に盛りつけている。手にしているのは、バリカンの頭を半球形のお椀ととり換えたような道具である。その道具で、ぼくの胸のあたりの肉を、こっぽりすくって持っていかれた気になった。不当なことをされたという、理不尽な気持ちである。

 店内は全く何事もなかったように、ただうるさい音楽だけが鳴っている。灰皿の上で、ぼくの吸いかけた煙草が、原形をとどめたままの姿で燃え尽きている。それだけが、時の経過を示していた。


’71.9.17

『村上春樹風に「ゲイ」について語る』(おちゃらけ擬文)

村上春樹風に「ゲイ」について語る』(おちゃらけ擬文)
 
完璧なゲイなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はゲイのことを考えていた。
ゲイの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
 
「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人ってゲイのこと考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはゲイのことを考えながらやっているんじゃないかな」
スエズ運河?」
「たとえば、だよ」
 
「ゲイ?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくゲイよ。完璧に。二〇〇パーセント」
 
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのゲイ」と呼んだ。
そして今日でもなお、日本人のゲイに対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見てゲイが生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
ゲイは国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがゲイだ。
 
ゲイは盲のいるかみたいにそっとやってきた。
「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけど、地震地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファック、ゲイはゲイである。
「どうせゲイの話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにしてゲイをめぐる冒険が始まった。
 
「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
「本当にこのままでいいの?」
「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
「世界中のゲイがみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」
 
僕はなんだか自分がゲイにでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。
 
「僕はね、ち、ち、ゲイの勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
「ゲイが好きなの?」と僕は訊いてみた。
「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、ゲイを作るんだ」
ゲイには優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
ゲイか何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。
 
「ずっと昔からゲイはあったの?」
僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
でもそれがゲイというきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
ゲイは少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
たぶんそうする必要があったからだろうね」
 
その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことにゲイほどではない。
「それから君のフェラチオすごかったよ」
直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
「ゲイもそう言ってたわ」
「僕とゲイとは意見とか趣味とかがよくあうんだ」
と僕は言って、そして笑った。
彼女は少しずつゲイの話ができるようになっていた。
 
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。「僕は・ゲイが・好きだ」
あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。

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#この文章は下記のサイトを利用して、スクリプトによって自動生成されたものです。
http://www.pandora.nu/pha/tools/spam/harukin.php
*ブログで読む>

https://naniuji.hatenablog.com/entry/2022/01/15/080237

【アメリカの歴史】25.[番外]アメリカ政党史概観5/5

アメリカの歴史】25.[番外]アメリカ政党史概観5/5

 

 第二次大戦後の世界は東西冷戦を基軸に展開し、民主党大統領と共和党大統領がほぼ交互に政権を担当し現在に至る。民主党”Democratic Party”は「社会福祉」を重視した「大きな政府」を展開し、政策的には「リベラル」で「連邦重視」とされる。一方共和党”Republican Party”は、「市場重視」の「小さな政府」を志向し、政策は「保守”Conservatism”」で「州権重視」と言われる。

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 当初は民主党が右派で共和党が左派に位置付けられていたが、20世紀前期に保革が逆転した。南北戦争時に「共和党」が誕生したころは、北部の商工業者、福音主義・敬虔主義のプロテスタントの支持を集める「改革」の党であった。他方の「民主党」は南部の農業主の支持を集めたが、南北戦争で敗れると長期低落に落ち込む。共和党は19世紀には、進展する産業革命にともない、産業資本家やそれと利害関係を持つ西部農民を支持基盤として拡大し、大恐慌までほぼ大統領職を独占した。

 

 民主党ウッドロー・ウィルソンのころから方針転換し、東海岸や西海岸の都市部に住む低所得層や移民に着目し、1920年代になると民主党は都市大衆を基盤とした勢力として本格的に再生されていく。これを加速したのが、世界大恐慌を背景にしたフランクリン・ルーズベルトニューディール政策だった。

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ニューディール政策の内容をわかりやすく説明!結果は失敗だった?」 

https://america-info.site/new-deal

 

 ニューディール政策では、社会保障法の制定や高率の累進所得税法人税の設定など社会主義的政策を進め、F・ルーズベルト左旋回し、労働者・小農・失業者・移民・黒人などの低所得者層から支持されて、1936年以降の長年にわたる民主党政権の確立に成功した。逆に共和党ルーズベルトへの対抗から保守化を強めていった。

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「白人たちはなぜ貧困化したのか」 

https://globe.asahi.com/article/11535361

 

 以後、民主党東海岸や西海岸の都市部のマイノリティーの支持を集め、これらの民主党が強い州は「青い州」、他方、中西部や南部の人口が少ない農業地帯は共和党の地盤となり、この地域は「赤い州」となった(青は民主党のシンボルカラーで赤が共和党カラーだから)。

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 しかしこのような通念は、2016年大統領選の共和党候補トランプの登場により大混乱を引き起こす。マイノリティや貧困層の味方と思われていた民主党が、実際にはウォール街の金融資本・大手マスコミ・GAFAと呼ばれるグローバルネット企業などの資金をバックにした大金持ちが支配する党だということが暴露されるようになった。

「ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史」 https://gyao.yahoo.co.jp/store/title/349176

 

 他方でトランプが掘り起こした支持層は、「ラストベルト”Rust Belt”」と呼ばれる地域の白人労働者や失業者で、この地域はかつて重工業で栄えたが、産業空洞化で斜陽化している。また、中西部の没落した農民などが、山間地域で孤立化原始化して原理主義的なキリスト教の信者になったりした層がある。

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 彼らはサイレント・マジョリティとして、政治的なボリューム集団としては認識されていなかったところに、トランプの登場が彼らをよみがえらせたとも言える。民主党は、大手資本に支持される中道保守と、改革を求める若者たちに支持される左派に分断され、共和党は、従来の主流だった共和党保守派が、トランプが煽った動きに対応できなくなって分裂している。

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 アメリカは新たな大きな分断に晒されていると言われるが、これは従来からの「民主党vs共和党」という図式では解決できない。両党とも大きな分裂に晒されているわけで、それは目に見えずに進行していた「大きな分断」が、トランプ登場によって可視化されたということに過ぎない。

 

【アメリカの歴史】24.[番外]アメリカ政党史概観4/5

アメリカの歴史】24.[番外]アメリカ政党史概観4/5

 

 世界一の経済力をもったアメリカは、第一次大戦後に続いた共和党政権下で、「狂騒の20年代」と呼ばれた未曽有の好況を迎えるが、やがて「大恐慌」がウォール街を襲った。時の共和党大統領「ハーバート・フーバー」は「古典派経済学」を信奉し、政府による経済介入を最小限に抑える自由主義経済政策を継続したため、無策だと批判された。そして1932年の大統領選では、積極的に経済に介入する「ニューディール政策」を掲げた民主党の「フランクリン・ルーズベルト」が勝利した。

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 F・ルーズベルト大統領は、大規模公共事業を中心とした「ニューディール政策」によって、収縮した需要を国の財政主導で創出して乗り切ろうとした。これは、ジョン・メイナード・ケインズによる「ケインズ理論」に沿ったものとされることがあるが、それほど一貫したものではなく、ケインズの論文が発表されたのは後の1936年であった。

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 ニューディール政策はそれなりの成果を見せたかに思われたが、その成果は徐々に薄れていって、1930年代後半には再び危機的状況に陥った。大恐慌から本格的に立ち直るには、第二次大戦の兵器などでの膨大な需要の創出が必要だったのである。

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 F・ルーズベルトニューディール政策および第二次大戦への参戦は、必然的に「大きな政府」を必要とし連邦政府の力を強めることになった。ルーズベルトは、民主党によって「世界恐慌の結果発生した貧困層の救済」という新たな政策目的を打ち出し、大きな民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における民主党の優位をもたらした。

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 ルーズベルトは1945年4月、ドイツ陥落の直前に病死し、副大統領だったハリー・トルーマンが就任した。トルーマンは外交経験が全く無く、そのまま政権を継承し、日本への原爆投下を認可し、太平洋戦争を終わらせた。

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 トルーマンは2期8年間、1953年まで大統領を務めたが、この時期は第二次大戦の戦後処理で連合国間での対処に追われ、米ソ対立に共産党中国が成立するなど、東西冷戦が始まった時期で、その背景の下で朝鮮戦争が勃発した。外交を苦手とするトルーマンが、皮肉にも外交と戦争に追われる形で2期の任期を務めた。

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 第二次大戦のヨーロッパ戦争での英雄ドワイト・アイゼンハワー(アイク)が、1952年アメリカ合衆国大統領選挙共和党から出馬して次期大統領に選ばれた。アイクはその生涯をほぼ軍人として過ごし、政治にはほとんど関心がなかったが、その国民的人気から共和党から大統領候補に押し立てられた。

 

 アイゼンハワーの大統領時代は、ソビエト連邦を筆頭とする東側諸国とアメリカ合衆国を代表とする西側諸国との「東西冷戦」の最盛期であり、政権を支えたニクソン副大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官などとともに、共産主義との戦いを指揮し対峙した。

 

【アメリカの歴史】23.[番外]アメリカ政党史概観3/5

アメリカの歴史】23.[番外]アメリカ政党史概観3/5

 

 19世紀には、石油や電力を中心とした第二次産業革命が起こり、アメリカの工業力は英国を追い抜いて世界一となった。そして巨大資本による独占体が成長し、エクセル、カーネギー、モルガン、ロックフェラーなどの巨大財閥が、アメリカ経済を支配するようになった。

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 一方で19世紀後半からのヨーロッパでは、人口が急増し食糧難が頻発したため、このため新天地アメリカを目指して、南欧や東欧からの新移民が増加し、後発の彼らは都市部で、低所得者としてスラム街を形成した。また西海岸を中心に、清や日本からの東洋人の移民も多く発生した。

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 これらの人口構成の変化に、共和党の後塵を拝していた民主党は方針転換し、東海岸や西海岸の都市部の貧困労働者に生活保護などの福祉政策を行い、「連邦重視の大きな政府」を志向するようになった。これらの移民層も、定住し徐々に選挙権を持つようになったので、民主党は選挙で票を獲得するようになった。

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 1912年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党は候補者の一本化に失敗し、民主党の大統領候補にウッドロー・ウィルソンが、都市貧困層などの票を集めて大統領選に勝利する。もともと行政学者だったウィルソン大統領は、ニュー・フリーダムと呼ばれる進歩主義的国内改革を実行した。

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 ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発したが、アメリカ合衆国の中立の立場を表明して、 1916年アメリカ合衆国大統領選挙での再選に結びつけた。しかしドイツの潜水艦によるルシタニア号撃沈事件が起こり、米国の反独の国民感情が高まると、一転してウィルソンはドイツへの宣戦を布告する。

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 アメリカの参戦により戦況は一気に連合国側に傾き、大戦末期にウィルソンが「十四ヵ条の平和原則」を発表すると、疲弊しきったドイツ帝国は降伏する。ウィルソンは、「平和原則」で示した公正な態度のため、公正な調停を期待して「パリ講和会議」では重要な役割を担い、それは「ヴェルサイユ条約」の原則となった。

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 ウィルソンは、新外交の中心と位置づけた「国際連盟」を推進し成立にこぎつけたが、各論では戦勝国の思惑が錯綜し、国際連盟は実効性の乏しいものとされ、しかもアメリカ議会そのものが、モンロー主義を唱えて反対し、その批准を得られなかった。議会でウィルソンの提案が否決された後、ウィルソンは病が重篤となり、共和党のハーディングが次の大統領となったため、アメリカ合衆国国際連盟加盟の道は断たれた。

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 ウッドロー・ウィルソンは理想主義を掲げて世界のヒノキ舞台に登場するが、具体的な難問を処理する政治手腕が決定的に欠落しており、ウォール街の金融資本に操られるグローバリズムに乗ったに過ぎないと見られる。

 

【アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5

アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5

 

 1775年の「アメリカ独立戦争」から1890年の「フロンティアの消滅」にかけて、アメリカ合衆国は西へ西へと領土を広げていったが、南北戦争後にはほぼ共和党が政権を握った。まずフランス領ルイジアナの買収から、イギリス領カナダの一部を交換で獲得するなどして、ミズーリ川西岸地域が領土となり、さらにメキシコから独立していたテキサスを併合、スペインからフロリダを購入し、またオレゴンを併合して領土は太平洋に到達した。さらに、メキシコとの米墨戦争に勝利しカリフォルニアを獲得するなど、ほぼ今の合衆国の領土に近づいた。

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 しかし、グレートプレーンズからロッキー山脈にいたる峻厳な自然に阻まれ、インディアンとバッファローが散在するだけの荒れ地や山地が横たわっており、やっとフロンティアを西に進める本格的な西部開拓史が端緒に着いたが、西部開拓は困難をきわめた。東西交通は馬車で4000m級の険しいロッキーを越えるのは困難で、西海岸に船舶で行くには、南米大陸の南端を回る為、移動に4ヵ月以上を要した。

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 この困難を解消するため、リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の基幹となる「大陸横断鉄道」の建設を進めた。南北戦争の勝利で黒人奴隷は解放されたが、解放後の対策は不十分で、大半の黒人はシェアクロッパー(分益小作人)として南部地主のもとにとどまった。そのため北部が期待した労働者になるものは意外に少なかった。

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 そのため大量の労働者を必要とした大陸横断鉄道の建設には、新たな移民が動員された。東側には、ジャガイモ飢饉で本国に住めなくなったアイルランド移民などが多く動員され、西海岸には、船で太平洋を横断して直接に運ばれる中国人移民が大半となり、苦力(クーリー)と呼ばれた。

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 1869年に最初の大陸横断鉄道が開通し、順次開業していくと、アメリカは実質的にも精神的にも、やっと国土が一つとなった。合衆国は、鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファロー(バイソン)を、絶滅させる作戦をとった。さらに一連の「インディアン戦争」と呼ばれるインディアン部族の一斉蜂起も鎮圧し、1890年には、インディアンの掃討作戦は終了したとして「フロンティアの消滅」が宣言された。

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 フロンティアの消滅が公式に宣言され、インディアン戦争も終わりを告げ、西部開拓の時代も一段落した。ヨーロッパ列強はアフリカやアジアに植民地を獲得しつつあったので、アメリカも更なるフロンティアを海外へ求め、外に目を向けるようになった。

 

 1889年にパン・アメリカ会議が開催されると、これを契機にアメリカはラテンアメリカへの進出を始める。1896年のアメリカ合衆国大統領選挙で、「共和党ウィリアム・マッキンリー」が勝利を収めると、国内産業を育成し急速な成長と繁栄の時代を到来させ、南北戦争で出遅れたアメリカも、帝国主義に参戦した。

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 1898年、米西戦争が勃発すると、アメリカ軍はスペイン艦隊を壊滅させ、キューバとフィリピンをスペインから獲得するとともに、ハワイ共和国を併合、お膝元のカリブ海や太平洋地域に勢力圏を確保した。マッキンリーは暗殺されるが、副大統領の「セオドア・ルーズベルト」が後任となり、「ルーズベルト命題」を発表し、ラテンアメリカ諸国がアメリカの権益化にあることを宣言した。

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 そして、太平洋への経路としてパナマ運河建設権を得て、運河地帯の永久租借権を獲得した。太平洋の対岸の東アジアでは、西欧列強により中国の分割が進んでいたが、セオドア・ルーズベルト大統領は、清国の門戸開放を提唱して、アジアへの進出をもくろんだ。