【映画「ひまわり」】

【映画「ひまわり」】

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https://www.youtube.com/watch?v=1o9bg9L7Uto
「ひまわり」(1970)を観た。その音楽と予告編をみただけで、気にはなっていた。ソフィア・ローレンとマストロヤンニが、こんな「純愛」を演じるのが意外だったw

ストーリーは「シェルブール」とほぼ同じで、戦争で引き裂かれた二人が、互いに家庭をもったあとに再開する悲恋ということだが、全編、歌だけで綴る「シェルブール」に比べて、当然、物語も演技にも奥行きが必要とされる。

いかにも日本人好みの物語だが、アントニーとジョバンナが、戦争前のわずかな休暇を楽しむ、底抜けに明るい恋人のシーンだけは、ウェットな日本人ではありえないぶっ飛び方で、さすがに笑ったが、後半の悲恋シーンとの対比は、さすがだと思った。

【鯖寿司とバッテラ】

【鯖寿司とバッテラ】

 

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 京都紫野の今宮神社では、毎年5月初めから15日にかけて、「今宮祭」が行われる。紫野御霊会に起源をもち、京都を代表する機業地である西陣の祭礼として発展したもので、近世には祇園祭にも匹敵する盛大な祭りだった。

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 子供の頃、今宮神社の氏子区域住む伯母が、毎年の今宮祭の時期になると、料理屋に作らせた「鯖寿司」を持ってきてくれた。竹の皮に包まれ、大きな脂ののった〆め鯖を丸ごと使った豪華な鯖寿司で、大阪のバッテラを始め、各地に鯖を使った寿司はあるようだが、私にとっては、これが唯一無二の鯖寿司だった。

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 海から遠く離れた京都の町では、日本海側の福井県若狭地方で水揚げされた真鯖に一塩して、大至急で山を越えて運ばれた高級魚であり、その道筋は「鯖街道」と呼ばれた。鯖寿司は有名な京料理の一つでもあり、古来から京都の家庭では、祭りなどの「ハレ」の日に食されたご馳走であり、また冷蔵庫のない時期には、塩と酢でしめた保存食品でもあった。

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 一方、同じく鯖を使った大阪のバッテラは、その起源をまったく異にする。明治半ばに大阪の寿司店が、コノシロの片身を開き舟形にしたものを使った寿司を作ったのが、その始まりといわれ、コノシロを開くと尾の方は細いので、飯も片側を尖らせたその姿が小舟に似ていた。このことから、ポルトガル語の 「バテイラ(小舟/ボート)」からバッテラと呼ばれるようになったとされる。その後、コノシロの価格が急騰し、サバを使うようになったのが、今の「バッテラ」なのだとか。

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  バッテラは、酢飯に酢締めにした鯖を乗せ、さらに薄く削られた白板昆布を重ねた押し寿司で、鯖の身が足りない部分には、へいだ身を添えるなど、あまりこだわりのない作り方で、庶民の寿司とされている。

 一方、鯖寿司は、酢飯に立派な真鯖の酢締めした半身をのせ、巻き簾や布巾で形を整えたもので、羅臼昆布のような、やわらかい高級昆布で包んだものが多い。バッテラのような枠で押す工程がなく、四角い切り口になるバッテラに対して、鯖寿司の切り口は角のない丸みを帯びた形となる。

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 かつては庶民の家でも、祭礼などハレの日のために鯖寿司を作っていたが、その風習も廃れ、祇園の「いづう」や「いづ重」などの高級鯖寿司が、贈答用に用いられることが多くなっている。これじゃ、われわれ庶民は気軽に鯖寿司を食べられない、ということで、安いノルウェー産塩鯖で「焼鯖寿司」を作ってみた。まあ、なんとかなる(笑)

 

 

【京都の三大漬物/すぐき】

【京都の三大漬物/すぐき】

 

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 京都の三大漬物といえば、「柴漬」・「千枚漬け」・「酸茎(すぐき)」となるだろう。柴漬や千枚漬けは、いまではほぼ全国に出回っていると思われるが、「すぐき」はなかなか手に入りにくかった。すぐき蕪(かぶら)の乳酸発酵漬物なので、発酵をすすめないで、長期間、同じ品質を保持するのが難しいのがその理由である。

  「すぐき」は、その独特の酸味が特徴なのであるが、その味になじみのない人が多いので、例えば関東の知人に贈ったところ、腐っていると思って捨てた、などという笑い話もあったぐらいだ。 

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 この「酸茎(すぐき)」ないし「酸茎漬け(すぐきづけ)」は、伝統的な京漬物で、京都市北区の「上賀茂」と呼ばれる地域の特産となっている。この地域のみで栽培される「酸茎菜(すぐきな)」または「酸茎蕪(すぐきかぶら)」の葉とかぶらを原材料として、独自の製法で漬け込んだものである。

 「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」と清少納言枕草子にしたためた京都の気候に育まれるように、すぐき菜は夏の終わりに種蒔きされ、11月下旬ごろから12月初旬に収穫される。12月になると、上賀茂地域の農家の軒先では、独特の「すぐきの天秤押し」があちこちで見られ、丸太棒の先に重石をくくりつけてテコの原理で圧力をかけた樽が並ぶのが、上賀茂の冬の風物詩となっている。

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 上賀茂神社から流れ出た明神川が流れる上賀茂本通りには、社家(しゃけ/上賀茂神社神職を出す家)がたち並び、独自の景観をかもし出している。その社家並びの向かい側には、300年の伝統をほこる「御すぐき處京都なり田」が門をかまえ、その威厳のある店の雰囲気は、一見、入りにくい気さえするが、入ってみれば納得できる店である。

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  上賀茂本通りと北山通りに挟まれた一帯は、かつて畑地がひろがり、すぐき菜が栽培されていたが、いまではほとんどが宅地化されている。昭和30年代半ば、進駐軍の居住地として接収されていた府立植物園が返還され整備が始まると、畦道しかなかった植物園の北側に北山通が通され、加茂川に北山橋が架けられ、それを機会に一気に宅地化が進められた。

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 わたしが子供の頃には、上賀茂・西賀茂の農家のおばさんが、毎朝、綿がすりにモンペ姿で、大きな大八車を曳いて野菜を「振り売り」に来ていた。夏場は朝採りの茄子に胡瓜、そして子供の頭ぐらいある大きなトマトなどを積んで来て、子供たちは井戸水で冷やしたトマトに塩を振るだけで、かぶりついたものである。

 そして、冬場から春にかけては、白菜、大根などともに、漬けこんだすぐきを樽ごと積んできて、葉の部分は切り落として、株の部分だけ目方を量ってくれる。もちろん葉も必要なら、無料でくれたと記憶している。夏場のトマト、冬場のざく切りしてお茶漬けで食べるすぐきは、いまでも忘れられない味覚だった。

 

【餃子の王将一号店】

餃子の王将一号店】

 

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 昭和53年に所帯を持って、旧市電壬生車庫あとの公団住宅に住んだ。四条大宮に近く、利便の良い場所だった。四条大宮には、阪急京都線の終点で、京福嵐山線の始点でもあり、かつてはターミナルであったが、阪急が河原町まで延伸するなど、ターミナルとしても商業集積地としても、半端な場所となった。

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 しかし北へ行けば三条商店街があり、祇園祭宵山では、浴衣に下駄で四条まで歩けば、そのまま鉾が立ち並んでいる。そして近くには、安くておいしい食堂がいくつもあった。そのひとつ、団地を出て四条に向かう途中にある、狭い階段を上った二階の中華料理店には、毎日のように通った。

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 いま思うと、それが「餃子の王将」一号店だった。現在、その四条寄りに「王将発祥の地」とプレートが埋め込まれた大きな店があるが、当時の記憶では、その手前の狭いテナントビルの二階に店があったと思う。その後、会社の転勤で5年ほど京都を離れていたが、帰って来て宇治に住んだので、こちらでも王将のお世話になった。

 しかしこの時期、王将チェーンはロードサイドに大型直営店を展開し出していた。バブル景気に差し掛かる頃で、ダイエー方式で借入金で郊外に土地を手当てして出店して、その土地が値上がりして、さらに大型店舗の出店を展開するという狙いだったのだろう。

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 しかしバブルがはじけて、王将も苦境に陥った。食品メニューは値上がりしボリュームも少なくなった。直営店では従業員のモラルも落ちて、生ぬるいラーメンが出てきたときは驚いた。

 そもそも王将チェーンには、街中のパパママ経営の食堂をチェーン店化したものが多く存在し、これらの店はコストを低く抑えられるので、工夫しながら従来の品質を保持できていた。王将本部も、それらのメリットを再認識して、各店の独自メニューを奨励するなど、チェーン店の管理を緩やかにして、多様性を求める消費者の傾向とマッチした展開で復活した。

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 やがて直営の大型店舗でも、年配のしっかりした店長を配置して、中国語なまりのバイトに~ちゃんらをきちんと管理していたようだ。当方がよく行く宇治店では、独自メニューとして抹茶ラーメンなどをラインナップしたが、さすがにこれは、間もなく消えたw

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 「餃子の王将」(王将フードサービス運営)は、「大阪王将」(イートアンド運営)と、その名称の商標権をめぐって訴訟沙汰になっていた。「大阪王将」は、「餃子の王将」の創業者の縁者が暖簾分けされて、大阪を中心に展開していたが、京都で市場が競合するようになったため、揉めたわけだ。私たちに取ったら、安くてうまいものを提供してくれれば、どちらでもいいのだが。

 

 

【北野天満宮など散策】

北野天満宮など散策】(2021.02.19)

  

 久々に京都市内を知人と二人で車で散策した。少々肌寒いが梅の時期というので、まずは「北野天満宮」に参った。感染症のせいで参拝客は少なく、駐車場もフリーで停められた。信仰心も色気もない年寄り二人なので、ろくな拝礼もせず、十数分ほどまわりを見まわして帰るというありさまだった。

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 北野天満宮は承知の通り、右大臣菅原道真公が藤原氏の讒言で、九州大宰府に左遷され、当地で没した後、都では落雷などの凶事がが相次ぎ、菅公の祟りだとして恐れられた。そこで、朝廷は菅公の官位を復し、御霊を鎮めるのにつとめ、40年以上して都の子供に託宣があり、現在地の北野に道真を祀る社殿を造営し、これが北野天満宮となった。

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 本来は、雷神となった道真公の御霊を鎮めるために祀られたが、学問の神として広く信仰されるようになり、現在では受験の神様として、受験生の絵馬がたくさん奉納されている。また、梅の花をこよなく愛した道真公ゆかりの梅は、境内にくまなく植えられ、この時期、最盛期を迎えている。

 

 さて昼時となり腹もへったので、弁当を買って「船岡山」のベンチで食べることになった。この船岡山は、何の変哲もない100m程度の小高い丘だが、まさに平安京大内裏の真北に位置し、歴史上、幾度も文献に登場する。

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 まず、枕草子では「岡は船岡」と称えられ、「徒然草」では、都の葬送の地として、鳥部野などと並べて挙げられている。保元の乱の後に、敗北した源為義一族がここで処刑され、応仁の乱の際には、西軍の陣地が築かれ、周辺は激しい戦闘で焼け落ちたが、「西陣」の名称はこれが所縁となった。

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 さらに、森鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」という短編で、殉死を扱っている。明治天皇に殉死した乃木希典に衝撃を受けて、即日書き上げたと言われ、細川三斎の忠臣であった興津弥五右衛門は、三斎亡き後の始末をやり遂げ、殉死を願い出る。晴れて切腹を許された弥五右衛門は、細川家菩提寺大徳寺高桐院を出て、切腹の場所とされた船岡山麓の仮屋まで、十八町の間に敷き詰められた藁筵の上を、晴れがましく歩んだという。

 なお、船岡山の東側には、織田信長を祀った建勲神社がある。船岡山平安京の北方を護る四神相応の玄武に相当するとして、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められたが、実現しないままだったのを、明治天皇により創建されたという謂れをもつ。

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 曇り空で寒いので、昼を済ませてその足で、紫野今宮神社の参道にある「あぶり餅」を食べに行った。あぶり餅については、かつて詳しく書いたので下記リンクに任せるが、近年は評判を呼んで満席が多かったが、今回は感染症の影響で、がらがらの座敷に上がってゆっくりできた。半世紀前の高校時代、授業をさぼって、ここにたむろして時間を潰した思い出が、よみがえって来たw

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 https://naniuji.hatenablog.com/entry/2019/03/30/175544

 

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 ちなみに船岡山で食べた弁当は、北大路橋西詰にある「グリルはせがわ」の持ち帰り弁当、ここも通常は1時間以上待つのが状態だった。高校の同級生がここの息子で、半世紀以上前から営業している洋食屋だが、近年、SNSなどで評判になり、観光客でいっぱいとなった。ハンバーグ弁当がウリで、ここで弁当を買って、川を渡った府立植物園で食べると、半日を千円程度で過ごせるデートスポットです(笑)

 

【ゴッドファーザーⅡ/キューバ革命】

ゴッドファーザーⅡ/キューバ革命

 

 1958年の末、キューバでは、カストロゲバラの指揮する革命軍がハバナめざして進撃していた。アメリカ傀儡のバチスタ政権はほぼ崩壊の状況となり、12月31日の新春パーティで、バチスタは辞任演説をしている最中、宮殿にも人民が闖入してきて、翌1月1日そのまま隣国に亡命した。まもなく首都ハバナは革命軍によって制圧され、8日にはカストロハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定した。

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 このバチスタ政権崩壊の模様は、映画「ゴッドファーザーⅡ」で描かれている。マイケルは、キューバに君臨するマフィアのドンに招かれた年越しパーティーで、バチスタが演説するさなかに騒乱が会場を襲い、マイケルは群衆の中を空港へ逃げるが、途中で見かけた兄フレドは、マイケルを恐れるように群衆に紛れる。ドラマの重要な伏線が、歴史的事件を背景に描かれる。

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【21th Century / 2019(h31)年】

【21th Century / 2019(h31)年】

 

◎新元号「令和」

*2019.4.1/ 新元号は「令和」とする、 出典は万葉集よりと、 官房長官が発表。

*2019.5.1/ 平成が終わり、元号が「令和」となる。

 

 2019(h31)年4月1日、政府は、平成に代わる新元号を「令和」と決定した。菅義偉官房長官が記者会見し、墨書を掲げて公表した。出典は「万葉集」からで、これまで日本の古典から元号が採用されたのは初めてであった。新元号天皇陛下の退位に伴い2019(r1)年5月1日午前0時から施行すると発表された。

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 当時の天皇明仁が譲位の意を示したのは、2010(h22)年7月22日とされており、2016(h28)年8月8日に宮内庁は、当時82歳になる天皇からのビデオメッセージを公表した。それによると、自らの高齢化により従前のように公務が果たせなくなることを懸念し、公務が途切れることなく安定的に続くことを望むとの趣旨で、公務が果たせている間に、皇太子徳仁親王皇位を譲りたいという趣旨を示した。

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 天皇生前退位の規定がないので、天皇陛下の「お気持ち表明」を受けて、内閣官房有識者会議が設置され、憲法第1条との兼ね合いから、国会による事前協議等を受けた上で、政府は法案を作成して国会に提出した。法案は衆・参議院で可決され、2017(h29)年6月16日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」として公布された。

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 2019(r1)年5月1日午前0時、「特例法」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」となり、明仁の第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「平成」から「令和」に改元された。

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 生前の天皇退位は明治以降の憲政史上初めてであり、退位した前天皇は「上皇陛下」、前皇后は「上皇后陛下」と呼ばれる。なお、「一世一元」とされた明治以降、明治天皇大正天皇昭和天皇元号を付けて呼ぶことになっているが、これらは「諡(おくりな)」であり、生前に「平成天皇」と呼ぶことはない。

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 2019(r1)年4月1日の発表まで、新元号はさまざまな予想がなされたが、「令和」と決められた。「令和」の典拠は「万葉集」の巻五、梅花の歌三十二首の序文からで、漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定されたのは初めてである。

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 この序文は、天平2年1月13日(730年)、大宰帥大宰府の長官)である大伴旅人の邸宅で催された「梅花の宴」での、梅花の歌三十二首の序文として書かれたもので、「時に、初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(なごやか)に、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫はす」から「令月」と「風和」を抜き出して、元号の「令和」としたものである。

 

(この年の出来事) 

*2019.1.11/ 訪日外国人旅行者3000万人超

*2019.2.28/ 2回目の米朝首脳会談 非核化の進め方で合意できず