『Get Back! 80’s / 1981年(s56)』

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『Get Back! 80's / 1981年(s56)』

#そのころの自分#
 所沢も二年目をむかえ、仕事も生活も慣れてきた。この年初めて、新聞広告で「パソコン」なるものがあると知り、即刻駅前の丸井へ駆けつけて月賦で購入。最初はシャープのポケコン、やがて本格的な東芝パソピアというマシンを購入。それまで、会社のコンピュータ室でパンチテープがとぐろを巻いている状態しか知らなかったのに、まがりなりにもプログラムが出来るコンピュータが個人で所有できるというのは感激であった。
 外回りの仕事だから時間は融通が利く。日中は自宅に戻りパソコンいじり、夕刻になって退社のタイムカードを押しに行くというパターンの日々で、パソコンの初級フェイズはクリアした。あやうく巻き込まれかけた富士見産婦人科事件も免れ、10月に無事次男が生れた。はいはいするようになった頃、ふと気がつくとパソコンのキーボードにへばりつき、よだれをたらしながらガシャガシャやっていた。その次男も、いまはIT関係の開発部に所属しているようだ。
 
○6.15 [パリ] オランダ人留学生を殺害して食べた日本人留学生が、現地の警察に逮捕される。

 フランス パリに留学中の佐川一政(当時32歳)が、自室を訪れたオランダ人女性留学生(当時25歳)を射殺、屍姦し遺体の一部を食べるという猟奇事件が発生した。佐川は犯行を認めたが、フランスでの裁判では心身喪失であったとして不起訴処分、フランス内の精神病院に処置入院された。その後帰国して日本国内の精神病院に1年間入院後、退院する。

 日本の病院での診断では、精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきとされた。しかしフランス警察が、不起訴処分案件の捜査資料の引渡しを拒否したため、日本での起訴も見送られた。社会復帰後、マスコミに有名人扱いされしばしば登場、のちの宮崎勤事件が起ると猟奇犯罪の専門家扱いでマスコミにもてはやされ、さらに自著を出版するなど、世間からの批判を無視して活動した。

 一政は、優良会社の役員・社長を務めた父親をもち、有名歌手が叔父にいるなど、めぐまれた家庭に育った。出生時には極端な未熟児だったが、虚弱ながらも無事に育った。虚弱体質のうえ内向的な性格も相まって、文学・芸術に傾倒し文学研究者への道を歩んだ。他方で、小学生のころ人肉食のむかし物語に異常な興味をもったり、大学生時代にはドイツ人女性宅に押し入るなど、のちの事件を予想させるような異常性をも示していた。

 人肉食はカニバリズムという言葉もあるように、古くから認識されてきた行為である。緊急事態下での人肉食は古来から多数報告されている。近年でも、日本での「ひかりごけ事件」や南米アンデス山中での「ウルグアイ空軍機遭難事故」など、事故下での事件がある。あるいは、一部の部族に残される社会習慣的な人肉食もあるが、これらは狭義のカニバリズムからは別枠で扱い、この佐川事件で焦点になるのは「人肉嗜食」である。

 「人肉嗜食」は個人的な嗜好による人肉食であり、猟奇殺人に伴う死体損壊を伴って現れることが多い。文化社会的には「タブー」を犯す行為であり、それゆえにそれを扱った文学・芸術は多く見られるテーマでもあり、また都市伝説などにもよく登場する。実話に近いらしいが、佐川くんが参加した会食で、彼が「この肉はうまい」とつぶやくと、一瞬まわりが凍りつくという、そのまま都市伝説になりそうな話しも多くある。

 
 
○6.17 [東京] 深川の商店街で、包丁を持った男が通りすがりの母子ら4人を刺し殺す。

 東京深川の商店街路上で、無職の川俣軍司(当時29歳)が通りすがりの主婦や児童らを包丁で刺し、4人が死亡、2人が怪我を負う事件を起した。川俣は傷害事件などで7回に及ぶ逮捕歴があり、覚醒剤を常用していたとされ、本人は否定するも覚醒剤が検出された。公判では、覚醒剤中毒による心神耗弱状態と判断されたが、刑事責任能力は問えるとして無期懲役の判決となった。

 下半身下着姿で口に猿ぐつわという拘束されたときの映像は、テレビなどでも流され記憶している人は多いと思われる。覚醒剤中毒による幻視幻聴妄想による犯罪の恐ろしさ、通り魔という理不尽な犯行にあった被害者の無念さ、それらを一枚に凝縮した映像として、観る人に印象付けられたことであろう。

 
 
○9.5 [大阪] 三和銀行茨木支店の女子行員が、オンラインシステムを操作して、1億3000万円を搾取していたことが判明する。(三和銀行オンライン詐欺事件)

 当時大阪府茨木市三和銀行(現 三菱東京UFJ銀行)茨木支店に勤務していた女性行員(32)が、3月25日という給料振込み日と年度末決算が重なって錯綜している日を選び、オンラインシステムを使って自分が作った架空口座に送金、計1億3000万円を搾取した事件。女はフィリピンのマニラに逃亡潜伏していたが、半年後の9/8 マニラ当局により拘束、送還された。

 拘束された現地でのインタビューや送還時の映像が流され、その清楚系美人に見える姿写真や「好きな人のためにやりました」という言葉が人口に膾炙し、ファンレターが来るほどだったという。愛人にそそのかされて犯行に及んだという経緯が詳細に報道されると、だました愛人の既婚男性(35)が悪、犯行女性が逆に善とされるような流れが出来て、面白おかしくマスコミは書きたてた。

 搾取して引き出した現金のほとんどを、マニラで会おうと言う相手男性に渡し単身マニラに飛んだが、男は後を追わずその金で家族で国内で豪遊していたという。女子行員はその青年実業家だという男に惚れこみ、自分がこつこつ貯めた預金をすべて貢ぎ、さらに示唆されて犯行に及んだという。そしてその金もほとんど男の借金の返済に注ぎ込まれた。

 女は、教師の父や茶華道を教える母という安定した家庭に育ち、「星の王子様」を夢見るロマンチスト、というよりウブな思春期をおくり、金銭にも男性にも潔癖な性分であったという。初めて男性と関係をもったのが20歳で、相手は既婚者であることがあとで判明、それでも相手を信じて12年も交際を続けたという。

 そんなところに現れたのが、自称青年実業家、その見栄えにすっかり虜になってしまう。金にも男にも潔癖な性分は、一旦タガが外れると止めどもなく流れ出してしまう。結局、金と男に欺かれ続けた半生だと言えるだろう。公判では、女性行員に懲役2年6月、愛人男性には懲役5年の実刑判決が言い渡された。女は模範囚だったため2年で仮出所、その後、この事件を熟知している一般男性と結婚したという。そのまま平穏な家庭生活を送っているとすれば、唯一ほっとできる話題であろうか。
 

(追補)
 この8年前の1973年にも、「滋賀銀行9億円横領事件」というのが起こっている。滋賀銀行山科支店のベテラン行員 奥村彰子(当時42歳)による犯行で、史上空前の9億円の金を着服、10歳年下の元タクシー運転手 山県元次(当時32歳)に貢いでいたというもの。これも同様に、男縁の薄かった女が、いかれた男にほだされて貢いだというものだった。


○10.28 [東京] ロッキード裁判丸紅ルート公判で、榎本敏夫被告の前夫人が、「榎本が5億円の受領を認める発言をした」と証言する。(蜂の一刺発言)

 ロッキード事件の公判中、総理大臣 田中角栄ロッキード社から賄賂を貰ったとする疑義で、当時の首相秘書官だった榎本敏夫夫人の三恵子が裁判の証人として立ち「榎本が5億円の受領を認める発言をしていた」と証言。この証言が裁判の行方を決定づけた。榎本三恵子は自身の証言を「蜂の一刺し」に例えたため、これが流行語となった(ちなみに一刺しで死ぬのは蜜蜂とかだけ)。

 事件としてはここまででいいのだが、この人の場合は「その後」を賑やかせた。テレビ『オレたちひょうきん族』に蜂の着ぐるみを着て「ハチの三恵子」として登場、安岡力也扮するホタテマンと絡みを演じたり、熟年ヌードグラビアに登場したり、その後表面からは姿を消したが、実業家と結婚、離婚するやら、下着の有能な訪販販売員として活動するなど、じっとはしてない人だったようだ。

 夫の首相秘書官は有罪判決を受けたが、そもそもこのような場違いな人と結婚したことが間違いとも言える。もっとも、ホステスをやっているところを見初めて、後妻として結婚したとかで、それなりの理由もあったのであろうか。その後の雌蜂の行方は誰も知らない…(笑)


 
 
*この年
癌が脳卒中を抜いて死因の1位に/宅配便が郵便小包(書籍を除く)の取り扱い件数を超す/なめネコブーム/ノーパン喫茶流行/ヨーロッパで反核運動活発化
【事物】フルムーン夫婦グリーンパス/レーザーデスク
【流行語】ハチの一刺し/ブリッ子/クリスタル族/熟年/ルンルン
【歌】ルビーの指輪(寺尾聡)/恋人よ(五輪真弓)/奥飛騨慕情(竜鉄也
【映画】泥の河(小栗康平)/ブリキの太鼓(西独・仏)/エレファントマン(英・米)
【本】黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」/井上ひさし吉里吉里人」/田中康夫「なんとなくクリスタル」/「FOCUS」創刊