坂口安吾の断章から

坂口安吾の断章から

sakaguchi-ango

坂口安吾botより
「老人というものは、口を開けば、昔はよかった、昔の芸人は芸がたしかであった、今の芸人は見られないと言う。何千年前から、老人は常にそう言うキマリのものなのだ。それは彼らが時代というものに取り残されているからで、彼らの生活が、すでに終っているからだ。」

坂口安吾botより
「太宰が死にましたね。死んだから、葬式に行かなかった」
 

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 安吾は、戦争ですべてが灰燼に帰するのを見つめながら《生きよ、墜ちよ》と述べ、《正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ》と言い切っている(堕落論)。

 また、《終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生む》とし、《法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ》と断言する(日本文化私観)。
 

 「伝統の継承」などには微塵もこだわらない。焼けるものは焼ければよい、消えるものは消えればよい、その焼け跡から、新らしいものが生れて来るのだと主張する。伝統の「断絶」など、大いに結構だというスタンスであった。

 「芸」などというものは、自らその場を見つけるべきもので、その場を失ったものは消えゆく運命にある。大道芸、座敷芸、幇間芸、宴会芸などなど、必要なくなれば消え去ればよい。「伝統芸」だけが国費で保存されるというような謂れなどもない。所詮、テレビなんぞには、芸がその場を見つけ出す余地がないだけのことだ。
 

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 安吾の「堕ちよ、生きよ」という言葉は、「ニヒリズムを、生き抜くことで超克せよ」という意味でもある。これは、ニーチェの「超人」とも重なる。

 同じく「無頼派」と呼ばれた仲間の太宰治は、すぐれた現実認識を示しながらも、その前で立止ってデカダンスに陥り、酒、女、薬、病気にはまり込んだ。「太宰が死んだ、だが葬儀には行かない」という安吾の言葉は、そのような太宰への、愛憎を込めた追悼の辞でもあったのであろう。