【写真家・林忠彦と無頼派作家】

【写真家林忠彦無頼派作家】

 

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 これは「紫煙と文士たち」と題した写真展の 展示作品集である。林忠彦という戦後間もない時期から活躍した写真家で、日本の風俗や文士・風景など多岐にわたる写真を撮影した。

 兵隊靴を履いた足でスツールにあぐらをかいて、めずらしく快活そうに酒を飲んで談笑する太宰治を写した有名な一枚の写真、この写真を撮った写真家として林忠彦の名前を知った。

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 まだ戦後闇市が多く残る銀座にあったショットバー「ルパン」には、戦争を生き抜いた文士たちが集まった。なかでも「無頼派」と呼ばれる作家が談笑する場として有名になったのは、やはり林忠彦の作品が寄与したのであろう。

 林が「ルパン」で知り合った織田作之助のスナップを撮っていると、「俺も撮れよ」とからんできた酔っ払いが、上記の写真に納まった太宰だったという。その二年後、太宰はショッキングな心中をとげたため、一躍、写真家林忠彦を有名にした。

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 紙屑に囲まれた仕事場の座卓で、下着姿のままでペンをとる坂口安吾の光景もまた、林忠彦の名を世に知らしめた一枚である。上記の織田作や太宰の姿や安吾の仕事風景は、「無頼派」とされる文士たちの文学作品を知らなくても、その作品世界を髣髴とさせる写真だった。

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 最年少の織田作之助が、1947年(昭和22年)肺結核のため33歳で没。太宰治は、その翌年1948年(昭和23年)、38歳で三鷹玉川上水に入水して没する。最も長くまで生きた坂口安吾でさえ、その剛健な身体も、戦後カストリ文化の象徴でもあるヒロポンやアドルムといった過激な覚醒剤睡眠薬で蝕まれおり、1955年(昭和30年)脳出血で突然死、享年48。

 三者ともに、戦前戦中からすでに頭角を現わし、既成の作家として活躍したが、そのイメージは、戦後闇市・カストリ文化の中で討ち死にした文士として記憶される。「無頼派」という呼称がピッタリとくる所以である。