【18th Century Chronicle 1726-30年】

【18th Century Chronicle 1726-30年】
 

天一坊事件

*1729.4.21/江戸 将軍吉宗の御落胤と称して、庶民から金品をかき集めていた修験者改行が、嘘を暴かれ獄門となる。(天一坊事件)
 


 享保13(1828)年、山伏の源氏天一坊改行は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の御落胤と称し、近々大名に取立てになるとして浪人たちを集めた。不審におもった浪人の一人が、関東郡代伊奈忠逵の屋敷を訪ね問い合わせ、伊奈が調査を始めた。伊奈は上司の勘定奉行に報告し、さらに老中を通じて吉宗にまで伝えられた。

 改行の申し開きよれば、自分は紀州田辺の生まれで、母が紀州若山城へ奉公に出ているときに妊娠、実家へ帰されて産まれたという。生前の母親から「吉」の字を大切にせよと言い聞かされており、伯父からは、いずれ公儀からおたずねがあるであろうなどと言われた。これらから自分は、紀州生まれの将軍吉宗の落胤であると考えたと言う。
 


 将軍吉宗は、紀州藩徳川光貞の四男で、藩主になる前は気楽な身分でかなりの乱行もあったらしく、言われて見ると覚えがないとも言えない。吉宗の御落胤の可能性も否定できないため、天一坊改行に対する調査は慎重にとり行われた。天一坊を取り巻く浪人たちをとり調べたところ、天一坊は彼らに、大名に取り立てられた際にはおのおのに役職を与えると約束していた。

 改行は元禄12(1699)年で、このとき吉宗は15歳で、まだ松平頼方であり紀州藩主になる立場でもなかった。宝永2(1705)年、藩主になるべき兄たちが相次いで亡くなり、偶然にも22歳で紀州徳川家を相続、第5代藩主に就任するとともに、「徳川吉宗」と改名した。つまり、改行の母親が言った「吉」の字は、必ずしも吉宗を指したとは言えなくなる。
 

 その他のもろもろの嘘も露見し、天一坊は捕らえられると、享保14(1729)年4月、勘定奉行稲生正武から判決申し渡しがあり、4月21日に死罪の上、品川で獄門(晒し首)となった。天一坊のもとに集まっていた浪人たちも遠島や江戸払いとされた。


 慶安の変(1651年)で軍学者由比正雪は、不平浪人を集めて幕府への謀反を企てたが、天一坊にはそのような謀反の意図はなく、浪人や町民を騙して金品を巻き上げていたに過ぎない。しかし公方(将軍)の落胤を騙ること自体、何よりも重罪であるとされた。
 

 この時期、吉宗の享保の改革の一環で、江戸南町奉行大岡越前守忠相が活躍したが、名奉行の大岡裁きとして、のちに歌舞伎、講談などで「大岡政談」と呼ばれる一連の物語が親しまれた。中でも歌舞伎の「天一坊大岡政談」は、竹黙阿弥が脚色し明治になって初演されると、代表的な演目となった。

 しかしながら実際の天一坊改行は、関東郡代伊奈忠逵により捕縛され、勘定奉行稲生正武の裁きを受けたのであって、江戸町奉行であった大岡越前守忠相は、管轄外で一切かかわっていない。しかし、有名な大岡裁きの目玉として、公方の御落胤を騙った天一坊事件は恰好の題材となった。それらの大岡政談の多くは、事件よりはるか後の、幕末・明治になってから創られた物語である。
 
 

(この時期の出来事)

*1726.3.1/江戸 将軍吉宗が江戸城内で、オランダ人の馬術を観覧する。

*1726.5.12/江戸 幕府は物価騰貴対策として、水油・魚油・醤油・塩・米など必需品15品目について、問屋に帳面提出を命じる。

*1726.8.-/ 幕府は新田検地条目を定め、年貢増徴政策を強化する。

*1727.2.-/大坂 江戸町人中川清三郎ら3名に、大坂堂島に米相場会所を設立させ、米相場に介入する。

*1727.6.28/江戸 町奉行大岡忠相、拾得金の扱いで、落とし主、拾い主双方納得の名裁き。

*1727.10.22/ 幕府は、将軍吉宗の日光社参に関して、旅行用品などの便乗値上げを禁じる。

*1727.-.-/ 荻生徂徠が「政談(経世済民策)」「詹録(軍法書)」を書き上げる。

*1728.4.17/下野 将軍吉宗が、65年ぶりに将軍の日光東照宮参詣を行う。

*1728.4.-/ 幕府が全国各地の代官に対して、定免切り替えによる年貢の増収を指令する。

*1728.6.13/肥前 コウチ(ベトナム)から、雌雄の象が渡来する。

*1728.7.-/大坂 幕府が米価引き上げのため、蔵米の延べ売買(信用取引)を許可する。

*1729.2.8/ 太宰春台の「経済録」が刊行される。

*1729.-.-/京都 石田梅岩が、京都車屋町で「心学(石門心学)」の講義を始める。

*1730.4.15/ 幕府は上米制を停止、参勤交代の期限も元に戻す。

*1730.6.20/京都 京の上立売室町から出火、西陣108町が焼失する。(西陣焼け)

*1730.8.13/大坂 幕府が大阪商人の運営になる堂島帳合米市場(米の先物市場)の開設を許可する。

*1730.11.10/江戸 将軍吉宗の2男宗武に「田安家」を創立させる(御三卿の初め)。