【異空間伝説01-1「試着室」】

 


 おもえば人が身にものをまとうという行為は、人間が他の動物と分かたれる文化的原初のひとつであろう。とすれば、人は衣服を脱ぎ裸になるとき、日常性の中で隠ぺいされている遠い原初の秘密をかすかに想い起こすのかもしれない。いまこの秘密を正鵠にいいあてることはできないが、このような日常の切れ目から、潜在的な物語がつむぎだされてもおかしくはないだろう。まずはネットでの投稿の中から、このような裸になる場所にまつわる噂話をいくつか挙げることからはじめてみよう。
 
『試着室ダルマ1』
 《 それから十数年前から結構何度も聞いた、パリの都市伝説を思い出しました。パリのブティックに入った日本の女の子が、試着室へ入ったまま、行方不明になった。しばらくして見せ物小屋に、手も足も切られてだるまのようになり、口もきけない女の見せ物が現れたが、顔を見ると、ブティックでいなくなったあの子だったというものです。
 パリを素材にした話ですが、東京に流布している伝説です。》


 『試着室ダルマ』と称されて、若い女性のあいだを中心に流れている有名な噂話である。『オルレアンのうわさ(*1)』がその源流にあることは想像に難くないし、『うわさの本(*2)』でもとりあげられている。このように、書籍などを通じて二次的に流布していくのが現代伝説の一特長でもあるのだが、いまはこの点には立ち入らないでおこう。
 
『試着室ダルマ2』
 《 ブティックだるまの話。私も高校生の時、英語の授業のときに先生から聞きました。そのバージョンでは、日本人の観光客女性がハンブルクのブティックの試着室に入ると、奥の鏡ががんどう返しになっていて、そのまま裏へ引き込まれ、手足を切り落として、アラブの大金持ちの閨房に売り飛ばされるという内容でした。話者がアメリカ遊学歴のある若い女の先生で、学校にフルサイズのアメ車(それもボロ)で乗り付ける、という変わった人だったので、こういう話にも妙な信憑性があって、生徒は真剣に聞き入ったものでした。》


 このようにいくつものバリエーションがみられるが、日本人の若い女性がヨーロッパなどの都市のブティック試着室から誘拐され、東南アジアやアラブなどの途上国であられもない姿で発見されるというところが共通している。

 試着室のもつ象徴的な意味はいくつも考えられるだろう。ただここでは、多くの人が出入りするブティックのなかでの個室・密室であること、そして若い女性が衣装を着がえる場所であることに注目しておきたい。

 個室・密室ではなにが起きるかわからないという不安がある。それがこの話題の伏線となっていると考えられる。また、衣装を着がえるというのはある種の変身でもある。美しく着飾るという快をもつとともに、自分が自分でなくなっていくという潜在的な不安も考えられる。そのような願望と恐怖のアンビバレントな気持ちで鏡に映るわが身をながめているとき、突然どこかへつれ去られたとしたら……。

 自分がこれからどうなっていくかわからないという不安は、まだ身の定まらない若者、とくに若い女性には共有されやすい心情であろう。それが海外旅行中のブティック試着室から消失するというドラマティックな舞台設定と共鳴現象をおこして、噂を語りついでゆく原動力になっていると考えてもおかしくはないであろう。

 そして結末は一転して、手足を切られた人間ダルマで見せ物にされるという無惨な状況で発見される。しかし、この話は主人公の女性に同情するような悲劇としては語られていない。むしろ、海外旅行という晴れやかな場から極端な落差のあるオチは、突き放した滑稽ささえ感じさせる。おそらくこの噂をつたえあう場では、軽い笑い話として終わる状況が想像される。現代伝説は、このような恐怖と滑稽が抱きあわされたところで生命をもつのであろうか。

 またこの話題には、二重の変身が重ねあわされているところにも注目しておきたい。美しい衣装に着替えるという望ましい変身と、人間ダルマにされてしまうといういささかグロテスクな恐怖の人体変形とが。このようなロマンと恐怖のメタモルフォーシスは、人格の変貌と多種多様化といった現代の思潮とも接点をもってくると考えられる。このあたりの主題は、あらためて人体変形と人格変成の章で取りあげることになるだろう。
 

 なお、この種の話がたんに書物などの受け売りではなく、口づての噂話として語られているという証言をいくつかあげてつぎの話題にうつろう。

『試着室ダルマ3』
 《 よくあるインドで発見された日本人女性ネタ 友人でよくヨーロッパに行く当時20代後半の女性から2〜3年前聞きました。
 どこでもよく聞く(例の、手足をもがれて見せ物にされた日本人旅行者の話)ネタなので、「じゃあ具体的に誰に聞いたの?」と突っ込むと「友達からよ。これはホントの話なんだよ」と真剣な顔で返事が返ってきました。この手の話に突っ込むもんじゃないと反省しました。》
 

『試着室ダルマ4』
《OL時代、同僚から聞いたのが最初です。その後、母も知り合いから聞いてきました。もっぱら、女性の友人を中心に噂が広がっていたのが特徴的でした。》
 

(*1)『オルレアンのうわさ』エドガール・モラン 著(みすず書房 1973)
(*2)『うわさの本』別冊宝島(92)(JICC出版局 1989)
 

*『現代伝説考(全)』はこちらから読めます
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/txt_den/densetu1.htm