現代伝説考10

深夜になると首なしライダーが・・・

2.妖しげな事故
 高度に発達した交通機関では、思いもよらない変な事故も起こりえる。ここでは、通常の交通事故以外のあやしい出来事を取りあげてみよう。普通ではありえない荒唐無稽な話でも、「ひょっとしたら」と思わせる可能性がわずかでもあれば噂は語りつたえられていく。

『#16-5首チョンパソアラ
《サンルーフが開くようになった乗用車などがはじめて出てきた頃、バブルの盛り上りが顕著になり出した頃、ソアラという500万を上回るトヨタの車種が若者の憧れだったのですが(漠然とした記憶ですので、間違いがあるかも)、なんと30万で中古車があるといううわさが流れたことがあります。
 いわく、「首チョンパソアラ」。
 そうです。デート中、サンルーフから彼女が首を出したら、垂れ下がっていた看板に頭をぶつけ、取れてしまったのです。事故後、夜になるとバックミラーに血まみれの女の顔が……。
 そんなクルマでよかったら、30万であるというのです……。》
 ソアラというのはバブル景気時代を象徴するような国産高級車であり、話しの担い手であろう若者たちの願望をくすぐる。そのような高級車が、尋常では考えられない安い値段で売られているというのはいかにも胡散くさい。当然なにやらいわくがありそうである。そしてじつは、サンルーフという天窓から顔をだしていた女性の首がぶっ飛ばされたという、ショッキングな出来事があったという。さらには、ミラーに血まみれの女性の顔がうかぶという怪談風のオマケまでついている。

 かっこいい高級車という潜在的な願望に訴えかけながら、首がちょん切れるといった生理的な恐怖が重ねあわされている。このような恐怖と願望の重ねあわせが、伝説の基本的な構成要素であろう。それにさらに、多少冷笑的な滑稽味がつけ加わえられるところが現代伝説のひとつの特長でもあろうと考えられる。「ミラーに映る血まみれの顔」というのは、伝統的な幽霊譚を踏襲するために付加された尾ひれと見なしてもよかろう。

 首がちょん切れる話はバイクライダー伝説にもある。

『#105-2首なしライダー』
《所在不明の首のないライダー篇というのは、夜中に対向車がこっちに向かって走ってくるが、すれ違いざまこちらのライトの中で見えた相手には首がなく、振り向くと誰もいないというやつ。》
 ここでは「首のないライダー」という異形が恐怖の主題となっているが、それに「強調」や「同化」という連続伝達のなかでの噂の変容過程が重ねられるとつぎのような話へと展開される。ここでいう「強調」とは話の一部分がより印象づよく変形されることであり、「同化」とは合理的な説明が付加されていくことである。つぎの投稿における「ピアノ線による首チョンパ」は前者であり、聞き手の目に事件が印象づけられる。そして「首なしライダーの正体」の明示は、後者の合理的な説明に相当する。

『#53-5首なしライダーの真実』
《ある県で、深夜、首なしライダーが出るという噂が立ったことがあります。その前にグループ同士の抗争に絡んでピアノ線を使って相手の首をチョンパした事件があったとかなかったとか、で、首なしライダーの正体はあっさり割れて「脊椎に障害がある人(俗にセムシと呼ばれるタイプ)」が夜のお散歩をしていただけでした。》
 もちろんこの噂話では、「身障者の滑稽化」という差別要素をも指摘しておかなければならない。噂の差別性について若干付言すれば、噂そのものが「異者の排除」という隠された主題をはらむ以上、噂から差別性を抜き去ることは不可能に近いであろう。公言できない差別性が噂という形で陰で語られるという意味では、噂は人間のもつ暗部をつねに引きずっている。そして噂の分析とは、そのような暗部をも視野に入れることによって可能であろう。ここでの文脈においてはそのような差別性は一旦留保して、「恐怖の滑稽化」という現代伝説の一般的傾向に着目しておこうとおもう。

 「語り」という時間的経過の中で共同性を想起させるのが伝統的な昔語りの一要素であるが、上記のような現代伝説はそのような時間の共有や共同性をほとんど含んでいない。伝統的な社会のように話し手と聞き手が、共通の時間と空間を共有するような生活背景はすでになく、噂を伝えあうその場とその瞬間のみが現代伝説の接点となっている。

 となれば、瞬時の生理感覚に訴えるような恐怖と、話題そのものへの冷笑といった感性の共有だけが際だってくる。おどろおどろしい怨念譚よりも、瞬間的な刺激と滑稽が現代伝説で好まれる由縁であろうか。

 瞬間的な生理感覚にもっとも訴えやすいものには、視覚イメージがある。五感の中でも現代人にもっとも突出しているのは視覚であり、それには映画やテレビの画像も大きく寄与しているであろう。その関連を指摘した投稿もあった。

『#323-2映画の首チョンパ・シーン』
《思いつくままに記せば、『オーメン』における、荷台に積載されていたガラス板が荷崩れをおこし、横を通っていた男の首を切り落とすというシーンは「首チョンパ」や「首無しライダー」などのイメージを視覚化し増幅したものと思われます。》
 恐怖の滑稽化といえば、次のように滑稽そのものを狙いとした噂もある。

『#129-10追突されたカー・カップルの惨』
《よくできた話。公園計画の人から聞いたと思う。
 横浜で、岸壁に車を止めて、フェラ何とかをやっていたカップルがいた。その車に、ぶつかって逃げた車があった。乗っていた男女のうち、男は出血多量で死に、女は喉につまったものがあり窒息死した。》
 自動車以外に、電車もわれわれが身近に利用する乗り物である。電車を待っているときなど、ふと「ホームから落ちたら……」と不安を感じることがある。

『#312-1ホームから落ちた女の子の目』
《ある日のこと、一人の若い女性が駅のホームで電車を待っていました。数分後,電車は定刻通りホームに入ってきた。そのとき、彼女の目の前で、ちょうど自分と同じ歳かっこうの女の子が、眩暈でも起こしたのか線路へ転落してしまったのです。
 すぐに気が戻ってその子はホームへ這い上がろうとするけれど、もう電車は目前に迫り、周りの人々にもなすすべもない。まさに電車が彼女の上を通り過ぎようとするその直前、半身をホームに乗り出した女の子と、それを凍りついたように見守る女性の目が合った。と、その瞬間彼女に彼女はあることを叫びました。さて、その女の子は何と言って叫んだのでしょう?
 というのがクイズ。クイズというには余りに悪趣味なクイズです。
で、その答えは……、
「見ないで!」
 今から10年近く前、皆で飲んでるときに一年下の男から聞いたハナシです。答えの絶妙なコワさに、学生どもは飲み屋の座敷を転げ回って怖がったのですが、その後とんと聞きません。》
 これも、瞬間的な恐怖が題材になっている。視線があうというところで、その場の凝縮した情景が切り取られたように視覚化される。しかもその恐怖のただ中におかれた少女の発する言葉が、助けを求めるのではなく「見ないで!」というところがかえって不思議なリアリティを感じさせる。目のあったホームの女性のほうにも、そのまま少女の恐怖が転移してくるかのようである。

 ホームの女性に感情移入している聞き手にも、同じく恐怖が伝わってくるであろう。と同時に、いささか位相のずれた少女の言葉は滑稽感をも感じさせる。部外者の立場にいるわれわれ聞き手には、突きはなした滑稽感を感じとる余地も残されているからである。このような純粋な恐怖の物語の中にも、現代伝説の滑稽化傾向がまぎれこんでいる。

 もうひとつ電車での話題。これもいかにもありそうな話で、しかも生理感覚に直接うったえかけてくる。

『#279-1電車の戸袋で赤ちゃんの手がグチャグチャ』
《 東横線の車内でのことなんです。いつものように混み合う車輌のドア際に若いお母さんが赤ちゃんをオンブし、背中をドアのほうへ向けて立っていました。電車は次の駅へ近づくとスピードを落としながらガタゴト揺れて、ホームへ入って来ました。ドアが開いてみんな昇り降りしていきました。いつまでもお母さんはドアを背にしていたんですが、幾度目かのドアが開いたときに赤ちゃんの手がスルスルとドアの戸袋の奥へすい込まれてしまいました。しかしお母さんはぜんぜん気がつきませんでした。ホームにベルが鳴り響きドアが閉まり始めてからようやく傍らの人がそれに気づき、お母さんに教えました。あわてて駅の人に助けを求め、赤ちゃんの手をみんなで引っ張って抜きましたが、グチャグチャになっていました。
 という話を走行中の東横線の車内で聞いたんですが、本当ですか?》
 この話題に触発されて、つぎのような笑話が投稿された。恐怖から滑稽へという、現代伝説の流れをものがたる状況証拠のひとつといえるかも知れない。

『#350-1電車のドアにリーゼント挟まれる』
《ええと、赤ちゃんが挟まれるというのがありましたよね。
 あれの類話です。と言っても笑える話ですが。
 私の中学・高校生時分というのは、リーゼント等のトサカやヒサシが充実した「つっぱり」(苦笑)というおにいちゃんが多数生息していました。で、そういうおにいちゃんの話です。
 路線や区間は、忘れてしまいました。私は高校時代東急線沿線でぶいぶいいわして(嘘)ましたから、案外赤ちゃんが挟まれたという東横線かも知れませんね。
 たいそう立派なヒサシ頭のつっぱりが電車に乗り、ホームの友達とドアのところで二言三言話していてドアが閉まりました。駅のホームの都合でそちら側のドアは以降暫くの区間開かないのですね。
 そのつっぱりは、どういうわけかドアに顔を密着させて乗っていて、よく見ると見事に自慢のヒサシを挟まれていましたとさ。
 これに、気づいた他の乗客がクスクス笑って、おにいちゃんが「何見てんだよ!」とドアに顔を密着させたまま怒鳴る、というおまけがついている場合がありました。結構当時はポピュラーな噂でした。》