『Get Back! 70’s / 1974年(s49)』

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『Get Back! 70's / 1974年(s49)』
#そのころの自分#
 社会人として二年目に入ったが、一向に業務はうまくいかず鬱々とした一年になった。社員旅行でも、バスの中からずっと酒を飲んで酔っぱらったままで醜態をさらしていたと思う。しかしこの翌年になると少し環境が変わり、とたんに自分のペースで仕事が出来るようになった。ほんの少しのことで、ころっと世界が変わるのを学んだ。
 
○3月 東京「小野田寛郎元陸軍少尉がルパング島から帰還する」

 フィリピンのルパング島で、小野田寛郎元陸軍少尉(51)が発見され、30年ぶりに帰還した。小野田らは、敗戦後も「残置諜者」として敵方の後方霍乱と諜報活動を続けた。発見後も、かつての上官の「任務解除命令」を要請し、その後「投降」し「軍刀返還」するというように、あくまで日本軍人士官として振る舞った。

 帰国すると、圧倒的な賞賛で迎えられた。2年前の横井庄一さんと違って、日本軍下士官として30年間も軍務に服し続けたその意志力に、戦後の日本人たちは驚嘆した。しかし30年間に及ぶ「戦闘行為」中に、フィリピン軍人・警察官、民間人、在比アメリカ軍兵士など30名以上を殺傷しており、「平時の民間人殺傷」は犯罪に問われる可能性があった。しかし当時のフィリピン大統領マルコスは恩赦を発令し罪を問わなかった。

 終戦を信じなかったとはいえ、その後の日本側捜索隊の残したチラシなども読み、現地で手に入れたトランジスタラジオを改造して短波放送も受信していたという。短波で中央競馬実況中継を聞き、最後まで行動を共にしていた小塚上等兵と賭けをするのが楽しみだったらしい。小野田少尉の知力からしても、かなりの精度で戦後日本の繁栄を把握していたと思われる。

 いずれにせよ、30年間熱帯のジャングルで、孤独な中で「任務」を遂行しつつ生き延びた、その体力・知力・意志力は驚嘆すべきものであり、戦後の安穏とした社会で生きる日本人の生き方に一石を投じたことは間違いない。しかし小野田さんの意志力は、逆に戦後日本の社会になじむのを拒み、やがてブラジルに移住することになる。
 
 
○5月 東京「イトーヨーカ堂が、初のコンビニエンスストアセブンイレブン』を開店する」

 この時、日本最初のコンビニエンスストアが、江東区豊洲セブンイレブン一号店として誕生した(写真1)。一号店だからと言って特別なことはなく、フランチャイジーとして最初に応募のあったのが豊洲の酒屋さんだったというだけのことらしい。

 これはいかにもコンビニエンスストアらしい話しだ。金太郎飴のようにどの店に入っても、同じような場所に同じ商品が置いてあり同じサービスが受けられる。フランチャイズ・チェーンの典型がコンビニチェーンだと思われる。しかし長年、セブンイレブン・ローソン・ファミリーマートの違いがよく分らなかった。しかし中高生だった子供たちに尋ねると、明らかに違うという。

 最近になってコンビニをよく利用するようになって、やっとその違いが分るようになって来た。PB商品の開発力やなんやかやと言われるが、これだと明示できるものがない。しかし何となく同じチェーンに行くことになる。そのなかで、やはり総合的にトップを走り続けているのがセブンイレブンである。図表2を見ていただきたい、コンビニ展開にはこれだけの気の遠くなるようなチェック項目があるのだ。
 
 
○8月 アメリカ「ウォーターゲート事件で、ニクソン米大統領が辞任を発表。9日、フォード副大統領が第38代大統領に就任する」

 '72年に発覚した「ウォーターゲート事件」は、その後驚くべき展開をみせる。セックス・スキャンダルなどものともしないアメリカ政界も、盗聴・侵入・もみ消し・司法妨害・証拠隠滅など、ありとあらゆる権力側の裏工作が露顕し、最高権力者 ニクソン大統領までもが深く関わっている事実と証拠が表面化した。

 具体的には、ワシントンのウォーターゲートビル(写真)の民主党本部への侵入事件が発端だが、ニクソン大統領が薄汚い言葉で、もみ消し工作などを直接指示するテープが提出されると、大統領への信頼は地に落ちてもはや辞任するしかなかった。

 そもそもこの時のニクソンは、ベトナム戦争の収拾、ドル防衛作の発表、中国との電撃的国交締結など、圧倒的な人気を誇っており、選挙でも民主党など目じゃない状況だった。たいした情報もない民主党本部に、えざわざ工作員を侵入させる必要などまったく無かったわけである。

 そこにはCIAとFBIの主導権争いなど、さまざまな流れがあり、本来の目的もまったく別のところにあったとの情報もある。ニクソン辞任の後、副大統領のフォードが就任したが、もはや政権運営できる背景は無くなってしまった。「強いアメリカ」の復活は、ロナルド・レーガンの登場を待つしかなかった。
 
 
○10月 「立花隆田中角栄研究ーその金脈と人脈』を掲載した『文藝春秋』11月号が発売される」
○11月 「金脈問題を追及されていた田中首相が辞意を表明する」

 立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」が文藝春秋に掲載され、田中ファミリー企業群などによる土地転がしなどによる金脈疑惑が報じられた。当初、完全無視を通していたが、やがて欧米メディアでも報じられると、プレスクラブで外国人記者会見に応じた。

 海外に潔白を示すという思惑ははずれ、外国人記者たちの追及にあくせくする様子などが報じられると、一気に国内で政治問題化し、11月には退陣表明、12月には内閣総辞職と、たった2ヶ月足らずのうちに総理の座から引きずり下ろされることになった。

 フリージャーナリストであった立花隆の緻密な調査報道は、政権トップでさえもみ消し出来ない正確さを備えていた。近年のマスメディアはほとんどこのような調査報道がなく、政治家のリップサービス政府広報の受け流しに堕している。

 田中角栄は首相辞任後も、その人脈と金脈を維持し、政界の黒幕として支配力を発揮しつづけ「目白の闇将軍」と呼ばれた。その2年後、アメリカ議会で「ロッキード事件」が告発され、角栄内閣崩壊前後からすでに、金銭授受に深く関わっていたことが徐々に明らかになった。やがてその後の公判で実刑判決を受け(s58)、さらに控訴中に脳梗塞で倒れる(s60)など、さしもの田中角栄も政治的命脈を絶たれた。


  
 
*この年
戦後初のマイナス成長/消費者物価24.5%上昇(狂乱物価)/中核派革マル派などの「内ゲバ」が深刻化/超能力・オカルトがブーム/高校進学率が90%を超す
【事物】インスタント味噌汁「あさげ」
【流行語】金脈/ストリーキング
【歌】襟裳岬(森進一)/ひと夏の経験(山口百恵)/うそ(中条きよし)
【映画】砂の器野村芳太郎)/エクソシスト(米)/燃えよドラゴン(米・香港)/エマニエル夫人(仏)
【本】森敦「月山」/R.パック「かもめのジョナサン」/山上たつひこがきデカ」(週刊少年チャンピオン