『Get Back! 70’s / 1975年(s50)』

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『Get Back! 70's / 1975年(s50)』
#そのころの自分#
 この年の初めに、仕事で担当するチームのリーダーとなる女性が代った。てきめんに相性が良くなり、すべてがうまく運ぶようになった。新米営業マンにもやっと春が訪れるかと思われた時期、この春のキャンペーンCFが流れていた。この曲を聴くたびに、当時の心境がよみがえる。

 曲は、のちにオリジナル・リリースされるりりィの「春早朝」。CM音楽が単独でヒットするのはこの曲からで、やがて当初からCMとのタイアップ曲が企画され、必ずヒットするという流れができる。そのあたりの状況は、糸井重里も述べている。>http://www.1101.com/cm_ongaku/2007-08-30.html

*CF「彼女はフレッシュジュース」>https://www.youtube.com/watch?v=nEDAvwj1QOE
 
○4月 [東京] 寺山修司主催の劇団『天井桟敷』が、杉並で30時間連続の市街劇「ノック」を上演。警官が出動する騒ぎとなる。

 「多芸の鬼才」「サブ・カルチャーの旗手」などの異名をとった寺山修司は、『書を捨てよ、街へ出よう』などの著作で、若者たちが家・学校・会社などからドロップアウトして街中で自己表現することを煽動した。またアングラ劇団『天井桟敷』を主催、その募集広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったり、唐十郎主催のライバル劇団『状況劇場』と、劇団員同士の乱闘騒ぎを起したりと、話題には事欠かなかった。

 アングラ劇は大道芸などと関連が深く、観客席に乱入したり、観衆を劇中に巻き込んだりと、観客と一体化した演劇を目指していた。その延長線上に市中劇・市街劇が構想された。詳細はリンク先に任せるが、当然警察当局の許可など得られないし、ゲリラ的な上演となるのは間違いない。もし偶然、市街劇の場面に紛れ込んだら、人はどんな振る舞いをするのか、なども興味深い。

*市街劇「ノック」>https://mrs.living.jp/musashino/town_news/reporter/1614871
*同(動画)>https://www.youtube.com/watch?v=WmsW51ew-ao


 
 
○4月 [ベトナム] 解放勢力軍がサイゴンに無血入城する(ベトナム戦争終結

 '73年に「パリ和平協定」が結ばれたが、これはアメリカ軍の「名誉ある撤退」のための一時停戦に過ぎず、ニクソンの跡をついだフォード政権は南ベトナムを防御する何の方法ももち得なかった。南ベトナムは、いわば関が原の合戦後の大阪城のようなもので、最終決着のタイミングを待つばかりであった。

 北ベトナム軍および南ベトナム解放勢力は一気に、南の首都サイゴン(現ホーチミン市)に迫り、ほとんど抵抗もなくサイゴンは陥落した。ここにおいてベトナム戦争は、北ベトナムの南解放という形で統一され、完全終結した。

 写真は、解放勢力のサイゴン入城を歓迎するサイゴン市民の様子と、一方、最後の米軍の救出ヘリコプターにわれ先と乗り込もうとする人々。歓迎する人々の心中も様々であろうし、逃げようとする市民たちは、米軍・南ベトナム関係の仕事をしてたり、南支持をしていて、残れば殺されるような人とその家族たちであったと思われる。この二枚の写真の中にも、当時の南ベトナム住人たちの複雑な状況がうかがえる。

 このジョン・レノンの手になる曲は、ジョンとヨーコそれぞれの子供たちのためのクリスマスを祝うために作られた。"War Is Over" と歌われているが、実際にはベトナム戦争の泥沼化の最中の'71年に発表されている。ベトナム戦争が念頭にあるのは間違いないが、ジョンやヨーコが、("Kyoko"と"Julian" だけでなく)世界中の娘・息子たちの世代が戦争のない平和な社会を生きられるようにと願ったもので、普遍的な平和ソングとして残るものであろう。

John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)>https://www.youtube.com/watch?v=flA5ndOyZbI
 
 
 
○7月 [東京] 新橋駅で中核・革マル両派が乱闘。321人が逮捕され、1人が死亡する。(内ゲバによるこの年の死者は19人) 

 浅間山荘事件で一連の連合赤軍事件が一応の終結をみたあと、民心は過激派集団から完全に離れた。しかしその後も、各派閥セクト間での「内ゲバ」事件は頻発した。これは暴力闘争の過激化の結果、幹部が地下に潜り、相互にその首を取りあうという、暴力団間と同じような構図になった結果である。

 この7月、皇太子ご夫妻の沖縄訪問に反対して集まった革マル派中核派の約800名が、国鉄新橋駅周辺で激突した。内ゲバの中でも革マル派中核派の確執は激しく、お互いの幹部クラスを殺しあうという死闘を演じていた。

 この3月には中核派書記長、最高幹部で思想的指導者でもあった本多延嘉(41歳)が、川口市のアジトを革マル派に襲撃され鉄パイプなどで撲殺された。革マル派に対する無差別報復を宣言した中核派は、この年だけで15人の革マル活動家を殺害するなど、お互いの内ゲバはこの年ピークに達した。

 
 
○8月 [マレーシア] 日本赤軍がクアラルンプールの米・スウェーデン両大使館を占拠、赤軍派など7人の釈放を日本大使館に要求する。5日、政府は超法規的措置として出獄を承知した5人を釈放する。

 マレーシアの首都のクアラルンプールのアメリカ大使館などを占拠した5人の武装赤軍派は、人質と交換で拘束されている赤軍派メンバー等の釈放を要求した。当時の三木内閣は「超法規的措置」として、浅間山荘事件の坂東國男など5名を釈放した。

 この事件で仲間の奪回に成功した赤軍派は、さらにダッカ日航機ハイジャック事件などの事件をひき起こす。クアラルンプール事件犯行グループの一員だった奥平純三は、後に逮捕されるも、'77年のダッカ事件で人質との交換で釈放され、釈放後さらに海外で何度もテロ事件をひき起こし、現在も国際手配中となっている。このような日本政府の弱腰は、かえってテロリストのターゲットにされ易く、批判の対象ともなった。

 写真1は、人質にした現地関係者などを拳銃で脅している犯人の一人だが、よれよれジャケットに裾折りラッパズボン、上げ底靴に黒眼鏡黒覆面のチビ男、なんともカッコ悪くないか?(笑) 写真2は交換釈放される坂東国男ら。この男の分りやすいボサボサ髪型といかつい顔、浅間山荘の時から一発で顔を憶えられたが、これはテロリストとして有利なのか不利なのかと、どうでも良いことを考えた(笑)

 
 
*この年
企業倒産1万2606件で2年続きの過去最高/トヨタ車が米国輸入車のトップに/紅茶キノコ流行/映画の配給収入で洋画が邦画を上回る/パンクファッション、ニュートラ流行
【事物】ストロボ内蔵カメラ「ピッカリコニカ」/プッシュボタン式公衆電話/家庭用カセットVTR
【流行語】ツッパリ/赤ヘル/乱塾
【歌】シクラメンのかほり布施明
【映画】ジョーズ(米)
【本】有吉佐和子「複合汚染」/ソルジェニーツィン「収容場群島」/毎日新聞社「一億人の昭和史」