『ペスト』アルベール・カミュ

『ペスト』アルベール・カミュ新潮文庫/Kindle版)

 

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 初めて電子版で書籍を読んだ。小説も読まなくなって何年にもなるが、さらにモニター画面で読むと、かつての読書という感じとは異なる。とりあえずダウンロードして読み始めたが、どれだけボリュームがあるかもわからないので、かつて読んだ『異邦人』と比べたら、同じ文庫版で3倍以上のページがあるようだ。とにかく、ざっと読み終えたが、現在、新型コロナのパンデミックが進行中で、思い付きのコメントなどしづらいところがある。

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 ペストは、歴史上で何度もパンデミックを引き起こしている。なかでも14世紀なかば、アジアからヨーロッパへ伝播したペストは、世界規模のパンデミックとなった。全世界でおよそ8500万人、当時の中世ヨーロッパでは、人口の3分の1から3分の2に当たる約2000万から3000万人が死亡し、「黒死病"Black Death"」として恐れられた。

 人口が壊滅的に減少したヨーロッパでは、中世の社会構造までもが破壊され、それがルネサンスのきっかけになったとも言われる。ルネサンス文学の代表の一つボッカッチョ『デカメロン”Decameron”』は、ギリシャ語の「10日"deka hemerai" に由来して『十日物語』と訳されるように、大流行したペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男女10人が、一日ごとに退屈しのぎの話をするという構成で書かれている。

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 小説『ペスト』の作者アルベール・カミュは、フランス領時代の北アフリカアルジェリアに生まれ育ち、第二次大戦中に『異邦人』を書いて一躍人気作家となった。1947年、極限状態での市民の連帯を描いた小説『ペスト』を刊行、復興期のフランス社会で幅広い読者を得てその文名を高めた。

 不条理の作家としてのカミュは、『異邦人』でムルソーという人物を作り出し、個人における不条理を表現した。そして大著『ペスト』においては、ペスト大流行という社会的不条理と対峙する市民をリアルに描き出す。

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 このようなコントロールできない不条理は、「ペスト」に閉じ込められた人々の思考や行動を通して描かれるが、直前に終わったところの戦争の記憶も大きく反映されている。このようなコントロールできない不条理のもとで、閉塞した閉鎖空間での人々の行動様式は、現行の新型コロナウィルスでロックダウンされた武漢などの都市の市民の様子と重なってくる。

 物語は、閉鎖された街で、語り手でもある市井の医師や、それぞれ立場状況の異なる市民たちが、自発的な自警的組織を作りペストの猛威に立ち向かう様子が展開される。しかしそれは、決して英雄的な華々しい行為としては描かれない。手の施しようもない不条理を前に、黙々と遺体の処理や感染者の隔離を行う医師たちは、ほとんど感情を失ったように運命に翻弄される。

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<<もうこ の とき には 個人 の 運命 という もの は 存在 せ ず、 ただ ペスト という 集団 的 な 史実 と、 すべて の 者 が ともに し た さまざま の 感情 が ある ばかりで あっ た。>>カミュ. ペスト(新潮文庫

<<われわれ の 町 では、 もう 誰一人、 大げさ な 感情 という もの を 感じ なく なっ た。 その かわり、 誰 も 彼 もが、 単調 な 感情 を 味わっ て い た。>>カミュ. ペスト(新潮文庫

 

 当初は、閉鎖された街からいつ解放されるのかと希望を持っていた市民たちは、次々と死者が出る環境の中で、将来がまったく見通せなくなると「単調な感情」のみとなり、陰鬱な日々を生きるばかりとなる。このような社会的不条理と、どのように対峙し、かつてのような生き生きした精神をいかに維持してゆくかが、主題として浮かび上がる。

 

 カミュは『ペスト』においては、その解答は出さないが、エッセイ『反抗的人間』で一つの人間像を提示している。これは直接的にはソ連などの左翼全体主義を批判して書かれたものだが、人間存在の不条理性に対する反抗から集団的な反抗の思想へと、思想を展開させたものでもある。

 

 なお、今回の感染症に絡めて『ペスト』を取り上げた文章があったので、参考までにリンクしておく。

>「新型コロナの予言に満ちた小説『ペスト』が示す感染症の終わり」坂口孝則

https://www.gentosha.jp/article/15125/