【宮城まり子の訃報と吉行淳之介】

宮城まり子の訃報と吉行淳之介

 

 宮城まり子の訃報で、久しぶりに吉行淳之介の名を見ることになった。私が文学にはまり出した20歳前後の時、吉行は40代前半で、作家としてもっとも脂の乗り切った時期で、同年代だが中だるみ気味の三島由紀夫よりも、文学世界では人気があった。

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 昭和元年前後に生まれた世代は、文学界では「戦中派」と呼ばれる。戦時中に生まれたという意味ではなく、最も多感な思春期を戦争中に過ごした世代という意味だ。自己を確立する最も重要な時期、まわりは軍国主義一色だったが、それが戦争が終わったとたんに民主主義と、価値が180度逆転してしまったわけで、既存の価値観を一切信じられなくなる。そして彼らは、自分の皮膚感覚のみを頼りに文学を始め、自己を確立しようとする。

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 彼らが売れない文学青年から、文学オジさんに差し掛かろうという昭和30年前後に、当時は地味だった文学イベントの芥川賞候補になるなどして、なんとなく一つの文学グループを形成しつつあった。それが揶揄的な意味で「第三の新人」と名付けられた。第一次・第二次戦後派と呼ばれた本格的な文学世代の、あとにやってきた小粒な三番手、といったニュアンスだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%96%B0%E4%BA%BA

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 平凡で自堕落な日常を送りながら、心の隅にニヒリズムを潜ませている。そして日常の裂け目から、かすかな実存世界を見定めようとする彼らの作品群が、自分の心性にぴったりはまって読みふけった。

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 近藤啓太郎安岡章太郎阿川弘之遠藤周作吉行淳之介等々、今となっては懐かしい名前ばかりだ。その当時、吉行の短編のなかにM・Mとして登場する女性のモデルが、宮城まり子だとういうことは、のちに作家自身が作中で明示することで知った。