【9th Century Chronicle 801-820年】

【9th Century Chronicle 801-820年】

 

薬子の変

*809.12.4/奈良 平城上皇平城京旧京に移り、藤原式家藤原薬子や兄の藤原仲成らが従う。

*810.9.10/ 平成上皇藤原薬子とともに東国に脱出し、重祚と平城再遷都を狙い兵を起こそうとしたが、嵯峨天皇は機先を制して企てを阻止する。

*810.9.12/ 平成上皇は出家、藤原薬子は自殺、仲成は射殺され、薬子の変は決着する。

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 天武天皇流が続いた奈良時代だが、光仁天皇からは天智天皇流に皇統がもどり、その子桓武天皇は、政事を刷新するため、平城京から山城の国長岡京に遷都する。桓武藤原式家藤原種継を、長岡京造営の造宮使(責任者)に抜擢する。

 ところがその種継が、長岡京造営の途上で暗殺され、そのあとも不吉な出来事が続いたため、桓武天皇長岡京を放棄し、その東北の平安京へ改めて遷都した。

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 桓武は、南都六宗と呼ばれた奈良既存仏教の強い影響力を厭い、その力を削ぐために遷都を選んだが、天武系の一族を始め、遷都反対勢力も多かった。晩年の延暦24(805)年になっても、平安京の造作が百姓を苦しめているとの藤原緒嗣の建言を容れて、造営を中断させている。

  桓武天皇延暦25(806)年3月17日に崩御、その子の平城天皇践祚した。しかし平城天皇は、皇太子時代より妃の母で夫のある藤原薬子を寵愛して醜聞を招き、父より薬子の追放を命じられていた。

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 即位した平城天皇は、薬子を尚侍として手元に戻し、その夫である藤原縄主は大宰帥として九州に赴任させてしまう。宮中では、薬子とその兄の藤原仲成が専横を極め、兄妹は人々の怨嗟の的になった。

 大同4(809)年4月、もともと病弱だった平城天皇が発病するが、これを宮中抗争で亡くなった親王たちの祟りと考えた天皇は、在位僅か3年で皇太弟の嵯峨天皇に譲位し,、大同4(809)年12月、平城上皇として旧都である平城京に移り住んだ。

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 このため平安京平城京に朝廷が並立し、薬子と仲成は平城上皇の復位(重祚)をめざし平城京への遷都を画策する。二所朝廷の対立が深まる中で、大同5(810)年9月6日に平城上皇は、平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出した。

 嵯峨天皇は遷都を拒否することを迅速に決断し、藤原仲成を捕らえ、薬子の官位を剥奪し、坂上田村麻呂を大納言に昇任させ、藤原冬嗣式部大輔に任じるなど、周囲を固めた。

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 嵯峨天皇の動きを知った平城上皇は激怒し、自ら東国に赴き挙兵することを決断し、薬子とともに東に向かったが、嵯峨天皇の命を受けた坂上田村麻呂に阻止される。挙兵を断念した平城上皇平城京に戻り、直ちに剃髮して仏門に入り、薬子は服毒自殺し、すでに捕縛されていた仲成は処刑される。

 こうして「薬子の変」はあっけなく鎮圧され、事件後、嵯峨天皇は寛大な処置をとることを詔し、上皇は平城法王として名誉をもって遇された。かつては薬子らが中心となって乱を起こしたと考えられていたが、律令制下の太上天皇制度が王権を分掌していることに起因して事件が発生した、という評価の下に、近年は「平城太上天皇の変」という表現がなされるようになった。

 

最澄空海

*805.6.-/ 遣唐使藤原葛野麻呂とともに、最澄が帰国する。

*806.1.26/ 最澄がもたらした天台宗が公認される。

*806.8.22/ 空海が帰国し、真言宗を伝える。

*812.-.-/ 空海の「風信帖」ができる。

*815.-.-/ 最澄が東国での布教活動を始める。

*818.5.13/ 最澄天台宗の根本を説いた山家学生式を定める。

*819.3.15/近江 最澄が、比叡山戒壇設置を請願する。

*819.5.3/紀伊 空海が、高野山金剛峯寺を建立する。

*820.2.29/京都 最澄が「顕戒論」を著し、天台の自立をめざし南都勢力に反論する。

*820.-.-/ 空海が東国に布教を始める。

  

(この時期の出来事)

*802.4.15/陸奥 蝦夷の総帥アテルイが、征夷大将軍坂上田村麻呂に降伏する。

*806.3.17/ 桓武天皇(70)没。

*810.3.10/ 令外官として、内政を仕切る「蔵人所」が新設され、藤原冬嗣らが蔵人頭となる。

*814.-.-/ 勅撰漢詩集「凌雲集」が完成する。

*816.2.-/京都 京の治安強化のため「検非違使」が設置される。

*818.-.-/ 勅撰漢詩集「文華秀麗集」が完成する。