『小野小町と小町伝説について』2/2

 今から、種々の小町伝説を取り上げて先に分類した歌と結びつける作業に移るわけであるか、残念なことに私の手元にはほとんど資料がない。たった一冊だけあることはあるのであるが、それが資料として利用するには甚だ心もとないものである。手の内を見せてしまうことになるが、ここでその唯一の資料、というよりも種本[たねほん]に近いものとして利用しようとする書物を紹介しておきます。
 吉行淳之介著『小野小町』がそれである。これは、著者自身「戯作」と称する作品で、週刊誌上に連載された小説である。小説である以上、それを資料として用いるということ自体に問題があるのであって、そこから生じる誤りの責任は当然私の方にある。しかしまあ、そんな堅いことを言っても仕方がないので、この小説で取り上げられている伝説を引用させていただきます。なお、この小説における著者の解釈はすこぶる興味深いので、この点に関しても大いに頼らさせていただくことになります。

 まず有名な、深草少将百夜通いの伝説を取り上げよう。言い寄る深草少将の心の誠を試みるため、小町が少将に百夜通いすることを課す、という噺である。この説話はかなりすんなりと、分類Cの系統の歌からくる小町につながる。この説話に於いては、小町は少将に惚れられた強い立場にあり、結局少将は百日目の晩に雪の中で倒れるという、悲劇とも喜劇ともつかない落ちになっている。
 ところで、前出の吉行氏の小説の中では、藻之瀬[ものせ]二郎説なるものが紹介されている。著者吉行氏が古本屋で見つけた『小野小町』という書物の著者が藻之瀬二郎であり、その書物からの引用という形で吉行氏の小説に書き込まれているのが藻之瀬説である。その藻之瀬説に於いては、小町と少将のやり取りが、全く別の方向へすこぶる面白く展開されているのであるが、長くなるのでここでは省略せざるをえない。ない、この藻之瀬二郎とその著書なるものは、小説の中では明言されていないが吉行氏自身のでっちあげではないか、と私見する次第である。


 次に取り上げるのは、いわゆる髑髏[どくろ]伝説なるものである。簡単に紹介すると、落魄窮死した小町の髑髏が行きすがりの旅人に語りかけ「秋風の吹くたびごとにあなめあなめ 小野とはいはじ薄[すすき]生ひけり」という歌を詠む、といった筋書きである。誰のものとも判別できない髑髏の眼窩から薄が生い出ているという粛々たる風景は、容色の衰えを悔む分類Bの系統の歌を延長した線上にあり、しかもその最極点に位置するものであろう。これに類似したもので落魄した小町の後日譚の系統の説話はかなり多くあるようである。なぜ絶世の美女であった小野小町が、このような老醜をさらす説話に登場しなくてはならなかったのか。これはかなり興味深い問題だと思われる。後世の仏教的無常観や儒教観が何らかの作用を及ぼした、ということは十分に考えられることである。しかしそれだけでは納得しきれないような要素が残るように思われる。私は次のように考えてみたい。
 小野小町は絶世の美女ということになっている。ありふれた平凡な男女にとっては、とうてい手の届かない位置にあるのである。そこで、これでは癪だから何とか自分たちのレベルにまで引きずり降ろしてやろう、いうことになる。つまり、「美人美人と言うけれど婆[ばばあ]になれば皆同じ」という糞リアリズム的発想へと行きつくのである。この発想が逆に働くと、最初から自分たちとは比較不可能な神様の位置にまつり上げてしまうことになる。その例が御伽草子に見られるようである。「小町草紙」という説話で、小町という色好みの遊女が実は如意輪観音の化身であった、という噺である。まるで古典落語の世界のような、荒唐無稽でユーモラスなこの噺は、私の好みに合いそうなので一度原文にあたってみたいと思っている。


 最後に、分類Aに属する歌、つまり遂げられぬ想いを嘆く歌に結びつく伝説を取り上げようと思うのであるが、なかなか適当なのが見当たらない。やむを得ず、鎖陰伝説なるものに登場願うことになった。これは伝説というより俗説と呼ぶのが適当なもので、噺の筋書きも何もありはしない。要するに、小町は鎖陰であったという俗説である。鎖陰とは吉行氏の説明を引用させてもらうと、「要するに男性と交わることが不可能な陰部構造」ということが分かればよろしいとのことである。ちなみに、糸を通す穴のあいていない針を小町針と呼ぶのは、この俗説に由来するらしい。
 想いが遂げられないで夢を頼みにしている歌など、フロイト流の分析でも用いれば何とか鎖陰伝説にこじつけられそうである。また、「想いが遂げられない」という意味を適当に解釈すれば、もっと直接的に結びついてしまう。しかしここで重要なのは、如何なる過程を経てこの俗説が形成されたのか、という問題である。この点については吉行氏の絶妙な解釈があり、私もその見解に賛成なのでここで簡単に紹介しておこう。
 小野小町は絶世の美女であり、また歌才にも秀でていた。いわば、当時における才色兼備の大スタアであったのである。となるとファン気質としては、特定の人物にスタアを独占させないためには、女性としての肝心な部分を抹消してしまえ、ということになる。こういうプロセスで、小町の躯から局部が消え失せた。(もちろん、人々の観念上に於いてである)以上が吉行氏の解釈である。このようにして形成された俗説は、小町自身が詠んだ歌とも微妙に結びつけられて流布されていったのである。


 いわゆる小町伝説として総称されているものは、必ずしも起源を歌人小野小町にもつものばかりではなく、全く異なった起源に発するものも多いということである。しかしながら、その区別が判然とせずに、小町伝説として小野小町に結びつけて伝えられてきたからには、やはりそれなりの結びつく要素があったからであろう。とすれば、その結びつきに視点をあてて、その糸をたぐってみるという作業にも、それなりの意味を与えることができる。そのような観点から、このレポートを書くに至った次第である。もっとも、かなりデタラメな作業ではありましたが……。
 なお、前記の書以外に、目崎得衛著『在原業平小野小町』(筑摩書房刊・日本詩人選6)を参考にさせていただきました。