【アメリカの歴史】07.インディアン戦争-2(1622年~1890)

アメリカの歴史】07.インディアン戦争-2(1622年~1890)

 

 北米のインディアンは部族社会で、無数の部族がそれぞれ独立して居住していた。そこへ白人入植者たちが入り込んできたため、自分たちの生活を守るために対抗したが、インディアン部族が一体となって白人入植者と戦うことは無かった。

 

 アメリカ独立戦争時には、英国軍に引き込まれた部族が、アメリカ独立軍と戦うという構図があった。「チカマウガ戦争」は、独立戦争に巻き込まれたチェロキー族と入植白人の間の一連の紛争があり、1794年まで続いた。また、1787年の「北西部条例」によって、北西部領土(五大湖南部でオハイオ川と挟まれた現オハイオインディアナなど)が白人入植者のために組み込まれると、北西部のインディアンたちはこの「領土侵犯」に対抗して「北西インディアン戦争」と呼ばれる抵抗戦を戦った。

f:id:naniuji:20211201203849j:plain

 イギリスは、インディアンとの連携関係を無視して、1795年のグリーンヴィル条約を合衆国と調印し、インディアンはオハイオ全部とインディアナの一部を奪われることになった。独立戦争や北西インディアン戦争を経て米英戦争の後には、イギリスがインディアンとの同盟関係を放棄したため、以後インディアンはアメリカ合衆国と直接に向かい合う構図となった。

 

 「インディアンは滅ぼされるべき劣等民族である」と主張するアンドリュー・ジャクソン第7代大統領は、1830年に「インディアン移住法」に署名した。インディアン移住法は、インディアンを白人のいない西部の準州(現オクラホマ州)などに強制移住させ、白人社会に同化させるという民族浄化政策であり、これに従わない場合「そのインディアン部族は絶滅させる」とジャクソンは宣言した。

f:id:naniuji:20211201204213j:plain

 東部と同様に、新しく合衆国領土とされた「ミシシッピ川西部」の大平原や山岳地でも、入植者による植民地の拡張によってインディアン部族との紛争が増大した。大平原では、北部のスー族・シャイアン族・コマンチ族・カイオワ族、また南西部ではアパッチ族たちが、白人の領土侵犯に対して激しい抵抗を行った。

f:id:naniuji:20211201204416j:plain

 南北戦争の間も白人とインディアンの抗争は続き、1862年の「ダコタ戦争(暴動)」は、アメリカとスー族の間の最初の大規模衝突であった。狭い保留地に強制移住させられていたスー族は、ちょっとしたいざこざが契機となり、ミネソタ州全土を覆う激しい戦いとなった。この戦いで捕縛されたスー族は300人が死刑宣告され、リンカーンの「寛大な処置」でうち38名のスー族戦士が一斉絞首刑に処せられたという。

 

 南北戦争中から建設が始められた大陸横断鉄道は、1869年の最初の開通以来次々に開業してゆき、アメリカは実質的に国土が一つとなった。それによりミシシッピ川より西の中・西部の開拓が進み、それとともにインディアンとの戦いも頻発した。

 

 グレートプレーンズ(大平原)などで数千万を超えたバッファロー(アメリカン・バイソン)は、鉄道建設の邪魔になるとして、合衆国による組織的なバッファロー絶滅作戦でほぼ絶滅された。インディアンたちは生活の糧を奪われ、その人口も大幅に減少して保留地で飢えることとなった。

f:id:naniuji:20211201204735j:plain

 1876年、ダコタ・ゴールドラッシュがブラックヒルズに巻き起こった時に、最後の重大な「スー族戦争」が起こった。ブラックヒルズ一帯はスー族の不可侵領土だったが、金が出たあとはまったく無視され、白人の荒らし放題だった。合衆国軍はついに条約を自ら破り、スー族の掃討作戦に出た。

 

 ジョージ・アームストロング・カスターは、南北戦争で軍功を上げ頭角を現していた。この名誉欲にかられた男は、自ら「将軍」と名乗り、幾つものインディアン掃討作戦を指揮し、容赦のない軍事絶滅作戦を展開した。しかし「リトルビッグホーンの戦い」では部隊ごと全滅させられ、英雄にまつり上げられた。

 

 幾つものインディアン掃討作戦で功を上げたカスターは、1876年、インディアン掃討軍の第7騎兵隊の連隊長として参加する。作戦はリトルビッグホーン川(グリージーグラス川)をさかのぼって南下進軍し、モンタナ州南東部のスー族の本拠を三つの部隊で包囲するものだった。

 

 カスター隊のインディアン斥候は、河沿いに集結していたインディアン諸部族の野営地を発見した。別隊が野営地を襲って戦っているなか、カスターは独断で部隊に総攻撃を命じた。インディアンの野営地には、宗教行事「サン・ダンス」と会議のために諸部族の多数が集結していた。

f:id:naniuji:20211201205352j:plain

 カスター隊はインディアン連合部隊によって挟撃され、逃げ場を失ったカスターの本隊は全滅、カスターもろとも直属の225名が全員戦死した。しばしば「インディアン側による奇襲虐殺」と語られるが、インディアンたちは儀式や会議のために集まっていたのであり、そこを突然カスター側から仕掛けられたのだというのが事実のようだ。この「カスター最期の戦い」はかなり美化されて描かれ、名誉欲にかられた男を英雄に仕立て上げ流布した。

 

 やがて、有名なアパッチ族の戦士(酋長というのは白人側の誤認)ジェロニモの降伏や、1890年のウンデット・ニーの虐殺以降、インディアンによる軍事的な反乱はなくなった。代わって20世紀になってからは、「レッド・パワー運動」などの権利回復要求運動が強まり、「インディアン」という呼称改善に始まり、「ハリウッド西部劇映画」などによる歪曲された民族イメージの恢復運動が盛んとなっている。