【アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5

アメリカの歴史】22.[番外]アメリカ政党史概観2/5

 

 1775年の「アメリカ独立戦争」から1890年の「フロンティアの消滅」にかけて、アメリカ合衆国は西へ西へと領土を広げていったが、南北戦争後にはほぼ共和党が政権を握った。まずフランス領ルイジアナの買収から、イギリス領カナダの一部を交換で獲得するなどして、ミズーリ川西岸地域が領土となり、さらにメキシコから独立していたテキサスを併合、スペインからフロリダを購入し、またオレゴンを併合して領土は太平洋に到達した。さらに、メキシコとの米墨戦争に勝利しカリフォルニアを獲得するなど、ほぼ今の合衆国の領土に近づいた。

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 しかし、グレートプレーンズからロッキー山脈にいたる峻厳な自然に阻まれ、インディアンとバッファローが散在するだけの荒れ地や山地が横たわっており、やっとフロンティアを西に進める本格的な西部開拓史が端緒に着いたが、西部開拓は困難をきわめた。東西交通は馬車で4000m級の険しいロッキーを越えるのは困難で、西海岸に船舶で行くには、南米大陸の南端を回る為、移動に4ヵ月以上を要した。

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 この困難を解消するため、リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の基幹となる「大陸横断鉄道」の建設を進めた。南北戦争の勝利で黒人奴隷は解放されたが、解放後の対策は不十分で、大半の黒人はシェアクロッパー(分益小作人)として南部地主のもとにとどまった。そのため北部が期待した労働者になるものは意外に少なかった。

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 そのため大量の労働者を必要とした大陸横断鉄道の建設には、新たな移民が動員された。東側には、ジャガイモ飢饉で本国に住めなくなったアイルランド移民などが多く動員され、西海岸には、船で太平洋を横断して直接に運ばれる中国人移民が大半となり、苦力(クーリー)と呼ばれた。

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 1869年に最初の大陸横断鉄道が開通し、順次開業していくと、アメリカは実質的にも精神的にも、やっと国土が一つとなった。合衆国は、鉄道建設の邪魔になり、西部のインディアンの生活の糧でもあるバッファロー(バイソン)を、絶滅させる作戦をとった。さらに一連の「インディアン戦争」と呼ばれるインディアン部族の一斉蜂起も鎮圧し、1890年には、インディアンの掃討作戦は終了したとして「フロンティアの消滅」が宣言された。

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 フロンティアの消滅が公式に宣言され、インディアン戦争も終わりを告げ、西部開拓の時代も一段落した。ヨーロッパ列強はアフリカやアジアに植民地を獲得しつつあったので、アメリカも更なるフロンティアを海外へ求め、外に目を向けるようになった。

 

 1889年にパン・アメリカ会議が開催されると、これを契機にアメリカはラテンアメリカへの進出を始める。1896年のアメリカ合衆国大統領選挙で、「共和党ウィリアム・マッキンリー」が勝利を収めると、国内産業を育成し急速な成長と繁栄の時代を到来させ、南北戦争で出遅れたアメリカも、帝国主義に参戦した。

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 1898年、米西戦争が勃発すると、アメリカ軍はスペイン艦隊を壊滅させ、キューバとフィリピンをスペインから獲得するとともに、ハワイ共和国を併合、お膝元のカリブ海や太平洋地域に勢力圏を確保した。マッキンリーは暗殺されるが、副大統領の「セオドア・ルーズベルト」が後任となり、「ルーズベルト命題」を発表し、ラテンアメリカ諸国がアメリカの権益化にあることを宣言した。

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 そして、太平洋への経路としてパナマ運河建設権を得て、運河地帯の永久租借権を獲得した。太平洋の対岸の東アジアでは、西欧列強により中国の分割が進んでいたが、セオドア・ルーズベルト大統領は、清国の門戸開放を提唱して、アジアへの進出をもくろんだ。