【18th Century Chronicle 1776-80年】

【18th Century Chronicle 1776-80年】
 

◎物見遊山・芸事趣味世界の広がり

*1776.-.-/京都 八文舎自笑が「役者論語(やくしゃばなし)」を編集刊行、演劇人の必読書となる。

*1777.-.-/江戸 「江戸じまん評判記」など、江戸の名物・名店などの評判記が多数刊行される。

*1778.9.-/出羽 秋田で蘭画ブーム。秋田藩佐竹曙山が「佐竹曙山写生帖」を作成し、西洋画論を展開するとともに、数多くの植物の写生画を収録。

*1780.8.-/京都 秋里籬島作・竹原春潮斎画の「都名所図会」が刊行され、爆発的人気となる。宇治茶が名産となるのも、この図会のころから。
 


 平賀源内が、宝暦13(1763)年に刊行した博物書「物類品隲」が先鞭をつけた図解書が、名所図会的な評判記として幾つも出版されるようになった。また芸事や趣味の指南書的な実用書類も出るようになった。これは庶民までを含めて、物見遊山の余裕ができ、一方で芸事や趣味世界に興じる余地が広がってきたことを示している。
 


 江戸では、「江戸自慢」と称する名物番付刷り物が評判となり、これに刺激を受け名物評判記がぞくぞくと出版された。3冊ものの「江戸じまん評判記」は、役者評判記に擬して呉服屋・札差・薬屋・地本問屋(版元)・菓子屋・茶屋など六十数軒の江戸名物を産する店舗を位づけした。


 また「富貴地座位」は、京都・江戸・大坂の名物を一冊ずつにまとめたもので、江戸の巻では、衣服・酒・戯芸などに分けて名物を列挙、江戸鹿子・江戸紅摺絵(錦絵版画)・江戸紫染がトップに位付けられている。今で言えば、ミシュランガイドのお江戸版と言うところか。
 


 一方、京の都では、秋里籬島作・竹原春潮斎画の「都名所図会」6巻11冊が刊行された。如何にも京都らしく、寺社仏閣・名所旧跡・伝説・風俗習慣・年中行事が網羅され、それに名物・名産が並ぶ、まさに京ガイドである。京都寺町の版元吉野屋為八では、4000部を完売、増刷の製本が間に合わないほどの爆発的人気だったという。
 


 それまでは地域住民の間で口づてに広がっていたに過ぎない名物名産が、このようなガイドブックに収録されることで、江戸や京に物見遊山に来る外部の観光客にも、立派な指針となった。
 

(この時期の出来事)

*1776.4.13/江戸 将軍家治が、日光社参のため江戸を出立する。

*1776.11.-/江戸 平賀源内が、エレキテルを制作する。

*1777.4.12/佐渡 佐渡相川の銀山の工夫らが、米価引き下げを要求して罷業・逃散する。

*1777.5.23/ 幕府は、村々からの出稼ぎ人を制限するようお触れを出す。

*1778.7.5/佐渡 江戸市街で無宿人取り締まりを強化、無宿人60人が水替人足として送り込まれる。

*1778.秋/伊豆 伊豆大島三原山が、春に続いて大噴火する。

*1778.-.-/江戸 高利貸の鳥山検校ら10人が、不法貸付などで捕らえられる。

*1779.4.-/ 全国的に異常寒波に襲われ、各地で大雪が降る。

*1779.8.7/蝦夷 前年ロシアから通商の申し入れを受けた松前藩が、これを拒絶する。

*1779.10.1/大隅・薩摩 桜島が大噴火し、大きな被害を出す。

*1779.12.18/ 平賀源内が獄死する。

*1780.11.22/ 国学者本居宣長が、儒者の市川匡麿への反批判の書「葛花」を著す。

*1780.-.-/信濃 諏訪大社に壮麗な新社殿が完成する。