【17th Century Chronicle 1666-70年】

【17th Century Chronicle 1666-70年】

 

◎浅井了意と仮名草子

*1666.1.-/ 仮名草子作者の浅井了意が、怪異小説集「御伽婢子」を刊行する。

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 「御伽婢子(おとぎぼうこ)」は江戸時代に編まれた浅井了意による仮名草子であり、中国の怪異小説集などに話材をとり、舞台を室町時代・戦国時代の日本に移した翻案短編小説の形をとっている。

 

 中国の奇談集・怪異小説を直訳した書物は幾つもあるが、御伽婢子は翻案による分かりやすさからひろく読まれ、同種内容の仮名草子が多く出されることになった。御伽婢子ないしは婢子(ほうこ)とは、魔除けの意味も込められた子供用の布製詰め物人形で、這う子を形どった「はうこ」が転じたもの。

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  「御伽婢子」や続編の「狗張子(いぬはりこ)」で取り上げられた怪異譚は、のちの上田秋成の「雨月物語」や、近代になってからの泉鏡花小泉八雲ラフカディオ・ハーン)などの怪異物語に大きな影響をあたえている。

 

 また、明治期になってから三遊亭圓朝によって完成された落語「怪談牡丹灯籠」も、御伽婢子に収録された「牡丹灯籠」を下敷きに創作された。了意の手による「牡丹灯籠」を下記にリンクするが、文語体であっても驚くほど読みやすい平易な文章である。

 牡丹灯籠(原文)>

http://ocw.aca.ntu.edu.tw/ocw_files/104S105/104S105_AA11R03.pdf

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 浅井了意は、父が本照寺の住職の座を追われたため、彼も浪人しながら学び儒学仏道神道の三教に通じた。のちに京都二条本性寺(真宗大谷派)の昭儀坊の住職となり、仏教書・和歌・軍書・古典の注釈書などを著す一方、「仮名草子」と呼ばれる読み物作品を多く著す。

 

 「御伽婢子」も仮名草子の一つで、ほかにも「堪忍記」「可笑記評判」「本朝女鑑」を刊行するとともに、明暦の大火を題材にした「むさしあぶみ」を書き、一方で「江戸名所記」「東海道名所記」「京雀」などの名所記を著すなど、多岐にわたる著作をものにした。

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 中でも「浮世物語」は、浮世坊が諸国を遍歴する物語という体裁をとり、武家の悪政や悪徳商人の横行など世間の社会悪を笑話として婉曲に批判し、教説性の強いそれまでの「仮名草子」と一線を画しており、このあと元禄期に井原西鶴らによって展開される「浮世草子」に連なる作品とされる。

 

 浅井了意は、元禄以降に登場する井原西鶴近松門左衛門らと比して、あまり著名ではないが、その幅広い教養をもとに、庶民の生活を面白おかしく描き出し、「むさしあぶみ」のように明暦の大火を題材にしたルポルタージュ的な作品から、江戸や京都の名所記の体裁をとった地誌的な作品など、きわめて広いジャンルの作品を残している。

 

 当時多かった大仰な修飾を排し、平易な文章で事象にそって事実を淡々と述べてゆく了意の文体は、明治になって二葉亭四迷らが苦心して展開した「言文一致体」を先取りした骨格を持っている。昨今でいえば、ジャーナリストの資質を持った文章家と言えるのではないか。

 

(この時期の出来事)

*1666.3.29/ 老中酒井忠清大老となる。

*1666.10.3/播磨 「聖教要録」で朱子学を批判した山鹿素行が処罰され、赤穂藩に預けられる。

*1667.閏2.18/ 幕府は、既に派遣墨の関八州を以外の諸国にも、巡見使を派遣する。

*1668.4.11/陸奥 会津藩保科正之が、家訓15ヶ条を定める。

*1668.7.13/京都 幕府が京都町奉行を設置する。

*1669.6.-/蝦夷 東蝦夷アイヌ首長シャクシャインが蜂起する。

*1670.6.12/江戸 林春斎が「本朝通鑑」273巻の編纂を終え、将軍家綱に献上する。