【19th Century Chronicle 1879年(M12)】

【19th Century Chronicle 1879年(M12)】
 

*3.27/沖縄 琉球藩王廃藩置県を通達、半強制的に沖縄県とする。(琉球処分
 


 「琉球王国」は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した。沖縄諸島を中核として独自の勢力圏を持ち、東シナ海の中継貿易で大きな役割を果たしたが、完全な独立王国ではなく、中国大陸の明・清の「冊封」を受けていた。


 1609年には日本の薩摩藩の侵攻を受けて、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として、中国と日本の両方に朝貢し、両国の文化の影響を受けつつ独自の文化を築き上げていた。
 


 明治維新になって政体が変ると、1871年、明治政府は「廃藩置県」によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄とした。しかし、翌年には「琉球藩」を設置し、琉球国王尚泰を「琉球藩王」として華族に列した。明治政府は、清国との冊封関係絶つことを再三迫ったが、琉球は従わなかった。


 そのため1879年3月、琉球処分松田道之は、軍隊300名余、警官160名余を率いて首里城に入り、城の明け渡しと廃藩置県を布告、琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされた。沖縄県令として前肥前鹿島藩主の鍋島直彬が赴任し、琉球王統の支配は終わった。この一連の過程を「琉球処分」と呼ぶ。ただ、清はこれを認めず、両国間での琉球帰属問題は棚上げのまま、1894年(明治27年)の日清戦争で決着を見ることになる。
 
 

〇この年の出来事

*6.27/ 虎列刺(コレラ)病予防仮規則を定め、発病の届け出を義務づける。

*8.5/新潟 米価暴騰とコレラ予防のための生産物の販売禁止に反対して、一揆が起きる。ついで、愛知・石川・埼玉など各地で、コレラ予防対策に反対する農民暴動が起きる。(コレラ一揆

*8.10/東京 明治天皇が、来日中のグラント前アメリカ大統領と会談する。

*9.29/ 1872年(明治5年)公布の「学制」を廃止し、国民の重い負担に配慮して「教育令」を公布し、就学に関する規定を緩和した。