【ロートレアモンとシュルレアリスムとの偶然の邂逅】

ロートレアモンシュルレアリスムとの偶然の邂逅】
 

”Salvador Dalí - Sewing machine with umbrellas”

 シュルレアリスムを語るときに、必ず引き合いに出されるロートレアモン伯爵の一節「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い(のように美しい)」

 これは、無名のまま人生を終えた若者、ロートレアモン伯ことイジドール・リュシアン・デュカスが、かろうじて自費出版で残した『マルドロールの歌』の中の一節だ。
 
$『マルドロールの歌』(ロートレアモン著1868/栗田勇訳1974)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3/dp/4329001527/ref=pd_lpo_sbs_14_img_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=AY52YM1ZX3D1MGSN4QP7

 

 学生の頃、詩人栗田勇訳で入手した「マルドロールの歌」には衝撃を受けた。その「第一の歌」には次のような一節がある。
 

 《まず二週間、爪を伸ばしっぱなしにする必要がある。おお、なんという素晴らしさ、上唇のうえにまだ産毛も生えていない、目をぱっちりとみひらいた子供を、ベッドから荒々しくもぎはなし、その美しい髪をうしろになでつけながら、額を心地よく撫でるふりをする! それからとつじょ、不意をついて、長い爪をぐっさりと、だが殺してしまわない程度に柔らかい胸に突きさすのだ。》

 

 なぜ、このような残酷な話を、と考える人には文学をかじる資格もない。この残酷さは、人間固有の、しかも青春期に固有の残酷さの表現であって、他の動物にはみられない。


 人の無意識世界に漂うこの残酷は、野生でもなんでもない、まさしく「人間」なのであって、それが、アンドレ・ブルトンやフィリップ・スーポーなどのシュルレアリストによって「再発見」された。ロートレアモン伯爵と名乗った若者は、伯爵でも何でもなく、パリの貧相な下宿部屋で、20代で孤独な一生を終えた独りの若者でしかなかった。

 このような文学空間の空気は、たしかに一度は吸ってみたい気がする。
 

 「解剖台の上での・・・」の一節は、「デペイズマン」の例として引き合いに出されるのだろう。これは、意外な組み合わせをおこなうことによって、受け手を驚かせ、途方にくれさせるというシュルレアリスムの一手法として組み込まれた。

 いくら意外とはいえ、ウナギと梅干しみたいな「食い合わせ」では、腹痛を起こして終わりなんだろうが(笑)

 若い時に、何となくまね事でやってみたことはある、読んで笑うな(笑) http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20141028
 

*「ロートレアモン伯爵」 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5
 
*『シュルレアリスム(Surrealism 超現実主義)』山田視覚芸術研究室 
https://www.ggccaatt.net/2012/02/28/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0/