人体と人格のメタモルフォーシス01-03
【人体と人格のメタモルフォーシス01-03】
われわれは、自分の躯については「健常」であってほしいと願っているはずである。その躯が変形したり断裂したりする場合の恐怖と不安が、ここで取りあげる「人体変形怪談」の原点にあるとおもわれる。
さらに、人間の躯というものはそれ自体で生々しさを感じさせるものである。それがさらに変形をこうむったり部分化されたりすることによって、不気味さや、あるいはグロテスクな滑稽さまでおびてくる。というよりむしろ、人体のもつ生々しさを昇華するために、人々は恐怖化と滑稽化の物語を作っていく傾向があるのではないかと考えられる。全体を眺めてみると、恐怖よりさらに滑稽化にまで進んだ話の多いのがこのジャンルの特長であろうか。
このような肉体の変形は、単に物理的な身体だけの問題にはとどまらない。「精神」というものが「肉体」を超越して存在するのでないことは、近代の進展によって明白になりつつある。「肉体に問いたずねる」というニーチェの戦略をまつまでもなく、もはや精神と肉体は明瞭に分離不可能である。となれば、人体の変形は人格の変成であり多様化でもある。上記の人体の変形によるグロテスクなあらわれは、われわれ現代人の精神の不気味さをもものがたるといえよう。