現代伝説考29

ホルマリン漬けの・・・

2.水と死体
『#423-1死体洗いのバイト』
《死体が浮くかどうかの専門的なお話ではないのですが、「死体洗いのバイト」と共に、「浮いてくるホルマリン漬けの死体を沈めるバイト」という話もあったことを、ふと思い出しました。》
 すでに「医学伝説」でのべた「死体洗いのバイト」系列の話題である。水ないしはホルマリンに浮かぶ死体から「羊水中の胎児」という原イメージを思いうかべることはないであろうか。いずれにしろ液体中に浮遊する死体からは、火葬されたり土中に埋葬された死体とは異なった生々しい不気味さが感じられる。

 解剖用の死体を水で洗ったりホルマリン液に漬けたりという「死体洗いのバイト」は、だれもがその現場に遭遇したはずがないのにリアルな場面を思い描くことがでる。液体のもつ透明感と、死体のもつ生々しさの対比がこの現実感をかもしだすのであろう。

 われわれの人生を「流れる水」にたとえれば、その行く末が死体を漬ける「淀む水」というのはあまりにも悲惨である。そこには、われわれが存在すると信じていた精神の宿る場はまったくない。霊魂の不滅でも信じないかぎり、肉体から切り離された「形をとりそこねた精神」は、「淀む水」のなかにはかなく消えるほかないのである。

 われわれの生を「流れる水」といっても、かならずしも自然の流水とはかぎらない。さきに都会生活を水族館にたとえたが、人工の流水装置で流れをつくり出されている水槽のなかの魚にすぎないかもしれないのである。自由に泳ぎまわっているようにおもえても、ひたすら同じところをぐるぐる巡っているだけなのかもしれない。

 鮫のような魚類は、つねに泳ぎまわってエラに流水を注ぎつづけないと窒息死するらしい。われわれ現代人もまた、目的はただ「泳ぎ続けること」だけに定められてしまっているかもしれないのである。

『#100-1温泉の老人死体』
《いやあ、M込温泉ですか。殆ど地元のようなものです。去年引っ越してしまいましたが...。
 あの辺りの「温泉」は大抵黒褐色ですね。「単純なんとか泉」というそうですが。
 同じ大田区の池上にもH松温泉という二階が宴会場になっていて平日の昼間からジジババが民謡で盛り上がるところがあるのですが、そこのお湯も真っ黒です。
 で、ぬるい湯と熱い湯の浴槽があって、熱い湯の方は深い。1M30CM位はあるでしょうか、しかも物凄く熱いのです。
その深くて熱い浴槽にも、ご紹介のような逸話があるようです。
 全然関係ないけど池上というところは湯屋が多いところで、今挙げたH松が朝の10時から、すぐ近所のT海湯は開くのは夕方ですが夜2時までやっていて、うちブロがなくても殆ど不便しません。
 更に関係ないけど、子供の頃、禿頭のおじいさんが湯屋の脱衣所でぶっ倒れたのを目撃したことがあります。蛸みたいに真っ赤になって、頭から湯気をたてていました。このとき聴いた、遠くから近づいて来る救急車のサイレンの音は忘れません。》
 これもまた、すでに「風呂場伝説」の項でふれた「温泉に沈む老人死体」の関連話題である。この種の浴槽に沈む死体の系統の話は、当事者が老人であることが特長的であった。老人に起こりやすい事態であるという現実的な理由もちろんだが、多数の人の入っている風呂場で人知れず沈んでいるというところには、現代の老人の孤独といったテーマがかぶせられているとも考えられよう。

 しかしながら、もっぱら「人間スープ」になったり「人間チリ鍋」になったりと、当人に同情するのではなく突きはなした滑稽譚になっているのがほとんどであった。このあたりは、現在の老人たちの置かれている状況を物語っているかのようである。

『#117-3シャワー室の浮浪者死体』
《シャワー室には以前は浴槽があった。しかしあるとき浮浪者が入り込んだらしくどういうわけか浴槽の中で死んでいた。
以来、浴槽は撤去され、シャワーのみになった。》
 これも同様の孤独な死のひとつである。そして、その生の痕跡は跡形もなく取り払われる。