【猫のことなど】

mujineko

【猫のことなど】
 

(一)
 子どもの頃、何代かにわたって猫を飼ってもらったが、雌猫は子どもを生むと困ると言って雄猫ばかりだった。雄猫は、数年すると帰ってこなくなる。いまと違って、猫は放し飼い、勝手に餌を食べて、昼寝して、夜になると遊びに出かける。そして突然帰って来なくなる。母親にたずねると、「猫獲り」というのが来て、捉まえて三味線の皮用に売られるのだそうだ。

 学校から帰ると、カバンを放り出して一日中猫と遊んでいた。可愛がるというよりオモチャにしていじる感じなので、猫自身はいささか迷惑そうだった。犬と違って、猫はマイペースに振る舞うので、飼っているというより、勝手に共棲している感じだった。

 小学校低学年で作文を書かされると、毎回三行で終わってしまう。毎回、原稿用紙に向かうと、今日は良い天気でした、明日も良い天気でしょう、おわり、なんて感じで終わってしまう。先生は、思ったことを素直に書きなさいというが、何も思っていないのだから、書きようがないのだ。

 あるとき、仕方なく猫のことを書きだした。そうしたら、何枚でも書けるのに気付いた。一日中猫と遊んでいるのだから、そりゃあいくらでも書くことが出て来る。次回も「猫のこと、つづき」とか題して、毎回連載することにした(笑) かくして地域の文集にも掲載されることとなり、作文の上手な生徒と思われるようになった。

 いま思うと、文章を書く基本がここにある。先生が言うように「思ったこと」を書くのではなく、「見たこと、観察したこと」を書くのだと思う。その中で必然的に表れてくる個性を「文体」と言うのだと思うのでアリマス。
 

(二)
 同じく子どもの頃、九十歳近い婆ちゃんはトイレが近くなったからと、裏の離れに住むようになった。当時飼っていた雌猫も、祖母と一緒に離れで生活していた。雌は用心深くてあまり外に出ないので、長生きして、人間だとすればこちらも老婆の年齢になっていた。

 祖母は離れで独り、寝る前に一升瓶に入った合成の安い葡萄酒を、湯呑に一杯ついで飲む習慣だった。一杯やりながら、話し相手が居ないので、猫に話しかけたりしているのだが、その姿が裸電球に照らされて、窓に影絵として映し出される。夜にトイレに行くと、その影絵がゆらゆらと見えてきて、子供心には怖ろしげに映ったものであった(笑)

 そのうちに、祖母が亡くなった。独りぼっちに残された猫が可哀そうだと、家族は祖母の寝床を敷いたままに残してやっていた。気落ちしたのか、雌猫もあまり餌を食べなくなり、祖母の布団に潜りこんで独りで寝ていたが、一週間ほどした朝、そのまま寝床で冷たくなっていた。歳が歳だから、老衰で死んだのだろうと家族で話した。飼い主の後を追うというと因縁話めくが、これは実際の経験だった。
 

(三)
「両方に ひげのあるなり 猫の恋」・・・漱石の『猫』で、苦沙弥先生がこの句を目にして一人で大笑いする、なんてシーンがあったかと思う。江戸時代の俳人小西来山の句らしい。「猫の恋」はれっきとした春の季語で、歳時記にも載っているようだ。