【中秋の名月に寄す】

meigetu

中秋の名月に寄す】
 

「名月も スマホで撮れば こんなもん」(笑)

 今夜が中秋の名月だというので、いちおう夜空を見上げて写真を撮ってみたが、これじゃいかんと思って、いくつか画像を探してみた。
 



「両方に ひげのあるなり 猫の恋」 小西来山

 「猫の恋」はれっきとした春の季語で、漱石は歳時記でこの句を見つけて、ひとり笑いころげていたという。しかし、これは中秋の名月とは関係ない。
 


 印象的な月のイメージといえば、映画『E.T.』の月面にかかる空飛ぶ自転車の陰。閑話休題
 

 旧暦(太陰暦)で8月15日の月を「中秋の名月」と呼ぶらしい。今年(2017年)は、本日10月4日がそれに当たる。しかし今夜の月は、十五夜(満月)ではなくて十三夜月だとのこと。つまり10月6日が、本来の満月になる。

 

 なぜそのような事になるかというと、よく分からないが、月の公転が楕円軌道になっているからだということだ。まあ、そんなこと分からなくても、兎に角、月見団子でも食って月を眺めればいい。なぜ兎に角があるのか、それもほっておこう(笑)
 
 

 ところで、満ち欠けする月には、風情のある呼び名が付けられている。


 15日目=十五夜・満月・望月[もちづき] 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の・・・」と藤原道長がうたったとされるが、これは時の権力者のおごりが目だってあまり風情がない。

 16日目=十六夜[いざよい] 日没と同時に昇る満月よりは、少し遅れて「いざよい=ためらい」がちに出てくるからだそうだが、『十六夜日記』などがあるように、古代の人はその奥ゆかしさを愛でたのかもしれない。
 

 以降、17日目= 立待月[たちまちづき]、18日目=居待月[いまちづき]、19日目=臥待月[ふしまちづき]、20日目=寝待月[ねまちづき] と続く。一日ごとに月の出がずれてゆくので、それぞれ、月の出るのを、「立って待つ」、「座って待つ」、「横になって待つ」、「寝床に入って待つ」ということになる。月を待つことになっているが、これを恋人や愛人を待つ気持と考えれば、そのまま和歌になるのである(笑)
 

 20日目は更待月[ふけまちづき]とも言い、文字どおり夜更けまで待つわけですが、実際には今の午后10時ごろらしく、昔の人はきわめて早寝だったようだ。そりゃあテレビも無ければ電灯もないから、寝るしかないか。

 26日目ごろ=有明の月[ありあけのつき] 明け方になってやっと昇ってくる。しばらくすると陽が昇って来て、月が有るまま明けるということだ。いにしえの恋人たちが「後朝[きぬぎぬ]の別れ」をする時刻だな、なんとなくこころ残りな気もちを抱きながら(笑)
 

 下弦に比べて上弦の時期の月には、これと言った呼び方が少ない。考えてみると、この月の前半は、日が暮れた時にすでに空に昇った状態で見えてくるわけで、「月の出を待つ」という心の待機時間がない。それで、もろもろの情感が生まれる余地がないということだろう。

 せいぜいが「三日月」、陽が沈んだあと西の空に見え出し、まもなく沈んでゆくということで、子供心にも、夕暮れ時の情感をかもし出す月だ。行水を済ませ、浴衣を着せてもらった子供が、うちわを掲げて西の空を仰ぎ見るような、紋切型の構図などが浮んでくる(笑)
 

 「十三夜」の月は、十五夜と並んで美しい月とされる。月見の時期に、片方だけ観て済ますのを「片月見」といって避けるしきたりがある。もっともこれは、江戸の遊郭では双方の月を観る宴を催し、客を二度呼び寄せるという営業戦略から始まったとも言われる。土用の丑のうなぎや、バレンタインデーのチョコみたいに、業者の仕掛けともなると、急に俗っぽくなってしまう(笑)

 樋口一葉が『十三夜』という作品を書いている。当時の女性の置かれた、満ち足りなさを描いたものに「十三夜」と名付けたのは、満月に満たない微妙な欠落感を重ねたからなのか。
 

「いたづらに冴えざえと見ゆ下り月」  何爺