『Get Back! 40’s / 1941年(s16)』
『Get Back! 40's / 1941年(s16)』
○4.13 [モスクワ] 日ソ中立条約が調印される
○6.22 [ヨーロッパ] 独軍がバルト海から黒海にわたる戦線でソ連攻撃を開始。(独ソ戦が始まる)
1936年日本は「日独防共協定」を結び、満州国北部国境の脅威となるソ連を牽制することにしたが、1939年ドイツは日本への通知なく「独ソ不可侵条約」を締結し、すぐにポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始められた。ソ連囲い込みを意図した防共協定は事実上の意味を失い、1940年より明確な同盟関係の「日独伊三国軍事同盟」を締結した。
ヨーロッパで快進撃をするドイツに乗り遅れるなと、三国同盟で意を強くした日本は南進を始め、英米との対立関係が顕著となっていた。松岡洋右が外務大臣に就任すると、日独伊ソ四国による「ユーラシア枢軸」を構想し、三国軍事同盟に続き、「日ソ中立条約」でソ連を枢軸国側に引き入れることを目指した(「日独伊ソ四国同盟構想」)。
妄想に近い構想であるが、松岡自身はこのユーラシア枢軸によって、国力に勝るアメリカに対抗できると考えた。ソ連側は相手にしなかったが、まもなく「ドイツの対ソ侵攻計画」を察知したことで日本の提案を受諾し、1941年4月13日モスクワで調印した。
ヒットラーは三国同盟締結時にすでにソ連侵攻を決めており、状況を読み違えた松岡の日独伊ソ四国同盟構想などはあり得ないことであった。しかしソ連は日ソ中立条約によって極東の部隊を西部へ移動させることが出来、同年12月のモスクワ防衛戦に投入した結果モスクワは防衛された。
ヒットラーは日本への通知なく独ソ戦を開始しており、ソ連を甘く見ると同時に、日本の役割を軽視した。もし日ソ中立条約を結ばせず、ソ連の兵力を東西に分散させたままならば、ソ連を崩壊させられたかも知れない。また、この条約の締結に先立ち、チャーチルは松岡に、ドイツは早晩、ソ連に侵攻することを警告していたという。
日本にとって意味のない日ソ中立条約であったが、敗戦ぎりぎりまで日本が頼りにしたのもこの条約であった。日本側は条約の有効期間がまだ残っているとして、ソ連の仲介による和平工作を期待している。しかしヤルタ会談において、秘密裏にソ連の対日参戦が約束されており、ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行うことになる。
ドイツに軽視されソ連に裏切られたなどと、国家間の情報戦で恨みごとを言っても始まらない。戦闘以前に「情報戦」ですでに敗北していたのであり、この年の10月には「ゾルゲ事件」の摘発が始まったが、露見したのは諜報活動のごく一部に過ぎない。友邦ドイツにも仮想敵国の共産ソ連にも、日本の機密情報は漏れ漏れであり、まもなく全面戦争に入るアメリカにも、言うまでもなく情報戦で完全敗北していたのであった。
○10.15 [東京] 国際スパイ容疑で、尾崎秀美[ほつみ]が検挙される。18日、独新聞特派員リヒャルト・ゾルゲも検挙される。(ゾルゲ事件)
ドイツ紙の記者として東京に在住していたゾルゲを頂点として、数多くのソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動をしていたことが判明、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された。当初、特別高等警察はアメリカ共産党党員である宮城与徳および北林トモたちの周辺を内偵していたが、10月10日に宮城が逮捕され数多くの証拠品が見つかると、はじめてその事件の重要性が認識された。
宮城は取調べの際に自殺を図り失敗すると、以後は陳述を始め、尾崎秀実やリヒャルト・ゾルゲなどの大物がスパイであることが判明する。ゾルゲは独有力紙「フランクフルター・ツァイトゥング」の東京特派員かつナチス党員という肩書で日本に赴き、駐日ドイツ大使オイゲン・オットや大使館付将校ヨーゼフ・マイジンガーらからも信頼を得ていた。
また尾崎秀美[ほつみ]は、元朝日新聞社記者で、近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界・軍部に深く関わっており、日中戦争から太平洋戦争開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えていた。尾崎はゾルゲとともに処刑されるが、戦後、尾崎秀実をモデルに『愛は降る星のかなたに』というタイトルで映画化され、さらに獄中の尾崎から妻子に宛てた書簡集『愛情はふる星のごとく』が出版されベストセラーとなった。http://www.nikkatsu.com/movie/20157.html
また、尾崎のコードネームは「オットー」とされ、劇作家木下順二により『オットーと呼ばれる日本人』として戯曲化されている。左翼系の新劇劇団「劇団民藝」や「前進座」で何度も上演されているが、あの「夕鶴」の作家木下順二が共産党シンパであったことは初めて知った。さらに、文芸評論家尾崎秀樹は秀美の異母弟にあたり、『生きているユダ わが戦後への証言』を著し、ゾルゲ事件への独自の考察を行っている。
事件捜査では、ドイツ人・ロシア人などの多くの在日外国人が容疑者や参考人として事情聴取され、日本側にも多くの有力者が含まれていた。また、ドイツ大使オットや、親衛隊将校で「ワルシャワの屠殺人」と呼ばれたマイジンガーまでもが、ゾルゲを信用しきっており日本側の捜査に異を唱えた。裁判では、ゾルゲ、尾崎が死刑、合計20名が無期懲役など有罪判決を受け、1944年11月7日のロシア革命記念日に両人の死刑が執行された。
日ソ中立条約が結ばれ、一方で独ソ戦が開始される時期に、このような大規模のスパイ組織が暗躍していたことは、日本政府や軍にとっても衝撃であった。日本のちぐはぐな外交は、目に見えない裏側で、このような情報戦に翻弄されていたわけである。
【日米開戦】
○7.25 [アメリカ] 日本の南部仏印進出への報復措置として、米政府が在米日本資産の凍結令を公布。
○8.1 [アメリカ] ルーズベルト大統領が対日石油輸出を全面禁止とする。
○11.26 [ワシントン] ハル米国務長官が日本側の提案を拒否し、日本軍の中国撤退を求める強硬な新提案を提示。27日、日米交渉は決裂する。(ハル・ノート)
○12.8 [ハワイ・東南アジア] 日本時間午前2時、日本軍がマレー半島へ上陸開始。午前3時19分、日本軍がハワイ真珠湾を空襲。日本が米英両国に宣戦布告する。(アジア太平洋戦争開始)
日本側が「ABCD包囲網」(米America・英Britain・中China・蘭Dutch)と呼んだ各国による経済封鎖は、この時期、中でも影響の大きいアメリカの主導で進められつつあった。三国同盟を結び独ソ戦が開始されると、日本軍は7月2日の御前会議で「対ソ戦準備・南部仏印進駐(南進・北進準備)」を決定、それを受けて7月7日からは、満州での「関東軍特種演習(関特演)」に向けて内地から兵員動員が開始される。
同時に南進の準備も進める日本に対して、アメリカは7月25日「在米日本資産の凍結」を決定する。当時は金本位制であり、日本政府の為替決済用在外資産はニューヨークとロンドンにあり、ニューヨークの日本政府代理店には莫大な貿易決済用の金融資産があった。もちろん日本民間の在米資産も膨大であった。
日米交渉が座礁し、7月28日、日本軍はすでに決めていた南部仏印進駐を開始すると、8月1日米政府は「対日石油輸出全面禁止」を発動した。この時点でルーズベルト米大統領は、「太平洋での戦争」を必至と考えていたもようである。日本は石油の約8割をアメリカから輸入しており、国内における石油の備蓄は民事・軍事を合わせても2年分とされた。早期開戦論だった陸軍のみならず、慎重だった海軍も石油欠乏は海軍力の致命傷になるとして、早期開戦論に傾いた。
三国同盟以降から、日米の交渉は断続的に続けられていたが、6月の独ソ戦開始を契機に、アメリカ側は対日妥協から強硬路線へ舵を切ることになる。第二次近衛内閣の外相松岡洋右は、三国同盟にソ連を参加させるという四国連合案は破綻したが、対米には強硬案を主張、妥協派の近衛首相と対立した。近衛は松岡を外相から外すために、えざわざ内閣総辞職して、再度第三次近衛内閣を組閣する。
9月6日の御前会議では、外交交渉の期限を十月上旬とし、妥結の目途がない場合直ちに対米開戦を決意すると決定された。近衛は日米首脳直接会談に唯一の期待をしたが、アメリカ側に日米首脳会談を事実上拒否された。戦争の決断を迫られた近衛は妥協策による交渉に道を求めたが、東條英機陸相に日米開戦を要求されたため内閣は瓦解、10月16日に近衛内閣は総辞職する。
18日東條内閣が成立したが、これには本人も予想外であったらしく、内大臣木戸幸一が独断で東條を後継首班に推挙し天皇の承認を取り付けてしまった。最も強硬に開戦を主張する陸軍を抑えるには、陸軍大将でもある東条しかおらず、毒をもって毒を制する案だということで、対米戦争回避を望む天皇もこれ承諾したらしい。東條も、それまでの態度を一変し、天皇の意をくむ忠臣として2つの妥協案を用意、交渉妥結の可能性をさぐった。
しかし対日戦不可避と判断していた米は、日本側の新規提案は両案ともに問題外であると拒否。11月26日、コーデル・ハル国務長官は、いわゆる「ハル・ノート」を駐米日本大使に提示した。内容は日本へ対する中国大陸、仏印からの全面撤退と、三国同盟の解消という極めて強硬なものであった。ハル・ノートは国務長官の「覚書」との位置付けであったが、日本政府はこれを「最後通牒」として受け取り、開戦の決断を行うことになった。
日米交渉決裂の結果、東條内閣は12月1日の御前会議において、日本時間12月8日の開戦を最終決定した。日本陸軍は日本時間12月8日未明にイギリス領マレー半島に上陸し、英印軍と交戦状態に入る。イギリス政府に対する宣戦布告前の奇襲によって太平洋戦争の戦端が開かれた。(マレー作戦)
並行して、日本海軍航空隊によって、ハワイのオアフ島真珠湾のアメリカ軍基地に対する奇襲攻撃も、日本時間12月8日午前1時30分に発進、日本時間午前3時19分から攻撃が開始された。(真珠湾攻撃)
*この年
服装に非常時色が濃くなる/少女歌劇の男装が廃止
【事物】プラスチック製歯ブラシ/米穀通帳/給与の銀行振込制(大蔵省)
【流行語】ABCD対日包囲陣/子宝報国/産業戦士/月月火水木金金
【歌】戦陣訓の歌(徳山蓀)/さうだその意気(霧島昇・松原操)/森の水車(高峰秀子)
【映画】戸田家の兄妹(小津安二郎)/馬(山本嘉次郎)/次郎物語(島耕二)/スミス都へ行く(米)
【本】下村湖人「次郎物語」/高村光太郎「智恵子抄」/三木清「人生ノート」/山本有三「路傍の石」