【アメリカの歴史】21.[番外]アメリカ政党史概観1/5

アメリカの歴史】21.[番外]アメリカ政党史概観1/5

 

 アメリカ独立戦争の前から、北部では造船・運輸などの産業が発展をはじめ、イギリス本国の産業と競争するようになってきた。イギリス本国は印紙税などをアメリカ植民地に課して産業発展の妨害をしたため、パトリオット(独立派)の声が大きくなった。

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 一方、農業主体の南部では、綿花やタバコなどの農産物を英国に輸出するため、英国に残留しようとするロイヤリスト(忠誠派)が多かった。アメリカ13植民地では大陸会議を開いて方針を検討したがまとまらず、「ボストン茶会事件」に端を発した植民地の反乱は、1775年レキシントン・コンコードの戦い独立戦争が勃発した。

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 独立の機運は高まり、1776年7月4日、大陸会議は「アメリカ独立宣言」を採択した。組織的な軍事力をもたない植民地は苦戦したが、徐々に利害の絡むヨーロッパ諸国を巻き込んだ国際的な戦争に変化していき、フランス・スペイン・オランダなど英国と競合する国がアメリ大陸軍を支援し、1783年ついにパリ講和条約が締結され、アメリカ大陸植民地は独立を獲得する。

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 独立戦争の英雄「ジョージ・ワシントン」が初代大統領となったが、独立した13州の合衆国は、まだ統一国家としての形態が未熟で、強力な統一政府を作るために1787年フィラデルフィア憲法制定会議が開催され、「主権在民の共和制」「三権(立法・司法・行政)分立」「連邦制」を基本とした「アメリカ合衆国憲法」が制定された。

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 かくして「アメリカ合衆国」が誕生するが、この憲法に対する批判運動が起こり、連邦憲法容認の「連邦派(フェデラル)」と連邦制反対の「協和派(リパブリカン)」が対立するようになった。その後リパブリカンが主流となるが、さらに連邦主義を容認する「国民共和党(ナショナル・リパブリカン/ホイッグ党)」と州権主義を維持する「民主共和党(デモクラティック・リパブリカン)」に分裂する。

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 後者が「アンドリュー・ジャクソン」を第7代大統領に当選させると、「民主党」と改名して勢力を拡大した。庶民派を標榜するジャクソンは、競争の自由・普通選挙制(白人限定)など民主的な政策を進め、票を集めたが、その後、黒人奴隷制を支持する南部党員と奴隷制に批判的な北部党員の間で亀裂が深まった。

 

 南部中心に奴隷制支持に振れていった民主党に対して、北部を基盤に反奴隷制を標榜する進歩主義政党「共和党」が結成された。奴隷制が争点となった1860年アメリカ合衆国大統領選挙では、民主党候補が割れたため、40%の得票だった共和党の「アブラハム・リンカーン」が17代大統領に就任する。

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 そして南北の対立は決定的となり「南北戦争」が起こる。北軍を支持した共和党は北部の勝利により圧倒的に支持を増やし、南の支持に傾いていた民主党は勢力を失う。なお、この時期の支持基盤層や支持基盤地域は、「北部連邦派の共和党」と「南部州権派の民主党」であり、現在とほぼ逆だったことに注目する必要がある。