【アメリカの歴史】10.帝国主義時代と国内の変貌(1890年〜1918年)-2

アメリカの歴史】10.帝国主義時代と国内の変貌(1890年〜1918年)-2

 

 南北戦争から第一次大戦が始まるまでの間に、アメリカ合衆国は世界でも有数の工業国に成長した。土地と労働力が豊富で、天然資源や安価なエネルギーに恵まれ、そこへ潤沢な資本が蓄積されたために、第二次産業革命が強力に推進された。

 

 物の生産は手工業から工場生産に移り、さらに技術の進歩や輸送機関の発展が拍車をかけた。大陸横断鉄道によって西部が開発され、誰もいなかった所に町や市場ができた。電報や電話など新しい通信手段は、広大なアメリカでも遠距離を隔てて意思統一ができるようになり、ヘンリー・フォードによるベルトコンベアシステムやフレデリック・ウィンスロー・テイラーの科学的管理法などの登場により、労働の仕組みにも大きな革新が起こった。

f:id:naniuji:20211203184843j:plain

 並行して資本の集中が進み、トラストなどを結んで持株会社組織により多くの事業組織を支配するようになった。アンドリュー・カーネギージョン・ロックフェラー、ジェイ・グールドのような大資本家が、大きな富と力を集中支配して財閥が形成された。

f:id:naniuji:20211203185147j:plain

 主に1870年代や1880年代は、アメリカ合衆国において資本主義が急速に発展をとげた時代で、「西部開拓時代」とほぼ重複する時期であり、一獲千金を狙った拝金主義や、急速に富豪となった成金の薄っぺらい趣味の時代として、「金ぴか時代(金メッキ時代=Gilded Age)」などと呼ばれた。

f:id:naniuji:20211203185334j:plain

 「金ぴか時代」とは、こうした経済の急成長と共に現れた政治経済の腐敗や不正を批判して、皮肉の得意な小説家のマーク・トウェイン命名した時代名称である。多くの政治家がカネで買収され、合衆国の政治は腐敗を極めた。

 

 チャールズ・ダーウィンの進化論が人間社会にも適用されて、自由競争・自然淘汰・適者生存を強調する「社会進化論」が一世を風靡した。そのような風潮のもとで、多くの人びとが成長と成功の夢に運命を託し、一代で巨富を築く「アメリカンドリーム」と称される成功物語や立身出世物語がもてはやされた。

 

 この時期のアメリカは、かつての農業的社会から工業や都市を特徴とする社会へと大きく変貌し、また、世界の表舞台へと躍り出た時期でもあった。1873年恐慌の後に第二次産業革命が進み、アメリカ社会のほんの一握りの超富豪階級が「産業の主役」となり、その事業、社会および家族の結びつきにより、イギリスに祖先をもつ「アングロサクソンプロテスタント」がアメリカ社会の上層を占めるという状況が支配的になった。

f:id:naniuji:20211203190042j:plain

 都市の急成長は工業化や農業の拡大と歩調を合わせて、多くの新たな移民を生み出した。新規の移民の多くは、貧窮や宗教的理由で母国から押し出され者たちが、新たな仕事機会や開拓農民を目指してやって来た。かくしてアメリカは、未曾有の他民族国家となった。しかし後発の移民たちは、民族としての生活基盤から切り離されており、先行して基盤を築いているアングロサクソン系などの後塵を拝し、社会の下層に組み込まれるしかなかった。

 

 大陸横断鉄道の建設では、東部ではアイルランドからの移民労働者が動員されたが、太平洋側の横断鉄道の建設には大量の中国人労働者(華僑)が使用された。中国人らアジアからの移民労働者は、白人系とは異なる生活文化持っており、その軋轢から激しい反中国人排斥運動が起こり、1882年には中国人排除法が成立した。中国人に代わって日本人移民が増大すると、これも事実上の日本人移民禁止法で止められた。

 

 奴隷解放宣言で、形ばかり解放されたアフリカ系アメリカ人(アフリカ系黒人)は、ほとんど社会的な対策が取られなかったため、人種差別を受け続けた。クー・クラックス・クランなどの白人至上主義者は、非合法なリンチを続けた。それらに反発した黒人たちは、都市部などで暴動を起こした。しかし彼らは、インディアンのような部族基盤を持たないため、組織的な抵抗はできず、突発的な暴動として鎮圧された。

 

 1850年代に衰退したホイッグ党に代わって結成された「共和党」は、急速に工業化する北部において、反奴隷制を標榜する連邦派進歩主義政党として拡大した。一方、民主党は南部での支持を集めて共和党と対立した。共和党党候補エイブラハム・リンカーンが大統領に選出されると、南北戦争が開始され、敗れた南部に定位していた民主党は衰退した。

 

 共和党は、東部の商工業主に支持を得るブルジョア政党へと性質を変えていったが、大企業の利益を擁護し、外交面においては対外積極策を展開して、19世紀末からは積極的な帝国主義外交・対外膨張政策をとり、アメリカを列強国家へと導いた。この間、民主党グロバー・クリーブランドウッドロウ・ウィルソンの二人の大統領を出しただけだった。

 

 民主党は反中央集権と個人的自由を打ち出し、共和党政権に取り残された不満層の受け皿として存続したが、南北戦争の敗地となった南部の人々、北部の都市部で低賃金に苦しむ移民、資本主義の発展で没落していく西部の中小農民などがこの時期の民主党支持層だった。

f:id:naniuji:20211203191650j:plain

 第一次大戦後の過熱した時代のあと、大恐慌を背景にフランクリン・ルーズベルト大統領が就任すると、民主党は都市大衆を基盤とした勢力として本格的に再生されていく。F・ルーズベルトと彼のニューディール政策民主党左旋回を決定づけ、党は労働者・小農・失業者・移民・黒人などの低所得者層を基盤とする社会的自由主義政党となっていった。

f:id:naniuji:20211203191423j:plain

 一方の共和党は、F・ルーズベルトへの対抗から保守化を強めた。当初の共和党は、北部を基盤に古典的自由主義を支持し、奴隷制の拡大に反対し、経済改革を支持したが、世界恐慌のあと、民主党ニューディール政策に対抗して、党はイデオロギー的に右にシフトした。第二次大戦後になると、 公民権法や投票権法の後には、党の中核的な基盤は南部の州にシフトし、党の支持層は、農村部に住む人々、サイレント・ジェネレーション、白人男性、福音派キリスト教徒などが中心となった。

f:id:naniuji:20211203190546j:plain

 一般に共和党が市場を重視する「小さな政府」を推進するのに対し、民主党は政府の役割を重視する「大きな政府」を推進するとされる。そのため民主党は福祉(公的扶助)に関して拡充を目指し、対して共和党は公定扶助をできる限り縮小するとともに、公的扶助受給者には勤労論理教育や労働を義務付けることを目指す傾向がある。