【13th Century Chronicle 1281-1300年】

【13th Century Chronicle 1281-1300年】

 

元寇弘安の役

*1281.5.21/対馬 元船500余が対馬に侵攻する。(5.29 壱岐へ襲来)

*1281.6.6/北九州 元船が筑前志賀島などに来襲、ついで肥前鷹島を根拠地とする。

*1281.7.29/壱岐 元の東路軍と江南軍が合流、鎮西の武士と交戦する。

*1281.閏7.1/北九州 5月以来北九州を襲っていた元船が、前夜からの大風雨に襲われ、壊滅的な打撃を受ける。

*1281.閏7.5/北九州 日本軍の猛攻により、元は全軍の3/4を失い逃げ帰る。

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 クビライは日本再侵攻をあきらめず、建治1(1275)年、モンゴル人の礼部侍郎 杜世忠を正使とした使節団を派遣した。しかし執権北条時宗使節団を鎌倉に連行すると、杜世忠らを斬首に処した。

 クビライは使節派遣と並行して、日本侵攻の準備に取り掛かっていたが、南宋の攻略を優先し、建治2(1276)年に南宋を降服させた。その3年後、弘安2(1279)年、再びクビライは再び使節を派遣するが、日本側は前回と同様、日本への服属要求であることを確認すると、博多において使節団一行を斬首に処した。

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 逃げ出した水夫より使節団の処刑が元に伝わると、クビライは日本侵攻軍の司令部・日本行省(征東行省)を設置する。弘安4(1281)年、元・高麗軍を主力とした東路軍と旧南宋軍を主力とした江南軍と合わせて15万人、軍船7千艘が、日本に向けて出航した。

 弘安4(1281)年5月3日、東路軍4万の軍勢が900艘の船で、朝鮮半島の合浦を出航し対馬を侵攻した。さらに東路軍は壱岐に襲来し、ここで合流する予定の江南軍を待たず、そのまま博多湾に侵攻し大宰府占領を目指した。

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 しかし日本側はすでに防衛体制を整え、博多湾岸に約20kmにも及ぶ石築地(元寇防塁)を築いており、東路軍は博多湾岸からの上陸を断念した。東路軍は志賀島に上陸し、ここを軍船の停泊地とした。

 6月9日、攻め寄せる日本軍に大敗した東路軍は、志賀島を放棄して壱岐島へと後退し、江南軍の到着を待つことにしたが、江南軍が合流する期限6月15日を過ぎても現れず、さらに東路軍内で疫病が蔓延、数千人の死者を出すなどして進退極まった。

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 一方、江南軍は東路軍が待つ壱岐島を目指さず、平戸島を目指した。6月中旬頃、総司令官の交代もあり、予定よりより遅れて出航、6月下旬に平戸島鷹島に到着したとされる。

 一方、6月29日に日本軍は壱岐島の東路軍に対して総攻撃を開始、東路軍は日本軍の攻勢による苦戦で、壱岐島を放棄して江南軍と合流するため平戸島に向けて移動した。7月中旬、元軍は新たな計画で平戸島で合流し、大宰府目指して進撃する計画とし、東路軍が鷹島に到着し、江南軍と合流する。

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 7月27日、鷹島沖の元軍艦船隊に対して、集結した日本軍の軍船が攻撃を仕掛けて海戦となった。戦闘は日中から夜明けに掛けて長時間続き、夜明けとともに日本軍は引き揚げていった。

 日本側は六波羅探題から派遣された大軍が北九州の戦場に向けて進撃中であってが、元軍は鷹島に留まって日本軍の鷹島攻撃に備えた。日本の援軍が到着する前の7月30日夜半、台風が襲来し、元軍の軍船の多くが沈没、損壊するなどして大損害を被った。

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 閏7月5日、元軍は軍議を行い撤退することになった。諸将を乗せた船は撤退したが、多くの兵卒は見捨てて残されたままだった。勢いづいた日本軍は、残地された元軍に対して総攻撃を開始、10余万の元軍を壊滅させた。

 

(この時期の出来事)

*1282.12.8/ 北条時宗が鎌倉に円覚寺を創建、宋僧無学祖元を開山とする。

*1284.4.4/ 執権北条時宗(34)、没。

*1284.夏/京都 一遍が、四条釈迦堂などで踊念仏を行う。

*1285.11.17/ 内管領平頼綱が、御家人安達奏盛一族を滅ぼす(霜月騒動)。

*1287.10.2/ 幕府が亀山院政に介入、皇位の紛争が続き、皇統は大覚寺統持明院統に分裂する。

*1293.3.-/筑前 幕府が、元の襲来に備えて鎮西探題をおき、北条兼時・名越時家を任命する。

*1293.4.22/ 執権北条貞時(23)が、内管領平頼綱を滅ぼし、得宗家督専制政治を確立する。

*1297.3.6/ 幕府は、御家人所領の売買質入れを禁じ、窮乏して手放した所領は無償で取り戻させる。(永仁の徳政令