【02 昭和の路面電車】by「THE日本/1985」

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【02 昭和の路面電車】by「THE日本/1985」
 

 昭和には多くの都市で活躍していた路面電車も、いまや交通事情などから廃止された路線が多い。筆者は京都市内の北区に生まれ育ち、ほぼ30歳ぐらいまでその地で生活していた。京都市内で最も北を走っていた市内電車は、西大路金閣寺あたりから東大路の高野までを東西に結ぶ北大路通りだった。実家から北大路の電停までは1キロ以上あり、歩いて30分近くかかったので、その後に路線が拡張された市営バスの方が便利で、そちらを利用することが多かった。

 しかし何といっても懐かしく思い出されるのは、路面を音もなくゆったりと走る路面電車の方である。京都の路面電車は1895年(明治28年)にまでさかのぼり、日本最初の一般営業用の電車として開業された。これは琵琶湖疎水事業と連動して、これもまた日本最初の蹴上水力発電所が設置され、その電力利用として路面電車に供給された。
 

*[写真1]堀川中立売鉄橋を渡るチンチン電車 ここから堀川の東(東堀川)に沿って南行する。

 その後も、市営に移管されるなどしながら路線は拡張され、その形跡をとどめる狭軌路線は「チンチン電車」として親しまれ、1961年(昭和36年)に北野線が廃止されるまで走り続けた。マッチ箱のような電車の乗車口にドアはなく、そのつど鎖が掛け外しされる仕様であり、東堀川通りを走る姿は、小学生だった私にも見た記憶がある。

*[写真2]京都市電路線図

 一方で、濃い緑とクリームのツートーンカラーに塗り分けられた電車が、広軌道上を走るのは見慣れた光景であった。最盛期には、東西南北に区画された京都の街を縦横に走っていた。外郭を囲むように西大路・北大路・東大路・九条を市電が走り、京都市民にとってこの枠内がほぼ京都市街と認識されていた。その市電も交通事情の悪化には勝てず、1978年(昭和53年)9月には全廃された。
*[写真3]西大路金閣寺方面から南下する市電 背景に金閣寺裏山の左大文字が見える。

 

 以下、「THE日本」所収の全国各地の路面電車を引用掲載する。1985年時点では現役だったが、今は廃線になった多いかと思われる。現状をご存じならば知らせていただきたいものである。