『Get Back! 60’s / 1962年(s37)』

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『Get Back! 60's / 1962年(s37)』
#そのころの自分# 4月中学二年生、新クラスに馴れそこねてあまり友達できず。写真はワンダーフォーゲル部で、近郊のハイキングコースを歩いたときのもの。

 
○1月「自動販売機 華々しくデビュー」
 自販機第一号は、やはりあのコカコーラ、今でも圧倒的な強さを誇るコカコーラ社自販機戦略の原点が、ここに見られる。タイプは、コインを入れてロックが外れたボトルを引き抜く半自動(右)と、ボトルがガシャンと取り出し口に落ちてくる完全自動とがあった。この導入当時のレギュラーボトルは40円で、オツリも出たという。

 
○4月「老人二人、プロレス中継でショック死」
 街頭テレビから始まったプロレス中継、この時期にも大人気で視聴率は常に50%を越えていた。銀髪鬼と呼ばれたヒール(悪玉)レスラーのブラッシーが初来日、力道山ら日本の「善玉」と死闘を繰り広げた。

 ブラッシーの銀髪を振り乱しての「噛みつき口撃」に、額から血を流してグロッキーの善玉レスラーの惨状。このあと炸裂する、力道山の空手チョップショーを盛り上げるためには欠かせないイベントだった。

 まだまだモノクロ(白黒と言った)テレビが多数派だったが、この時すでにカラー放送が始まっており、たまたまカラーテレビで鮮血の噴出すシーンを見た老人が、全国で4名もショック死する事故となった。

 
○5月「死者、百数十人 三河島駅での大惨事」
 常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故、蒸気機関車の貨物列車が脱線転覆、そこへ電車車両が次々と突っ込んで大惨事となった。戦争直後の混乱期を除くと、翌年の鶴見事故と並んで死者160名にもなる大事故だった。これらの大事故をうけて、自動列車停止装置(ATS)の導入が急がれることとなる。

 2005年に発生した「JR福知山線脱線事故」は、その惨状がまだ記憶に残っているが、これは単独列車での脱線転覆事故で死者は108名。比較する意味はないが、この三河島事故の大きさが想像できる。

 
○5月「♂ ♀ * + ∞ 、こんな記号も憶えた 『ベン・ケーシー』始まる」
 それまで米国テレビドラマは西部劇などが大半で、医療現場を舞台にしたベン・ケーシーは斬新だった。後年の手塚漫画 ブラックジャックなども、何らかのヒントをえたと思われる。

 ベンは正義感あふれる敏腕青年脳神経外科医、困難な脳手術の極度の緊迫シーンが話題になった。ほとんど脳神経外科という言葉さえ知られていなかっただろうし、緊急手術現場など、一般人には目にすることもなかった。このドラマ以降、手術帽姿の院長が出演する美容整形外科のCMが多く見られるようになった、と思うのは気のせいか(笑)

 
○7月「ポマードべったりはもう古い バイタリス新発売」
 それまで男性整髪料といえば、丹頂チックや柳屋ポマードなどが主力、オールバックやリーゼントなど、髪の毛をベッタリ固める油分の多いものが使われていた。そこへ液体整髪料バイタリス・リキッドが登場、オヤジ臭いにおいから若者を解放するツールとして、圧倒的な支持を得た。

 バイタリスは米メーカーとライオン歯磨との共同開発で、ライオンは販売網が弱かった。後発の資生堂MG5は、髭剃りローションからヘアトニック、ヘアスプレーまでラインナップした男性化粧品総合ブランドとなり、しかも資生堂の強力直営販売網を活用して、またたく間に男性コスメの代表ブランドとなった。

 その他のメーカーも、次々に液体整髪料に参入。丹頂チックで一世を風靡した丹頂(株)なども、チャールズ・ブロンソンをCMに起用して、マンダムブランドで液体整髪料に参入し、起死回生をはかった。マンダムの成功で、社名までマンダム(株)に変更するありさま。
 まさにバイタリスの登場は、男性化粧品革命の始まりだったのである。

 
○8月「堀江青年の快挙に拍手!」
 ホリエモンではなく「堀江謙一」青年の、太平洋ヨット単独横断の快挙である。その冒険記は「太平洋ひとりぼっち」のタイトルで出版され、世界に飛び出す若者のバイブルとなった。

 同時期、「金田投手 奪三振世界一」「ファイティング原田、世界フライ級チャンピオンに」という記事などが並び、若者が世界に挑戦する勇気を鼓舞する快挙が続いた。

 
○10月「一歩間違えば第三次世界大戦キューバ危機」
 まさに危機一髪。アメリカの喉もとキューバに、ソ連の核ミサイル基地が建設中であることが判明、米ケネディ大統領は、ソ連フルシチョフ首相に、キューバ海域の海上封鎖を宣告。ミサイルを積んだソ連輸送船団が刻々とキューバに近づく。海上封鎖する米戦艦と接触する一歩手前で、ソ連船団はUターンして戻っていった。米ソ冷戦時代の最大の危機であった。

 
○12月「ストッキングに革命、アツギからシームレスが出た」
 シーム(縫い目)の無い女性ストッキングは画期的であった。伝線しない、ストッキングのよじれを気にしなくて済むと言った利点は、女性をさらに活発に活動させるようになった

 しかしまだ、百貨店の店員など接客業は、公式ではないとしてシームのある従来のもの(ファッションド・ストッキングと言うらしい)が義務付けられたとか。そしてまた、シームがある方が脚が細く見えると、従来のものを愛用する女性もいた。

 さらにパンティストッキングが登場するのは、ツイッギー来日などでミニスカートが普及するようになる、数年後のことであった。たぶん70年大阪万博のコンパニオンの制服がミニで統一された頃が、分岐点になったと思われる。

 
○1962年(s37) TV人気番組
てなもんや三度笠」(ABC・TBS)
「ルート66」(NHK
「ミスター・エド」(NTV)
「ベン・ケーシー」(TBS)
「コンバット」(TBS)
「アベック歌合戦」(YTV・NTV)
「隠密剣士」(TBS)