『君は木村政彦を知っているか』

木村とエリオ

『君は木村政彦を知っているか』(1-8) 
1>https://www.youtube.com/watch?v=JzitL_UOd6M
2>https://www.youtube.com/watch?v=1Lq3ddb3NkI
3>https://www.youtube.com/watch?v=YDHrgQyU8cY
4>https://www.youtube.com/watch?v=649mGMM_ZaA
5>https://www.youtube.com/watch?v=V3l_HWIdi-c 
6>https://www.youtube.com/watch?v=JKqrHLSMMpg
7>https://www.youtube.com/watch?v=POgQkQN4_os
8>https://www.youtube.com/watch?v=iSk8yrslBnM


 「力道山」の名前は聞いていても、「木村政彦」はもはや忘れ去られつつあるのか。実はその木村は、戦前戦中を通じて最強の格闘家(当時は柔術・柔道界)と言われたのである。

 今や木村は、戦後プロレスの勃興期に、「昭和の巌流島」と言われた力道山との対決において、無残にも敗れた男としてしか記憶されていない。しかし何故、木村は生死を掛ける武術を離れて、ショーであるプロレスにかかわったのか。そして何故、力道山に敗れたのか。そこには、幾つもの秘話と裏話が隠されている。


 木村の格闘家経歴には、様々な人物が登場する。師であった「牛島辰熊」は、殺人武術であった古流柔術の流れをくみ、当時の試合は生きるか死ぬかであった。引退後、母校中等学校の生徒であった木村政彦を見出し、日本一の柔術・柔道家に育て上げる。

 牛島は思想家としての側面ももち、戦争末期には、戦争を早期に終わらせるために、東条英機首相暗殺計画にも参画した。東條の乗った車に毒ガス弾を投げ込む計画で、その実行者として、最も信頼していた弟子の木村をその鉄砲玉にし向ける予定でもあった。今だと自爆テロに近い無謀な計画であったが、幸か不幸か、情報が事前に洩れて失敗に終った。


 極真空手創始者大山倍達」も、牛島を柔道の師とあおぎ、木村を兄貴分として慕った。のちに牛殺しなども演じた大山は、完全に、木村政彦の力に心酔していたようである。

 戦後 木村は、病気の妻をかかえ柔道だけでは食えず、生活のためにプロ格闘技に身を投じた。「見世物」としての海外遠征もこなし、ブラジルでは、グレイシー柔術創始者エリオ・グレイシー」と真剣対決し、完膚なきまでに屈服させた。エリオは、近年、日本の格闘技界を圧倒した、あのグレイシー兄弟の父親である。


 近年『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という、いささか物騒なノンフィクション長編が刊行された。もちろん「巌流島対決」の裏に秘められた遺恨が、その主題となっている。
 

木村政彦の伝説の試合(VSグレイシー力道山)』


 これを続けて観れば、赤子のようにエリオの腕をへし折った木村が、いとも簡単に力道山にぶちのめされるのかと、不思議に思えてくる。
木村政彦vs.エリオ・グレイシー/Masahiko Kimura vs. Hélio Gracie - YouTube
1954.12.22 プロレスリング日本選手権 "昭和の巌流島" - YouTube