2015-01-01から1年間の記事一覧

013.小学校時代2

【013.小学校時代2】 小・中・高校すべて、京都市立の公立校だった。小学校では6クラス、中学は3校から集まるので12クラス、高校はさらに北区の5中学ぐらいから集まるが、入試選抜があるので13クラスということだった。いつも教室が足らず鉄筋コンクリー…

012.近所の人々3

【012.近所の人々3】 写真は家のすぐ前で凧揚げをしているところ。通りすがりのおじさんが、勝手にカメラを向けて撮っていった。後日、家に来て写真を売りつける仕組で、母親から知らない人に勝手に写真を写されないように言われた。現像したのを持ってこら…

011.近所の人々2

【011.近所の人々2】 ひょうたん屋の向いの家に、Yちゃんが住んでいた。ちゃん付けで呼んでいても、もう40歳近くで、年取った母親と二人で暮らしている。その甥にあたる子供も近くに住んでいて、我々と同年齢で我々の遊び仲間だった。その子に聞いたところ…

010.近所の人々1

【010.近所の人々1】 「ひょうたん屋」(と呼んでいた)には、老夫婦が住んでいた。借家だったと思うが、主人一人で住んでいたところに、いつのまにか後妻といわれる少し年下の女性が住み込んだようだ。ほとんど近隣との付き合いもなく、隣家からの話として…

009.近所遊び

【009.近所遊び】 小学校に入ってからは、それまでの近所の子供たちとの遊びと、学校での友達との遊びとに分けられる。低学年では近くの子供との遊びが多く、高学年になるにつれて学校友達との遊びが増してゆく。それと共に、行動範囲も広がっていく。 近所…

008.小学校時代1

【008.小学校時代1】 小学校入学式の記念写真。表て道りに面した50mぐらいの近所に、これだけ同期生がいた、実は入院中で写ってないのがもう一人いるので、全部で5人になる。母が40歳の時の子なので、この中でうちの母親がいちばん歳をとっている。参観日な…

007.家族3

【007.家族3】 賀茂川に沿って賀茂街道を北大路から少し下がったあたりから、西に向けて堀川鞍馬口まで、紫明通りという広い道路が走っている。これは白川疎水が賀茂川を越えて、堀川にまで流れ込んでいた名残で、曲がりくねっている。しかも戦争中に強制疎…

006.家族2

【006.家族2】 祖父は明治11年ぐらいの生まれ、西郷の西南戦争の翌年というから、気が遠くなるような話だ。京都の生まれは確かだが、早くから丁稚奉公に出されたので、親元の記憶もあやふやらしい。寺も後日、知人の紹介で世話してもらった浄土宗の寺院に墓…

005.家族1

【005.家族1】 父親は明治末年の生まれ。上賀茂の社家の道楽者の私生児として生れた。十数人の兄弟姉妹が居るのだが、すべてが異父異母兄弟姉妹で、同じ両親の子としては自分一人だけとか、ある意味さびしい幼少年期をおくったようだ。一番年長の姉とは親子…

004.幼稚園のころ

【004.幼稚園のころ】 幼稚園の写真、上は音楽会、下は遠足に出かけるところだと思われる。 音楽会の担当バートは小太鼓w よくみると打楽器ばかりで、音階を演奏できるのは木琴程度のようだ。園児にまともな合奏を期待するのは無理で、ベースのメロディは先…

003.幼時の記憶

【003.幼時の記憶】 人生最初の記憶は何だったのか。父親が、祖母の田舎である富山に行ってきて、駅で受けとった釣り銭を示しながら、「これが新しい10円硬貨だ」と見せていたという記憶がある。いま確認すると、十円銅貨は昭和26年から製造を始めたが、発行…

002.誕生の記憶

【002.誕生の記憶】 三島由紀夫は『仮面の告白』で、自身が生れたときの情景を憶えているなどと嘘っぱちを書いているが、そんなことは私のような凡人にはあり得ない。おそらく後になってから、母親などから聞いたのだと思うが、憶えていることを記しておくこ…

001.日記を始める?

【001.日記を始める?】 平安時代の女流文学に「日記文学」というのがある。『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』等々あるが、これらは今の人が思う日記とは異なって、ある種の回想録に近いようである。 私も若いときには、何度か「日記…

阪神淡路大震災の記憶

20年前のこの日の夜明け方に発生した阪神淡路大震災の報道を観ているうちに、何か書いておかなければと思ってきた。地震当日は宇治市に住んでいたのだが、朝方までチャットにふけっていた。突然、大きな揺れに出会い、床柱にしがみついた。揺れが収まって何…