『Get Back! 60’s / 1961年(s36)』

『Get Back! 60's / 1961年(s36)』
#そのころの自分# 4月中学入学。戦後すぐに建てられたバラックのような教室だったが、すぐにクラスに馴染んですごした。半年ほど器械体操部に所属したので、体育の授業は問題なし。

 
○1月「ジョン・F・ケネディ アメリカ大統領に」
 就任演説の有名な一節
My fellow Americans, ask not what your country can do for you;
ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world; ask not what America will do for you,
but what together we can do for the freedom of man.

我が友アメリカ人よ,国があなたに何をしてくれるかを問うなかれ。あなたが国のために何ができるかを問いたまえ。
世界中の我が友よ,アメリカがあなたに何をしてくれるかを問うのではなく、人類の自由のためにいっしょに何ができるかを問おうではないか。

 戦後もっとも話題に上った大統領だが、63/11 ダラスで暗殺されるまで、その就任期間はわずか 2年10ヶ月。オバマは2期8年間になるんだけどねw

 
○3月「テレビ人気No1は『ジェスチャー』」
 以下、視聴率順に「事件記者」「お笑い三人組」「プロレス中継」「ローハイド」「ララミー牧場」「私の秘密」「モーガン警部」。
 まだまだ民放が力不足の時代で、NHK強し。日テレ系で力道山の「プロレス」、あとはアメリカ・テレビドラマを買い付けたものが多い。

 
○4月「ソ連、人間衛星に成功 地球は青かった
 ガガーリン少佐による人類最初の宇宙飛行。宇宙から肉眼で見た「地球は青かった」は、あらためて水の惑星 地球を客体視した言葉で、思想への影響も大きかった。

 アメリカは、宇宙開発競争で圧倒的に遅れをとったのが明白になり、軍事的にもソ連が優位に立ったと考えられた。就任したばかりのジョン・F・ケネディは、60年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表し、69年アポロ11号でそれを達成させた。この間、アメリカの危機感は相当なものであった。

 
○9月「中日の権藤、新人で30勝」
 この年中日ドラゴンズに入団した権藤博投手は、最終的に新人で35勝を挙げた。当時のドラゴンズのローテーションは「権藤、権藤、雨、権藤・・・」と言われ、つまり雨で中止以外は毎日権藤w

 
○10月「西鉄ライオンズ 稲尾投手42勝」
 一方、パリーグ西鉄稲尾和久は、この年 シーズン42勝、これはプロ野球記録で、今後も破られることはないと言われている。遡る57年の日本シリーズでは、巨人に三勝を先行されるも、残りは鉄腕 稲尾の四連勝で日本一、「神様、仏様、稲尾様」と言わせたのは有名。

 
○12月「『ウェストサイド物語』ロングラン続く」
 ロングランのブロードウェイ・ミュージカルが、映画化されても大ヒット。ジョージ・チャキリスのダンスが一躍注目された。
 『ロミオとジュリエット』の舞台を、ニューヨークのウェストサイドに置き換えて翻案された物語。 レナード・バーンスタインの音楽が全編をつらぬく。
 ニューヨーク下町で抗争を繰り広げる不良グループ、白人系のジェッツと中米系シャークス、「ジェット団」と「シャーク団」と訳されていたのはご愛嬌か。
*中学生だったので、みんなでジェット団の「指ぱっちんダンス」を真似しました(笑) >https://www.youtube.com/watch?v=b2ClSABkDp8
 
○1961年(s36) TV人気番組
「パパ大好き」(フジ)
アンタッチャブル」(NET)
「ちびっ子ギャング」(NET)
「サーフサイド6」(TBS)
「スチャラカ社員」(ABC・TBS)
夢であいましょう」(NHK
シャボン玉ホリデー」(NTV)
「ズバリ!当てましょう」(フジ)
「七人の刑事」(TBS)
「若い季節」(NHK