現代伝説考09 第二章.現代カー伝説

事故現場には・・・

第2章.高速移動する密室・現代カー伝説
 現代社会にかかせない文明の利器といえばまず自動車があげられる。自動車の特性はいうまでもなく高速な移動を可能にした点であるが、噂の生成という観点からはその密室性をはずすわけにはいかない。「異空間伝説」の章でもふれたように、現代伝説と密室性は重要な接点をもっていると考えられる。

 自動車のもつ密室性が噂を発酵させるとすれば、その高速移動性は現代カー伝説にさらなる今日性をつけくわえる役割をはたす。伝統世界の住人にとって、山や川といった自然の境界に仕切られた異界との往来はさほどたやすいことではなかった。ところが自動車の高速移動性は、瞬時にして人々を異界へと運んでいってしまう。かつての妖怪が異界からのメッセンジャーだとすると、現代の自動車は即座に異界とつないでしまうタイムマシンと想定してもよいだろう。われわれは自動車という密室空間に入った瞬間、すでに異界に接する環境に居るのだといえよう。

1.事故と霊
 高速に移動すれば、当然事故も頻発するし事故死者もでる。となれば、事故と霊にまつわる噂が多いのはうなずけることである。事故多発地点には、かならずなにかが「でる」。

『#82-2事故多発地点での白い霊』
《おまけですが、当時、私の通っていた大学の演劇部によく顔を出していた、フリーターをしている演劇部OBの男性は、霊視能力を持っていると自分で言っていた。自動車を運転して、あるみつ辻にさしかかると、白いなにかが立っていて、おいでおいでするのが見えるらしい。そこは事故多発地点であるそうだ。》
 もうすこし生々しい体験談の報告もある。

『#146-1事故多発交差点で目撃!』
《ここは出合いがしらの激突がとても多い場所です。深夜では相当なスピードを出してぶつかるので、死者も多いのです。5年ほど前だったか、深夜4時頃あった事故は、4人乗ってたクルマの乗員全員がスピードのだしすぎで即死したのです。180k出ていたのでは?、という話です。花束がたえません。
 何しろ、救急車までが追突されて走れなくなり、かわりの救急車がリレーした、という、面白い事故まで起こりました。(3年ほど前?)
 わたしの友人は、深夜12時、バイトの帰りにそこを通ったのです。バイクでR127を下っていました。下り勾配なのでスピードが出ます。前を何台か乗用車が走っていました。
 事故の多い八重原の交差点に近付いてきた時、突然、横断歩道に人影が見え、あぶない!!と思った瞬間、なんとその人はクルマにはね飛ばされ、3m近く舞い上がり、マクドナルドの前の歩道に叩きつけられるように落下しました。
 ああぁ、なんてことだろう!!。
 そう思いながら現場に接近していき、歩道の方を見てゾーっとしました。死体が無いのです。確かに歩道に落下したのを見たのです。他のクルマも、何ごともなかったかのようにそこを通過します。自分もそのまま通過したのですが、ふるえだしたからだはどうしようもなく、寒気がするので次の信号を右に曲がった角に7ー11があるので、そこに入ったそうです。
 とにかく怖くて怖くて、人のそばにいたかったのだそうです。本を売ってるコーナーで立ち読みしている振りをしながら、なるべく店員のいる方へ、また、他のお客が来たら、なるべくちかくににじり寄る様にして、震えが止まるまで、そうしていたそうです。2時間くらい出れなかったといってました。》
 事故死者の幽霊がでるのとは逆に、もともとその土地にまつわる因縁があって、それで事故がおこりやすいという流れの噂も多い。

『#194-2北海道開発強制労働者の霊と事故』
《帯広の知人から聞いた話なのですが、近所の農家に夜な夜な出て、何故出るのかと問いただすと、道路際の農地の所を指し示すので、後日そこを掘ると、足枷をしたままの人骨が出たということでした。これは、北海道の幹線道路が開拓使による囚人の強制労働によって開かれた、という事情と関係があるようです。最近、頻繁に帯広周辺で発見されているそうです。
 そして、北海道で自動車事故が多発する原因として、この囚人労働のことが理由として噂されているようです。過酷な労働(足枷をし、鉄玉を付けたまま労働させたということです)によって死んだ強制労働の囚人の躯は、そのまま道端に放置されたということですし、脱走囚人も多くは死に果てたということです。》
 暗闇を高速で走っている場合などちょっとした錯覚もおこりやすく、それが幽霊を見たという話につながりやすいということも考えられる。その場所が特異な空間であればなおのこと噂になりやすいであろう。

『#104-1伊勢参道の幽霊』
三重県伊勢市内の、山田(外宮の周辺)と宇治(内宮周辺)を結ぶお伊勢参道(国道23号かそのバイパス?駅伝のコースになっているところです)は幽霊を見たという話が多い。
 「科学的」従兄の解釈では、沿道に等間隔でたっている石の灯籠が、ちょうど車のライトにあたって、幽霊みたような影を落とすからじゃないかとのこと…。》
 日本人にとって伊勢神宮というのが、特別な意味をもつ霊的空間であることはいうまでもない。それがさらに「内宮」と「外宮」とを結ぶ参道ともなると、なにやら先にのべた内と外の「境界」という観点とも結びついてくる。同様の境界性は峠やトンネルについてもいえよう。

『#99-4高速道トンネルの自転車』
《私の経験では,北陸自動車道で富山まで行き,その日の帰り7時ごろだったと思いますが,敦賀を抜けたトンネルの出口あたりに,どうしても,自転車がはしっているように見えてしかたのないことがありました。
 疲れからくる<離人症体験>であると思いこむことにしましたが,,,》
 バイク事故と霊の話もたくさんある。二輪車での走行では事故を身近に感じやすいであろうし、またちょっとしたミスが悲惨な事故にもつながりやすい。そういったバイクライダー仲間たちは独特の噂空間をつくっているようで、オリジナリティのあるライダー伝説が語りつがれる。

『#105-4バイク事故跡の路面から血が滲みでる』
《あとはまー、死亡事故現場でいつまでたっても路面の割れ目から血がにじみ出てきてそこを走るライダーを転倒させあの世にひきずりこもうとする、とかいうやつなんかもいろいろありますが、いずれも出典はわかりません。バイク雑誌で読んだやつかもしれないし、ライダー同士の宴会の席で出たネタかもしれないし、マスツーリング先での夜中、酔っ払っての百物語(というほどまともなものではない(=^_^;=))で出た話だったかもしれません(血がにじみ出てくるやつなんてのは単に雨の日にコケたやつが死者に責任をなすりつけようとしているのかもしらん(=^_^;=))。》
 つぎのものは、自分自身が事故跡の地縛霊にされてしまったライダーの体験談である。多少長くなるが、事故跡・錯覚・幽霊という噂発生の貴重な報告として引用しておこう。

『#86-1事故跡で地縛霊にされて』
《もう5年以上になります。地縛霊体験です。
 わたしの気分転換法はバイクです。よく出かけていました。いきつけの場所も決めてあり、手頃な走りやすいさと眺めの良さが気に入って、よく出かける場所がありました。千葉の君津の人口湖の近くです。
 郊外の峠道など、バイクが良く集まっている場所があるのを御存じの方も居るでしょう。
 つい、そうしてしまいやすい場所というのがあります。人間心理のがそうさせるのでしょうか。道路などでも、そんな場所があります。事故が多く、うわさがたえない場所なども、そんな風に見れば科学的なうらずけが取れるかもしれません。先日はニュースでも首都高の辰巳インターの近くなどが、見通しがよすぎるために注意散漫となり、追突が多いという分析を伝えていました。オシッコしようと思って車を止めたら、丁度おじぞうさんがあって罰が悪かったり、夜だとぞっとしたり……、なんてのも、昔からなぜか立ち止まって一息入れたくなるような場所なのでしょう。自殺の名所なんてのも、そこの死者全てがそれを知って場所を選んだのではないのでしょう。枝ぶりのいい松なんて、ぞっとしませんけども。
 いつものように一回り走った後、展望所で休んでいる別なバイク乗りと知り合いました。中学を出て鉄筋工事をして働いていると言う少年です。給料のほとんどをバイクのローンにあて、ウイークデーは終末を楽しみに、頑張るのです。以前から見かける子で、走るのがうまいなぁと思っていました。良く一人でやってきていたのです。引っ込み思案の彼に最初に声をかけたのが、自分だったわけです。住所を交換し、遊びにもいってあげたら、喜んでいました。人見知りが激しいようでしたが、なれれば人懐っこく、慕ってくれてかわいげのある子でした。
 ある日、事故が起こり、その子が即死してしまったのです。唯一連絡先を知っていたわたしが、親へ電話を入れました。
 現場は見通しの悪いカーブだったのですが、そこは外側が展望所になっているので、(そこを出入りするクルマが)曲がってみるとそこにクルマが止まっていたりして、時たま肝をひやしていました。似たような事故は時々あったのです。道路が欠陥構造で、現在は展望所が閉鎖されています。
 親しくなったその子とは、帰り際次にやってくる日時をお互い確認し、よく待合せをしていました。その日も、こっちから言い出して、やってきていたのです。前日近所でバイクの事故があり、それを目撃したせいで、しばらく乗るのをよそうといい出したのですが、気をつければ大丈夫だとはっぱをかけたのが悔やまれました。
 自分にも責任があるような気がして、葬式が終ると、事故現場に花束を供えに行ったのです。花屋で大きな束を作ってもらい、いつまでも枯れないように、大きな花瓶も買いました。風で倒れないよう、ガードレールの下に穴を堀り、花瓶を生け、針金で束を縛りました。途中で雪が降り出し、凍った土はなかなか掘れませんでした。肩に積もった雪を払いながら時計を見ると、深夜の12時を回っていました。
 それからと言うもの、毎日花瓶に水をさすため、通いました。「オバケでもなんでもいいから、また出てきて、いっしょに話をしようよ」という気になっていたのです。仕事が終ってからですから、暗くなっています。本人はそんな気でも、はたから見れば変だろうと思ったので、わざわざ11時くらいになるのを待って、寝る前に出かけることにしました。
 花が枯れるまでの1月、毎日通って分かったのですが、深月の日は、暗くてほんとに何も見えないのですね。
 カーブを走る時、ハンドルを切る数秒〜コンマ数秒手前で、先を見通すために、進行方向を一瞥します。クルマが前を向いていても、目線はカーブの方へ向くのです。
 わたしは、なぜか、目立つように考えて花束を生けたのです。夜そこを走っていますと、直線部分から花束がずっと見えていて、カーブで横へ視線をずらす時になっても、ライトに照らされた花束が気になるのです。一度、バイクが勢い良く走ってきて、わたしの方にもう接近したかと思うと、危なく転びそうになりながら通過していきました。よそ見運転でバランスをくずしたのでしょう。
 それがあってから、花瓶にやかんで水を入れるのは、クルマが通らない時を見計らってやるようにしました。クルマが通り過ぎるまで、花束やガードレールの裏に隠れ、じっと待ちます。だって、夜中に人がいるのは、誰だって、何してるのかな? って思うでしょう。
 それから面白いことに、バイクとクルマが連なって通過することが多くなりました。
 その後、「真相」と、「そのうわさ」が話されている場面に出くわしたのです。 昼間そこを通りかかった時に、自動販売機で缶コーヒーを買ったのです。バイクの少年が5人ほど固まって、立ち話をしていました。
 「俺よ、人影が動くのを見たぜ。花の裏で」
 「そうそう、近所のおじさんも見たって……」
 「○○なんかはオバケが出た時、そっちに引かれちゃって、コケそうになったんだってよ。それ以来スタンドの深夜勤務が終ってここを通る時は、クルマが来るのを待ってから、そのナンバープレートだけ見て走るんだよ。怖ぇ〜から」
 なんと、いつの間にかわたしはオバケになっていたようなのです。
 わたしが見た転びかかったバイクはその少年で、その先のガソリンスタンドで働いてたのです。わたしを見たその少年は、怖くて一人では通れないから、クルマの後を付いて走るのだそうです。早く帰りたい時に限って、10分待っても誰も通らない時もあるけど、それでもひたすら待つことにし、絶対一人では通らないのだそうです。
 少年が亡くなってしまった日は、一睡もできず、それからしばらくの間、何日も、まぶたを閉じると顔が浮かんできて、どうしようもありませんでした。そのころの自分は、怖いものなしの一種の異常な心理状態だったのかもしれないけど、亡くなってしまった少年への思いが吹っ切れてしまった今、さすがに夜中、一人で郊外の山道を歩く勇気はないですね。今思うと、駐車場に車を止めると、やかんを取り出し、少し離れたところにあるトイレで水を汲んでいたのですが、よくもそんな無気味なことを続けたものです。
 その後もしばらく「オバケを目撃した話」「花束に引かれた話」は耳にしました。黙って聞くばかりで、「あれは俺だった」「気をとられてよそ見運転は危ない」などとは、言い出せませんでしたね。》