【丑の刻参り】

【丑の刻参り】
 


 「丑の刻参り」は、丑時詣・丑参り・丑三参りとも呼ばれ、丑の刻(午前1時〜午前3時ごろ)に神社の御神木に、憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種である。嫉妬に狂った女性が、白衣に扮し頭にかぶった鉄輪に蝋燭を突き立てた姿で行うというのが、典型的なイメージであったりする。

 「丑の刻(時)」とは、現在の午前1時〜3時の二時間の幅をもつ時間帯のことで、「草木も眠る丑三つ時」とは、その二時間を4等分した三つ目、つまり2時〜2時半のあたりを指す。いづれにせよ、電灯もない当時としては、まさに真っ暗闇の深夜をイメージさせる。

 
 七日間連夜でこの詣でを行うと満願となり、呪った相手が死ぬとされるが、その行為を他人に見られると失効するという。京都洛北にある「貴船神社」が、「丑の刻参り」ゆかりの場所として有名である。現在では半ば都市伝説として語られるが、今でも貴船神社の裏山には、古木に打ち付けられた呪の藁人形が見られるという噂もある。

 

 「貴船神社」については、かつて記した「叡電都市伝説の旅5/貴舟口編」から引用する。

《(貴船口では)夏場には、貴舟川の清流に川床が設けられて、流し素麺や川魚の天ぷらなどが味わえます。鴨川の川床とちがって、こちらは自然の冷気と蝉しぐれに囲まれて、エアコンのない時代には天国でした。

 一方、山上の貴舟神社に向かうと、そこはまさしく異界の空気がただよっています。そして、あの「丑の刻参り」が今でも行われているとのことで、裏山には木に打ち付けた呪の藁人形も見られるとか》

 

 さらにネットで探索すると、「呪いの藁人形セット」なるものの通信販売もあるようで、「呪い代行」のサービスも承っているとか(笑)
http://www.urami.net/syouhin.htm
 

 そして、怨念のこもった怖い歌を歌い続ける女性シンガー「山崎ハコ」の、「呪い」という曲を見つけた。「コーン、コーン、コーン、コーン、釘を刺す。わらの人形、釘を刺す♪」 まさに丑の刻参りの怨念の曲だ。
https://www.youtube.com/watch?v=weLA22wlSq4

 これも、その時に書いたトピックスからの引用。

《「山崎ハコ/呪い」 こわ〜い歌の動画背景が、「大徳寺高桐院の参道」なのを発見!(笑)

 ここ高桐院は、細川家の菩提寺で、細川忠興(三斎)と非業の死を遂げた細川ガラシャ夫人の墓塔がある。森鴎外の著作「興津弥五右衛門の遺書」で有名な興津弥五右衛門の墓や、歌舞伎の発祥ともいわれる出雲阿国の墓などもある(こちらは非公開)。秋の紅葉が有名だが、参道の光景は四季折々で姿を楽しませてくれる。》

 

 大徳寺高桐院も、幾つもの歴史的エピソードにかかわる塔頭であり、モミジの庭や境内の竹が美しい。シンプルな竹垣と石畳で導かれる参道は、四季折々の姿を見せ、ここを歩くだけで楽しめる。しかしそれはそれとして、さすがにこの「呪い」の曲の背景動画には、貴船神社だろう、という突っ込み気分でもあった。

 ちなみに、高桐院には、裏山もないし呪いの人形を打ち付ける大木もない。また、本筋の貴船神社も、夜は閉鎖されているので「丑の刻」に参るわけにもいかないと思われる、念の為。

(追補)
 古来、人形(ひとがた)とは、形代(かたしろ)とも呼ばれ、単なるモノではなく、人の霊を宿すものと考えられている。そこで、流し雛のように、身の穢れを雛人形に託して、水に流して清めるという風に、人の代理として使われる。

 丑の刻参りの藁人形にも、当然そのような役割が担わされている。丑の刻参りの源流は、日本書紀にまで遡れるようだが、今のような様式は江戸時代に完成したと言われる。

 そのひな形は「宇治の橋姫」にみられる。源氏物語宇治十帖に「橋姫」の巻があるが、ここではまだ穏やかな物語であって、嫉妬に狂う鬼としての橋姫が現われるのは「平家物語」あたりから。

宇治の橋姫> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB#%E5%AE%87%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%A9%8B%E5%A7%AB