【アメリカの歴史】19.バラク・オバマ民主党政権の8年(2009-2017)

アメリカの歴史】19.バラク・オバマ民主党政権の2期8年(2009-2017)

 

 バラク・オバマ(バラクフセインオバマ2世)は、ケニア生まれの留学生の父親と、白人系の母親との間で、ハワイ州ホノルルで誕生した。ハーバード・ロー・スクール卒業後、公民権を擁護する人権は弁護士となり、その後イリノイ州議会上院議員として政界に進出する。

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 2008年の大統領選では、当初泡沫候補視されていたが、急激に頭角をあらわし、ヒラリー・クリントンとの接戦の末に民主党の大統領候補に指名された。その勢いで、共和党候補のジョン・マケインを抑えて当選し、2009年1月ジョー・バイデン副大統領と共に第44代アメリカ合衆国大統領に就任した。

 

 オバマは初の非白人の大統領であり、初のアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領となった。ただしオバマの父親は、アフリカのケニアから来たエリート留学生であり、アメリカ建国以来アフリカから輸入された黒人奴隷に直接の出自をもつものではない。

 

 オバマは大統領予備選のころから、"Change!"というキーワードを提示し、聴衆の前で ”yes we can!” と呼びかける演説で人気を獲得してきた。そして2009年1月には、全米からワシントンD.C.に集まった200万人を超える観衆の前で、大統領就任演説をおこなった。ベトナム戦争以降、数代の大統領の失政で自信を喪失した国民に対して、「米国再生」を確信させる力強い名演説を展開した。

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 オバマは就任して最初の2年間に、それまで持ち越されてきた課題を解決すべく、多くの画期的な法案に署名して法律を成立させた。「医療保険制度改革(オバマケア)」、「税制救済・失業保険再承認・雇用創出法」などは、病人・失業者など弱者に対する救済の手を差し伸べる法案として期待された。

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 また外交政策では、泥沼化したアフガニスタン紛争での処理、混乱の極みに陥ったイラク戦争後のイラク、などに対処し、リビアではカダフィ政権を打倒し、アルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディンに死をもたらすなど、軍事アクションも示した。

 

 オバマ予備選挙でライバルとして闘ったヒラリー・ロダム・クリントン国務長官(外務大臣に相当)に起用した。ヒラリーは外交・経済・軍事・政治・法律・文化を状況に応じて組み合わせ、その場に適切で正しい手段を用いる「スマート・パワー」提唱したが、このオバマ&ヒラリーの外交は「現実主義の一形態」と規定され、イデオロギーに拘らない現実的な外交を展開するものとされた。

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 オバマ大統領は、米中関係は21世紀の運命を決める世界で最も重要な二国間関係であるとしたが、一方で中国の人権問題は許されるべきでないと述べた。しかし、この硬軟併せ持った方針は現実的で融和的な政策ではあったが、一旦有事となると具体的なアクションを起せない現実是認外交とも見られた。

 

 その弱点を露呈させたのは、「戦略的忍耐」という北朝鮮政策にみられる。2009年1月オバマの大統領就任間もなく、北朝鮮は再びミサイルの発射テストを始めたため、オバマ政権は北朝鮮の挑発的な行動に対し警告した。この時期、北朝鮮金正日書記の健康不安が進行し、核開発の実績つくりを急いでいたとみられる。

 

 2012年に金正恩体制に代わって、核実験の中断と国際原子力機関査察に合意するなど、対話姿勢を見せながらも、すぐに長距離ミサイルを発射して米朝合意を破るなど、オバマの対応を翻弄した。結局このようなオバマ政権の戦略的忍耐政策は、北朝鮮の核開発、ミサイル開発を促進してしまったとされる。

 

 オバマは、2012年アメリカ合衆国大統領選挙にも再選を賭けて出馬し、共和党候補者のミット・ロムニーと激しい選挙戦を展開したが、接戦の末に勝利を収め、アメリカ大統領に再選された。2期目のオバマ大統領は、外交実績を作るために積極的に動いた。

 

 2013年9月にイランのハサン・ロウハーニー大統領と電話で会談し、イラン革命後初めてのアメリカ合衆国・イラン両国首脳の接触となり、やがてイランの核兵器開発を大幅に制限する「イラン核合意」を成立させた。

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 また2014年12月、オバマキューバ国家評議会議長ラウル・カストロと国交正常化交渉の開始を発表し「キューバの雪解け」を演出し、2015年7月にアメリカとキューバ相互に大使館が再び開設され、1961年に断交して以来54年ぶりに国交を回復させた。

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 しかしこれらの合意は、オバマ政権の末期に当たってレジェンド造りを急いだ感が否めず、次のトランプ大統領が就任すると、中身が未成熟であるとしてことごとくひっくり返されている。