【9th Century Chronicle 841-860年】

【9th Century Chronicle 841-860年】

 

承和の変藤原北家良房

*842.7.17/ 伴健岑橘逸勢らが、謀反のかどで逮捕される(承和の変)。

*857.2.19/ 藤原北家藤原良房太政大臣となる(人臣太政大臣の初め)。

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 弘仁14(823)年)、嵯峨天皇は弟の淳和天皇に譲位し、ついで皇位は嵯峨上皇の皇子の仁明天皇に引き継がれ、仁明天皇の皇太子には淳和上皇の皇子恒貞親王が立てられた。この間の20年、嵯峨上皇による家父長的支配のもとで政治は安定した。

 左大臣藤原北家冬嗣の次男良房は、弘仁14(823)年、嵯峨天皇の皇女であった源潔姫を降嫁される。藤原良房は、嵯峨上皇と皇太后の信任を得て台頭すると、良房の妹順子が仁明天皇中宮となり、その間に道康親王(後の文徳天皇)が生まれた。

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 実力者良房が道康親王皇位継承を望むようになると、淳和上皇恒貞親王は、皇位争いを避けようと皇太子の辞退を申し入れたが、嵯峨上皇に慰留される。承和7(840)年淳和上皇崩御し、2年後の承和9(842)年には嵯峨上皇も重い病に伏した。

 皇太子に仕える春宮坊帯刀舎人伴健岑とその盟友但馬権守橘逸勢は、皇太子恒貞親王の身に危機が迫っていると察し、皇太子を東国へ移すことを画策、その計画を阿保親王平城天皇の皇子)に相談した。阿保親王はこれに与せず皇太后に上告し、企ては中納言良房からさらに仁明天皇へと伝えられた。

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 承和9(842)年7月15日、嵯峨上皇崩御。その2日後の17日、仁明天皇伴健岑橘逸勢らを逮捕し、京に厳戒態勢をしいた。皇太子は直ちに辞表を天皇に奉り、罪はないものとして一旦は慰留されが、23日になり、左近衛少将藤原良相(良房の弟)が皇太子の座所を包囲、皇太子の関係者ら捕らえ、仁明天皇は詔を発して伴健岑橘逸勢らを謀反人と断じた(承和の変)。

 恒貞親王は皇太子を廃され、伴健岑隠岐へ、三筆の一人といわれた橘逸勢は伊豆に流罪(護送途中、遠江国板築にて没)となり、ほかの恒貞親王に近い者たちも多くが処罰された。事件後、藤原良房は大納言に昇進し、良房の甥にあたる道康親王が皇太子に立てられた。

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 事件とその事後処理に、藤原良房がどの程度関わったかは定かではない。ただし、良房の望んだ道康親王が皇太子に立てられるとともに、古くからの有力貴族であった伴氏(大伴氏)や橘氏に打撃を与え、また同じ藤原氏一族の競争相手であった藤原愛発や藤原吉野をも失脚させ、藤原北家の優勢を決定づけた。

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 嘉祥3(850)年道康親王が即位すると(文徳天皇)、良房は娘の明子を女御として入内させ、明子は第四皇子惟仁親王(のちの清和天皇)を生むと、僅か生後8カ月で立太子させる。斉衡4(857)年には従一位太政大臣に叙任される。

 良房には嗣子がなく、兄 長良の三男 基経を養子とした。また、長良の娘の高子を惟仁親王に嫁がせ、次代への布石も打った。高子は在原業平との恋愛で有名で、伊勢物語では二条の后として登場する。

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 天安2(858)年、文徳天皇崩御に伴い、良房は惟仁親王をわずか9歳で即位させる(清和天皇)。貞観8(866)年の「応天門の変」が起こると、清和天皇が良房に摂政宣下の詔を与え、これが人臣最初の摂政とされるが、事実上は清和天皇即位の時点から、太政大臣として摂政役を務めていたと考えられる。

 応天門の変では、大納言 伴善男が犯人とされて失脚し、連座した大伴氏・紀氏の勢力を宮中から駆逐され、さらに藤原良房の権力が強化され、藤原北家が宮中で独占的な立場を獲得してゆく。貞観14(872)年9月2日薨去。享年69。

 

(この時期の出来事)

*841.12.19/ 左大臣藤原緒嗣らが、続日本紀につぐ勅撰史書日本後紀」40巻を完成する。

*843.12.22/ 筑前の前国司文室宮田麻呂が、謀反の罪で伊豆に配流される。

*847.10.2/ 遣唐僧の円仁が、弟子と唐人を連れて帰国する。

*850.3.28/近江 左近衛少将良岑宗貞が出家し、六歌仙の一人「僧正遍照」となる。

*858.6.22/筑前 唐に渡った円珍が帰国する。

*859.8.-/山城 僧行教が宇佐八幡宮の分霊を祀り、石清水八幡宮を創祀する。

*859.9.3/近江 僧円珍園城寺三井寺)の再興供養をする。

*860.-.-/出羽 円仁が立石寺を開創すると伝えられる。