【書くこと話すこと】

【書くこと話すこと】

 

f:id:naniuji:20190429004811j:plain

 ランダムな写真10枚ほどを見せて、「これらから一枚の写真を選び、それについて1000字(2.5枚)程度の文章を書け」とかやったら、ヘタな入社面接より有効だと思う。

 さらに詳しくその人物の思考能力を調べるなら、「ネット検索可で3時間で、4000字(10枚)程度の文章を書け」とする。これなら大卒4年間をどのように過ごしてきたか、ほぼ判断できると思う。これでチェックすれば、実際の大卒者でも8割は落第となるはずだが。

 

 1000字で即興なら、一通り知ってることを並べて、「それはさておき・・・」として、後は勝手な意見などを言う。これはどんなテーマでも対応でき、入社試験などで、たった一度だけなら使える手だ(笑)
 作家なども使う手で、締め切りに迫られた雑文などで、発想が出て来ないとき、「なぜ書けないか」という理由だけで1000字程度なら書ける。ただし、この手を何度も使うと、二度と原稿依頼は来ないことになる(笑)

 

f:id:naniuji:20190429004911j:plain

 4000字ともなれば、いくら資料や辞書や時間も使い放題でも、それらの資料から必要事項をセレクトし、それを自身の論旨にそって展開する能力が必要で、日ごろから訓練してないと支離滅裂になる。
 学部卒論では100枚(4万字)以上が義務だったが、日ごろから遊んでたからとても書けなかった。結局、資料やら表やら引用文やら、切り貼りしてなんとか枚数だけ帳尻を合わせた(笑)

 

 そもそも日本では、ライティングとスピーチの訓練がまったくない。私の知ってる限りで、唯一作文指導は「せんせいあのね、と話しかけるように始めなさい」だった。しかしこの手は、中学生にもなれば、もう使えないだろうな(笑)
 小学低学年の時、作文がまったくの苦手だった。仕方なしに担任の女の先生に相談すると、「思っていることを素直に書きなさい」と言われた。しかし、「何も思ってない」ので、何も書けなかった(笑)

 

 スピーチとなると、人前で話すのは大の苦手で、学生時代には多数を前にしてスピーチしなければならない場面は極力避けていた。会社に入ると、さすがにそうはいかなくなって、朝礼担当で朝のひと言スピーチなどが回ってくる。
 ああいうのは、気合を入れて始めると息切れして続かない。マイクをにぎって、うつ向いてぼそぼそ話し出す。それを続けていると弾みがついてきて、乗ってくるといくらでも続くようになる。そのうち、うんうんと頷いてくれるひとのよい人物が一人ぐらいは見つかるので、その人に向けて話すようにすると、いくらでも続けられる。やがて、あいつに朝礼担当させるな、と言われるまでになったのであった(笑)

 

f:id:naniuji:20190429005003j:plain

 「思ったことを書きなさい」と言われたが、「何も思っていない」ので書けなかったというのは笑い話に過ぎないが、先生が言いたかったのは少し違う意味だったと思う。あれこれ頭の中でひねり出そうと考えずに、「見たり聞いたり体験したりしたことを書け」と理解すれば、納得できる。
 ファーブルの昆虫記を例に出すまでも、まずは「事実」だ、それをどう捉えてどう考えるか、それが文章というもので、頭の中だけでひねり出すものではないということだ。


 「頭の中に書きたいことがあって、それを文章に表現する」というのはとんでもない間違いだ。「書くという作業の中で、頭の中に文章が出来上がっていく」のである。
 それを事後的に振り返ると、先に頭の中にあって、それを文章化したと錯覚する。これは全くの錯視である。試しに、寝てる時に観た夢を文章にしてみよ、まったく形にならないはずだ。それは、夢には対象となる事実が無いからである。

 

 その後、小学生の私にも、先生の言わんとしたことが実現する機会が訪れた。あるとき、いつものように作文の時間に、困り切っていて、仕方なしに家で飼っている猫のことを書きだした。そうすると、いくらでも書き続けられる。そりゃあそうで、毎日家に帰ると、猫を相手に遊んでばかり、嫌でも猫のことを観察していたわけなのだから。
 その次の作文の時間も「猫のこと続き」とかにして、猫ばっかり書き続け、やがて、地域の作文集に掲載されるまでになったのであった(笑)

 

f:id:naniuji:20190429005043j:plain

 芥川龍之介宅に、あるファンが訪れて、先生みたいに「話すように書きたい」というと、芥川は「私は、書くように話したい」と答えたとか。
 実際、「思ったことを話し、話したことを書く」というのは逆で、「書いたように話し、話したように考える」というのが正しい。話したり書いたりするのが苦手な人は、実はこの理屈が分かってないのである。

 

f:id:naniuji:20190429005116j:plain

 「話すように書く」と思う人は、試しに、自分が人前で話したことを録音し、それを文字に起こしてみればよい。論理的に話したつもりでも、そのままでは読める文章には、なっていないはずである。
 同様に「思ったように話す」とする場合、思ったことを客体化できないので、代わりに夢に見たことを話してみればよい。浮かぶのはイメージだけで、他人に説明する言葉には出来ないはずである。このように、ひとは「書く、話す、思う」の先験性を逆順に認識している。