カール・マルクス 「経哲草稿」より

カール・マルクス 「経哲草稿」より


《 労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。彼の労働は自発的なものではなく、強いられたもの、強制労働である。したがって、労働は欲求を満足させるものではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための手段にすぎない。》
 

 日本人好みの「経哲草稿」での「労働疎外論」だ。「経哲草稿」が戦後になってから日本に紹介されて、「人間マルクス」としてインテリが飛びついた。同時期にブームになった「実存主義」と重ねて読んだのだろう。

 経哲草稿はマスクス初期の習作的なもので、マルクス自身は疎外論に深入りせず、物象化論に発展させていった。この段階ではヘーゲル疎外論を「労働」に持ち込んだだけで、さらにそれを「転倒(唯物論化)」させる必要があったからだ。
 

 しかしこの疎外論は、実存主義と同様に、なぜか日本人に極めて分かりやすい。ここには「本来の自分」「本来の人間」「本来の人間労働」という思考パターンが埋め込まれているからだ。

 それは仏教での仏性の考え方、即ち「人は本来、仏である」という思考と同形なのである。