メルロ・ポンティ『知覚の現象学』断章

メルロ・ポンティ『知覚の現象学』断章

《「語る」という現象において、話し手は語るに先立って考えるのではない。話す間に考えるのですら無い。語るということが考えることなのである。》
 

 現象学的思考の分かりやすい例である。先に「考えたこと」が有るのではなく「語ること」で、その内容が「存在」する。

 目の前にリンゴが客観的に存在するのではなく、「見る」という知覚が発生した瞬間に、リンゴが存在する。これが「志向的意識」の作用であり、「間主観性」という先見的能力の仕業である。
 

 文章を書き慣れていない人は、書く前に考えをまとめようとする。しかしそれは、夢の世界を描こうとするようなもので、いくら考えても形を結ばない。「書くこと」により「考え」が成立するのであり、「描く」ことで「夢の内容」が実在する。その逆の順序と思えるのは、知覚作用における倒錯である。
 

 これらのことは現象学だけでなく、ポストモダンとか現代思想と呼ばれる世界では常識であり、「歴史的倒錯」ってやつだ。たとえば、我々は遠近図法で描かれるような「客観的視点」で事物を眺めてると思われているが、これは「遠近透視図法」が発明されてから、そのように「見る」ようになったに過ぎない。

 北斎春画など、絶対に遠近図法で表現できない(笑) 遠近法が客観だと思い込んでいた西欧人が、浮世絵に驚愕したのは、遠近図法なき描画法だったのだ。