【西部邁が死ぬまで許せなかった「大衆社会の病理」】

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西部邁が死ぬまで許せなかった「大衆社会の病理」】
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 このようなタイトルで、東大での元同僚だった舛添要一が、西部邁への追悼記事を書いている。これは西部へのレクイエムとしては、適切なものだと思える。かつて、通り魔殺人事件などが頻発したことを受けて、新聞コラムで「大衆とは、もとより危険なものだ」と喝破した時の西部は、確かに切れ味鋭かった。

 西部のすぐれた点は、ここで舛添要一の指摘する通りだと思われる。その「大衆社会の病理」への舌鋒鋭い批評は、ポピュリズム、ひいては民主主義批判にまで及んだ。より広く言えば、モダニズム批判である。
 
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 それへの対抗軸を、西部は「個人の高潔」に求めたのだろう。保守主義的「伝統」と言っても、その起源をたどればあやふやなものでしかない。結局は、その伝統を維持しようとする個人の高潔に回帰するよりない。およそ、オバカ大衆が伝統を維持するわけがないのである。

 しかしながら、社会的基盤を持たない「高潔な個人」は、「自立した大衆」というフィクションに拠って立つ民主主義・ポピュリズムには勝てない。古くはプラトンの「哲人政治」と同様に、衆愚的独裁に席巻されざるを得ないのであって、その近代版がファシズムでありヒトラーナチスであった。
 

 個人の高潔を維持して東大教授を辞職、その後、朝生テレビの論客などで活躍したが、薄汚い酒飲みオヤジがうだうだクダまいてる図、を演じさせられた感が強い。最後に、その帳尻を合わせる自殺、という舛添氏の指摘は正しいのだろう。その舛添要一自身が、東京都知事として、公費で家族旅行や趣味の墨書用中国服購入など、「せこい個人主義」で、オバカ大衆の反乱を受けて辞任するという、オマケ付きであったが(笑)
 

 ニーチェが、オバカ大衆を扇動するキリスト教への対抗軸に立てたのが、古代ギリシャの「高潔な市民」だったが、そんなものは今や、有りもしない。西部も、それぐらいは分かっていただろうが、それしか無かったわけだ。そして、ニーチェヒトラーナチスに見事に利用され、西部は朝生テレビなどバラエティでトリックスターを演じることになった。

 西部、舛添ともに、東大教授・助教授というバックボーンのもとにあった時には、舌鋒鋭かった。それが、背景がなくなると、ただの酒飲みぐだぐだオヤジやせこすぎる個人主義都知事とかになってしまう、この皮肉は何んだろうか。結局、彼らが頼みにした「伝統」とは、実は、この程度の薄っぺらい権威付け装置に過ぎなかったのではないか。