【新入社員研修のことなど】

【新入社員研修のことなど】
 

 1973年4月資生堂に入社して、伊豆の山間にある立派な研修棟に缶詰されて、一週間の新入社員研修、こういう団体生活は大の苦手だった。

 研修はいろいろなメニューがあったが、気晴らしにと行われた山間ラリーみたいな研修で、事前に様々なツールが用意されて、各自必要とする好きなものをもってスタートするように指示された。

 私はもっとも軽そうな地図帳を持った。研修後の夕食時にインストラクターが講評を述べたが、山中では地形を把握するのが最も大事だと、それを選択した私が褒められた。単にいちばん楽そうだったから選んだだけなのに(笑)
 

 研修中、毎朝6時半になると、室内のスピーカーからこの曲が鳴り響く。ソフトなメロディだが、全員が起床して外の庭に揃うまで、徐々に大きな音になってゆき、やがて大音響となる。

 当初は仕方なく起きて、研修棟の庭でのラジオ体操に出ることになったが、慣れてくる研修の最終ごろになると、もう出るのをやめた。同室の新入社員が起こしてくれるが、もういいやとサボった。


 当時はこの曲を知らなかったが、後日になってから、S&Gのレパートリーにもある「コンドルは飛ぶ」という素敵な曲だと知った。
https://www.youtube.com/watch?v=eEfNRnKj9LI&list=RDnEDAvwj1QOE&index=10
 

 さすがに化粧品会社だけあって、起床ラッパのような無粋な音は使わなかったが、この曲が起きるまで大音響で鳴り響くのは、さすがにトラウマになった。

 ちなみに社歌はなぜかワルツだった(笑)。年に一度の創業記念日には、セミプロの声楽家でもあった二代目社長が吹き込んだテープに合わせて、社員斉唱することになっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=0pNg8TE3ZBc

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 CMコピーとかやりたかったけど、宣伝部は別枠入試での採用だと、入社してから知った(笑)。 新入社員研修で一緒になった宣伝部採用の奴が、入社試験で「小指で恋してみませんか」などいうコピーで採用されたとか、キザなことぬかしてた。結局、営業畑に出た時の最初の秋のキャンペインCMがこれだった。鬼才と呼ばれたCMディレクター「杉山登志」の作品で、「図書館」と通称される。杉山はこの年の暮、自殺する。
https://www.youtube.com/watch?v=pOnD3fTxphA
 


 このCMは、1973年秋のキャンペイン "『影も形も明るくなりましたね、』目" で流されたTVコマーシャルだった。ポスターでは山口小夜子が起用された。私はといえば、この時期に新米セールスマンとして百貨店担当になったところだった。

 右も左も分からないままウロウロしている間に、第一次オイルショックが始まった。石油製品が一斉に店頭から姿を消し、化粧品も例外ではなかった。担当百貨店のショーケースもガラガラで売るものが無く、営業成績もくそも無い状態となった。当然、コマーシャルなど意識している場合でなくなった。
 


 杉山登志NHKのドキュメンタリーでも取り上げられた。杉山が残した遺書には、次のようにつづられていた。
 

リッチでないのにリッチな世界など分かりません
ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません
夢がないのに 夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです

<1967〜73年杉山登志CM集>https://www.youtube.com/watch?v=1wtAfbQNwwA

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(追補2019.5.5)

 当時は、資生堂宣伝部とサントリー宣伝部が、各種広告賞を交互に受賞するような時代だった。両社の宣伝部はいわば治外法権で、一般社員では許されないノーネクタイ・カジュアルスタイルでヒゲ長髪、何でもOKだったとか。そういう自由な環境の中で、オリジナリティあふれるCMが制作されたのだろう。
 私の入社前後には、営業畑出身の宣伝部長が就任し、宣伝部を資生堂マーケティングの下に組込んだので、それ以降はサラリーマン宣伝部員が多くなって、以後、迫力あるCMが少なくなった。

 杉山登志資生堂宣伝部ではなく、フリーとして資生堂のCMを多く手掛けたが、当時の宣伝部にはデザイナーとして石岡瑛子アカデミー賞デザイン部門受賞)や中村誠・水野卓史・太田和彦など、コピー部門では犬山達四郎・小野田隆雄など錚々たるメンバーが在籍していた。「ほほ ほんのり染めて」や「春なのにコスモスみたい」は、私が入社直前のCMなのでよく憶えているが、小野田隆雄のコピーだったらしい。

 入社してから-宣伝部に移る途は無いのに気付いたが、百貨店担当のセルールス部員として、CMには関心を持ち続けていた。以後、私の新人時代にヒットしたCMコピーは、「ゆれる、まなざし」「時間よ止まれ、くちびるに」「ナツコの夏」などなど、多くが小野田隆雄によるものらしい。この時期の資生堂CMは、楽曲とのタイアップCMのハシリで、小椋佳矢沢永吉世良公則などの曲は軒並み大ヒットした。ただし、第一次オイルショック直後の不況時期で、売り上げにはまったく繋がらなかった(笑)

 やはりCMと宣伝効果がマッチしたのは、高度成長と前田美波里のダイナミックボディーがジャストマッチした資生堂サンオイルの時だろう。美波里のポスターが軒並み盗まれて、プレミアムがついた。

 わたし的には、新米セールスマンとして仕事がうまく行かずに鬱々としていた時期、ちょっとしたきっかけから面白いように仕事が進むようになった春先、春のキャンペインとしてこの曲が流れていた。「彼女はフレッシュジュース」とコピーとしては単純だか、この時のりりィのCMソングがヒットした。タイアップ曲ではなかったが、のちに「春早朝」としてシングルリリースされた。これがCMタイアップソングの先駆けとなった。
https://www.youtube.com/watch?v=nEDAvwj1QOE