08【20世紀の記憶 1906(M39)年】

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08【20世紀の記憶 1906(M39)年】(ref.20世紀の全記録)
 

〇この年の出来事

*2.10/英 戦艦「ドレッドノート」進水

 イギリス軍の世界最大の戦艦「ドレッドノート」が軍港ポーツマスで進水、世界に大艦巨砲時代の到来を告げた。ドレッドノートの出現により、日露戦争時に世界最強といわれた日本海軍の三笠、ロシア海軍のボロジノ型戦艦は一気に旧式化した。

 ドレッドノートの登場により「大艦巨砲主義」が幕を開けたとされ、これは太平洋戦争まで続く。列強各国は巨砲を装備した新鋭戦艦の建造競争を展開し、ドレッドノート級の戦艦を、日本ではドレッドノートのドに弩と当て字し「弩(ド)級戦艦」と呼んだ。さらに、英国海軍のオライオン級戦艦が進水すると「超弩級」という言葉が登場する。

 現在でも「超ド級の大ホームラン」などと使われるが、語源はこのドレッドノートにさかのぼる。太平洋戦争直前に建造された戦艦大和や武蔵は、世界最大を誇り「超々々弩級戦艦」などと呼ばれた。しかし皮肉にも、真珠湾攻撃で空母と艦載機による攻撃の有効性が証明され、米国はいち早く「空母機動部隊」による海戦戦法にシフトしてゆく。

 太平洋戦争で活躍の場を得られなかった大和型戦艦は、その終盤、もはや満足な艦隊も組めなくなった状態で出撃することになり、武蔵も大和も航空攻撃によって撃沈された。日本海軍の大艦巨砲が、米海軍の空母航空部隊の航空機に敗れる形で、大艦巨砲主義は終焉を迎えた。
 

*4.-/日本 夏目漱石が『坊っちゃん』を、俳句雑誌「ホトトギス」4月号で発表する。


 漱石は、前年より「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を連載中で、その好評に意を強くして、『倫敦塔』『坊つちやん』と立て続けに作品を発表する。夏目金之助漱石は東京帝大卒の超エリート英文学者として、ロンドン留学から帰国すると、一高や東大の英語教師の教壇に立った。

 しかし、彼は教師業にはさっぱり向いていない人物だったと思われる。東京帝大では、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の後任に迎えられるも、漱石の硬い講義は不評で、八雲留任運動が起こるなど順調にはいかなかった。また、当時の一高での受け持ちの生徒であった藤村操が、やる気のなさを漱石に叱責された数日後、華厳滝に入水自殺するという事件が起こる。こうした中で、漱石はロンドン以来の持病でもあった神経衰弱を再発する。

 妻鏡子とも別居するなど鬱々とした状況で、気ばらしがてらに書き出したのが『猫』だった。その好評で続編を書き、漱石は作家として身を立てることを決意すると、中編の痛快活劇『坊っちゃん』を一週間で書き上げる。「坊っちゃん」は、一種のピカレスク(悪漢小説)に分類されるが、「猫」や「倫敦塔」にはなかった漱石の表現の幅を広げる作品となった。
 

*4.18/米 明け方のサンフランシスコで大地震。死者訳1000人、家を失った人は30万人に達する。
 

 
*5.5/日本 「三八式歩兵銃」が登場。三八式歩兵銃は、第二次大戦終了まで、帝国陸軍の主戦兵器であった。
 
 
*10.22/仏 後期印象派の巨匠、ポール・セザンヌ逝く。

 
  
*12.14/独 ドイツ海軍に「灰色の狼」が産声。潜水艦「Uボート」第1号が就役する。
 

*12.24/米 クリスマスソングにのせて、最初のラジオ放送が成功。