02【20世紀の記憶 1900(M33)年-02】

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02【20世紀の記憶 1900(M33)年-02】
(このシリーズは『20世紀の全記録/講談社1987』を参考図書として記述する。以降「ref.20世紀の全記録」と略記)
 

 中学生の頃、『北京の55日 "55 Days at Peking" 1963』という大作映画が公開されたのを憶えている。当時は「義和団事件」など全く知らなかったが、何となく大変な事件だったのだと感じた。映画自体は見ていないが、予告編ではチャールトン・ヘストンデヴィッド・ニーヴンなどが登場する。それぞれ、出て来るだけでアメリカとイギリスを想定させる役者であった。
*TRAILER https://www.youtube.com/watch?v=mja-v2VSUo0

 それなら、日本の代表としては早川雪舟だろうと思ったが、なんと柴五郎中佐役で伊丹十三が出演している。映画では、チャールトン・ヘストン扮する米のマット・ルイス少佐が主役として描かれているが、実質的に寄集め軍の籠城作戦を指揮して、最も功績があったのは柴五郎中佐だったとされる。ただし映画では、ほぼ無視されている。
 


 史実に戻ると、当時、列強によるアジア・アフリカの分割は、ほぼ大枠は決まりつつあった。さらに、「眠れる獅子」と呼ばれた巨大な清朝中国も末期を迎えていて、英仏独などの列強がまさに「蚕食」する状態であった。そこへ遅ればせながらアメリカが加わり、日清戦争に勝った新興日本も顔を突っ込んで来ていた状況であった。

 「義和団の乱」は、その歴史的評価が未だ定まっているとは言えない。当事国中国では、欧米及び日本の帝国主義的侵略に対抗する民衆の愛国闘争という捉え方がされるが、欧米では、単に外国を排斥する民衆暴動の排外運動だとされることが多い。


 さらに「義和団」というものが分かりにくい。中国拳法の一派「義和拳」が基であるとされるが、その中国の「拳」というものが、日本のように武術の一つというだけではなく、ある種の宗教的結社的性格をもつことがあり、さらにその結社が政治的な主張と行動を伴なうことがある。

 欧米列強の力を背景として、キリスト教宣教師が布教活動を強めるという形で、清朝に浸透していったという状況に、義和拳が宗教的義憤から対抗していったという側面もある。西欧列強から見れば狂信的団体から見えたが、このような義憤的行動は、失業者や難民や匪賊を吸収しながら急速に拡大し、北京に乱入すると、東交民巷という外国公使館区域を包囲するに至った。

 それまで取り締まりの手をゆるめて様子を伺っていた清朝政府は、最高権力者であった西太后が列強に「宣戦布告」するに至って、清国軍とともに排外戦争を戦う「義和団」となった。北京入場の義和団20万に対し、東交民巷の籠城した外国公使館側の護衛兵などは500名足らずとされ、そのとき実質的リーダーとして活躍したのが柴五郎中佐であったという。

 義和団鎮圧のために列強八ヶ国は軍を派遣し、中でも最も多数の兵を投入したのは日本とロシアであった。二ヶ月を経て、北京は開城された結果、「北京議定書」によって清国は莫大な賠償金を背負うことになり、日露は中国における発言力を増すことになった。

 何とか北京を脱出した西太后も、1908年72歳で死去し、国力を大きく消耗した清王朝は、その死後3年あまりで辛亥革命によって滅亡する。