【美女と湖水00「流れる水と淀む水」】

 

『流れる水と淀む水』
《 流れる水は,物を運ぶ働きを持っています。日本の農村は,谷間である扇状地の中腹から上の方にかけて位置しているのが普通のようです。ちょうど,山にへばりつく形で農家が展開しているものが多いように感じます。(私がすんでいる地域に特有の事であるのかも知れませんが)


 としたら,流れてきた水が<淀み>かけるその境に,その淀みを見下ろすような形で家がたちならんでいて,<淀み>から,田圃に水を引くことになっていたのでしょう。つまり,一本の川を,下の1,2,3の繰り返しで利用していたのではないかということです。新田といわれるものがだんだん下流域に作られていくという形で展開しているのではないかと考えます。


\3
  \1 2
    ----          1,集落
       \3        2,淀み
         \1 2     3, 田
           ----

# この辺は,詳しい方に教えて頂かないと解らないのですが,平野の中に都市
#が展開するのは,比較的近年の事ではないのでしょうか。
# この仮定が正しいかどうかは全く自信がありません。参考書などを教えて
#いただきたいところです。

 その農村に山から運ばれてきたものが,<肥沃土>と,利用可能な淀みの水なわけで,農村はそれにたよって生活してきたわけです。このとき,<肥沃土>の所有者は問題となりません。山から流れてくるものは,誰の物でもなくたまたま堆積した土地の所有者のものとなります。桃太郎も,川を運ばれてきて第一発見者の所有物となるわけです。

 さて,上に述べた仮定が正しいものとすれば,<淀み=淵>は,<何かが流れてきて,そこに留まる>場所と定義できることになります。また,農村の生活からみると,そこは生活するための基盤であることになります。淀みがなくなることは,直ちに<水不足=飢饉>を意味するからです。また,下流の村からすると,上流の<淀み>は,水不足となる原因であるのは勿論ですが,豊かでありすぎれば洪水を引き起こすのですから自分たちの生活を脅かす<悪>ということになり,ここに,<淀み>に対する<2重価値>が生じてくることになります。善であり同時に悪であるものが,<淀み>なのではないでしょうか。

 とすれば,ここに潜むものが善神と悪神の<2重価値>をおわされるのも必然的なことです。<河童>は,淵に人を引きずりこむと同時に,律儀に妙薬を人々に与える存在ですし,<龍神>は,人に害を与える神であると同時に,雨をもたらしてくれる神でもあります。》
 

 この考察にある「流れる水と淀む水」という概念を念頭において、以下の水にちなんだ話題をながめていってみようとおもう。