【奇人・変人・怪人伝01「奇人・変人」】

 

 奇人と変人の境界は明瞭に区分しがたい。奇人のなかには体型の異様な人々もふくまれるであろうが、これは「人体変形」の部門でふれた「異形の人々」とほとんど重複してくる。怪人のように特別な悪さをするわけでもないのであるが、その特殊な躯つきが人々に噂をつむがせる要因になるのであろう。
 

 ここでは、いちおう普通のヒトでありながら異様な姿・行為の人々を取りあげてみよう。むかしの村々にも、知恵遅れのようなちょっと「変な人」はかなりたくさん存在したと想像される。しかし彼らは、村人たちに何処の何某と認知され、村人たちのあいだに組み込まれて生活していた。ところが現代の都市空間での「奇人・変人」たちは、大半の人には具体的な素性を知られておらず、街中でぎょっとするような形で出あわれる。
 

 どこのだれだかわからない、という点が前者との決定的な相違点であろう。前者はその行動様式がある程度知られていて、特別な不安や脅威を一般の村人に与えるものではなかった。ところが現代の奇人・変人たちは、その奇矯な姿行為から、いったい何をしでかすかわからないといった不安を人々にあたえる。まさに現代都市型の「奇人・変人」さんたちといえるであろう。
 

『変なオジサン』
《 o−MAY(幼稚園年少組)がときどき人を指差して「変なオジサンかな?」と言うので叱っていたのですが、彼女の話しによると近くの川の土手に変なオジサンが出るという話しが幼稚園に蔓延しているということでした。突然逆立ちをして、ニッと笑って「変なオジサン」と言うそうです(^^;)》
 

 「川の土手で逆立ちをしてニッと笑った」からといって、それが犯罪になるわけでもない。しかし親たちは、とっさに誘拐とか変質行為を連想して身がまえてしまうであろう。わけのわからない行為をする「変なオジサン」は、都会ではそのまま「こわいオジサン」に変身してしまうのである。
 


『騎馬像にまたがった高校生』
《 また、埼玉県熊谷市の駅前にある熊谷氏の騎馬像にまたがった熊谷高校生(県下では有名な進学校)がいて、警官が注意したところ「10円を入れてもうごかない、云々」と言ったとかいう話を聞いたことがあります。面白いのは、この話のあと、だから勉強のしすぎも考えものだ、という話が付くことです。》
 

 奇矯な行動→精神異常→なにをしでかすかわからない、このような連想が人々を不安にするのであろう。もちろん昔ながらに、町の人々に受けいれられている「奇人」さんもいる。
 


『街のイエス
《 このような「町の変わり者」はどこにでもいますが、郷里に「○○(地名)のイエス」と呼ばれていた人物がいました。彼はレゲエ・シンガーのような蓬髪で長身痩躯、まさにイエス・キリストのような風貌でした。定職についているようすもなく、よく町中をふらふらとさまよっていました。
 子供たちの間では、「若い頃は東大生だったのだが、(なにか悲しいできごと)のためにああなってしまったのだ」「母親がすべての面倒をみてあげている」と噂されていました。特に人に害をなすわけでもなく、非常におだやかな雰囲気をたたえた彼は、けっこう町の人気者なのでした。》
 

 人口流動の少ないせまい町などでは、このような認知のされかたも可能であろう。「街のイエス」といった命名には、自由に生活している彼への人々の羨望さえうかがえる。
 

 大都会でも、マスコミなどに報道されて有名になってしまう場合もある。
 


『新宿のタイガーマスク
《 「新宿のタイガーマスク」さん、ご存じの方も多いと思われますが、26日の午後3時頃、わたしはあの方の素顔を初めて見ました。

 いつもタイガーマスクをかぶり、十何枚ものスカーフをなびかせ、ラジカセを自転車に積んで新聞を配達されているあの方は、そのとき自転車の調子をみておられました。タイガーマスクは邪魔になるからか、頭の上にずり上げられ、真剣な表情で自転車のケアをなさっていたそのお顔は、実直そうな、水にさらした渥美清さんといった感じで、すこし青ざめていました。寒い日でしたので、心なしかとてもさびしそうでした。いつもアイドル系の曲をかけておられるように記憶しています(キャンディーズとか)が、いかがでしょうか。

 つねづね疑問に思っているのは、「彼は一人なのだろうか? それとも、彼らなのだろうか?」ということです。あの姿を見ているうちに、「自分もやってみたい」と思いつき、「一日やらせてくれませんか」と頼みこむビジネスマンが、一人や二人でなかったりして…あれは「タイガーマスクの会」なのかもしれないな…という妄想を抱いております。》
 

 彼の場合は新聞配達という目的行為がはっきりしているので、単に自己顕示性が強いだけで奇人の部類にははいらないかもしれない。やはり不安の源泉は、行為の目的が不明だという点にあろう。
 

『セーラー服おじさん』
《 新宿二丁目あるいは曙橋のコンビニでは、セーラー服のおじさんに会える。(4〜5年前、OLから)》

 

 とはいえ、さまざまな風俗が交錯する現代の大都会では、このような奇矯ないでたちでさえその風景のなかに塗りこめてられてしまう気配がある。尋常と異常のあいだは紙ひとえである。原宿や渋谷のカラフルな若者たちのあいだにドブネズミスタイルの中年サラリーマンがまぎれ込めば、こちらのほうが異常になってしまうだろう。このように都会では、いつでも価値が反転してしまうあやうさがはらまれている。
 


『シンデレラおばさん1』
《 もう、10年くらい前になりますが、横浜(関内、伊勢佐木町付近)でシンデレラおばさん[真っ白に顔を塗って、金髪の(日本人らしいが)おばさん(おねえさん?)が真っ白なドレスをきて、道をスーと歩いている]という噂をきいていました。

 それから、何週間かのあと、自分の目で「シンデレラおばさん」を目撃したのでした。田舎から出てきて間もなかった私は、そんな話しは嘘に決まっていると思っていたのですが、この噂を実際に目撃した時は、まるで、貴ノ浪のような、都会の懐の深さに感動したものでした。》
 

 たしかに「都会の懐の深さ」といえるかもしれない。そしてその裏面には、都会の孤独と不安もひそんでいる。ひきつづき「シンデレラおばさん」の報告。
 

『シンデレラおばさん2』
《 シンデレラおばさんは横浜県民ホール勤務?
 その話は、この週末に横浜で友人に会ったときに聞きました。県民ホールへダンスを見にいく前に会ったのですが、県民ホールにいったら「<赤い靴はいてた女の子>がそのままおばあさんになったような真っ白のおばさんがいるから。見たらすぐわかるから!」と言われたのです。
 切符のもぎりか場内案内の人なのかもしれませんが、町中でもときどき見かけていたといいます。その知人は、ここ数年は横浜にすんでいないはずなので、ずいぶん以前(10年以上前?)かもしれませんが、いまでもいるように話してくれました。気がつきませんでしたけど。
 だから、「赤い靴はいてる白いおばあさん」として記憶しています。わたしはお会いしていませんので、「都市伝説」だと思っています(^^)。》
 

『シンデレラおばさん3』
《 わたしもその話聞いた記憶があります。「シンデレラおばさん」という呼び方をされていたかどうかは忘れましたが、やはり全身フリフリのレースとリボン、ピンクの衣装をまとった超若作りのおば(あ)さんの話…。
 実物を見たわけではないですが、あまりにも鮮やかに視覚化されたためによく覚えています。誰から聞いたか忘れてしまったのですがとにかく女子大生(当時)で、そのころ横浜在住の友人が多かったので、あるいは横浜の情報かもしれません。「勤務先」は特定されず、「こんな人がいるんだよ!」という程度の話でした。でも、これに近い人ってけっこう見る気がするなぁ。》
 

 「シンデレラおばさん」とそっくりの噂で、「赤い服のメリーさん」という有名な伝説もある。白い服と赤い服のちがいだけで、ほとんど同じストーリーで語られている。彼女たちは、その奇抜な衣装で何かメッセージを発しようとしているのであろうか。なんらかのコミュニケーションをもとめているのか、それとも積極的にそれを拒否する意思表示なのか。
 

 考えてみれば、都会の雑踏のなかでなんのコミュニケーションもなしで行き交っているのは異常なことである。煩雑なコミュニケーションを避けたいという気持ちと、できるだけ親密な会話を交わしたいという錯綜した気持ちを秘めながら、われわれは能面のような顔つきで街を行く。大都会の孤独感とは、このような二面性をはらんだ感情からきているのであろう。
 

 メッセージとは、その受け手がいてはじめて完結する。受け手のない都会の真ん中で突如メッセージを発すれば、まわりが凍りつくだけだとわれわれは知っている。だれもがそのように了解して、満員電車で肉体がぶつかりあっていてもじっと沈黙をまもっている。だからといって、それをしていけないという謂われはない。現代社会の暗黙の禁忌とでもいえようか。
 

 そして、その「禁忌」を平気でやぶる「頼もしい人々」もたくさん存在しているのである。現代の奇人・変人さんたちのオンパレードをみてみよう。
 

『バレエおばさん』
《 以前電車通勤をしていたとき、地下鉄有楽町線飯田橋駅で何度も見かけたおばさんの噂です。彼女は見たところ平凡な中年婦人ですが、通勤時間に駅の構内で、歌ったり、バレエのように踊ったり、何かと奇矯な行動をとって人目をひいていました。噂によると、彼女の仕事は家政婦で、神楽坂の裏手にある某地主の邸宅に通いで勤務しているとか。彼女の行動の原因は、息子を亡くしたことによる心の病だ、という噂も聞きました。どちらも事実かどうかはわかりません。》
 

『勲章おじさん』
《 池袋のサンシャインシティーで10年近く前よく見かけた人物に関しては、先日の「GON!第三号」(ミリオン出版)に記事を発見しましたが、この記事も彼のプロフィールを尋ねる形だったので定かではありません。少し欧米人的な顔かたちなのですが、いつも軍服(日本のものではない?)を身につけ、帽子や上着にさまざまな徽章をじゃらじゃらと飾り、ぼんやりと座っているのでした。わたしは、大友克洋の「童夢」に出てくる老人は、彼がモデルなのではないかと思っています。彼に関する噂をどなたかご存じありませんか?》
 

ウォークマンおじさん』
《 “ウォークマンおじさん”の話です。6〜7年前、東京の日本橋本町の得意先によく通っていました。銀座線・三越前から歩いていくその道すがら、一緒にいた同僚の女性がある日、「ねえ、ウォークマンおじさんって知ってる?」「……なんだそりゃ?」「あ、ほら、いるいる!あそこ」。昭和通りを渡る横断歩道の横。上を走る首都高速の橋桁が、大通りを道の中央で分かつその空間に、おじさんはいました。

 くたびれたズボンに、上はランニングシャツ一枚。頭を職人みたいに手拭いで被って、腰にはウォークマン。もちろんヘッドフォンを着けて、(たぶん)音楽に合わせて両手のマラカスを振っています。小柄な中年のおじさんは結構有名らしく、「こないだもテレビで紹介されてた」とか。傍らにはスーパーカブ(原付バイク)がとめてあり、毎日そのバイクで“出勤”して来ては、日がなウォークマンに合わせてマラカスをシェイクしているのだそうな。でも、その目的や動機については事情通の彼女も「さあ?」でした。

 とっくに忘れていたのを、ゆきこさんの「奇人」報告で思い出したのですが、特に楽しい風にも見えず、放心したようにマラカスを振る表情がなぜか印象的で、どうしているかな?、元気かな?とか思ってしまいます。どなたかおじさんの消息をご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。》
 

*『現代伝説考(全)』はこちらから読めます
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/txt_den/densetu1.htm