【食の怪04「食事行為」】

 

 食習慣は文化風土によってさまざまである。場所が変われば食べるものも変わるし、調理法・食事作法などもいろいろ違ってくる。特に外国ともなれば、自分たちと大幅に異なる食習慣が笑い話の素材になりやすい。すでに紹介したなかにも、犬を食べる食文化を揶揄した「香港で食べられてしまったペット犬」の話、豚食が禁忌になっているイスラム圏が話題の「インドネシアのラード混入事件」といった話題があった。なかでも、豊かな食文化をほこる中国人の食生活は恰好の噂ネタでもある。
 


『「四つ足」なんでも食べる中国人』
《 中国ではあらゆる動物は調理の対象になるらしく、わたしはこれまで何回か中国にゆくたびにネコやらサルやら、いろんなものを食べました。足が4本あるものなら、なんでも食べる、とあまり宣伝するものですから、1984年、香港にいたときには外国人がそれをからかい、それならテ−ブルも食べるか?と新聞に投書したら、香港大学の学生が木製のテ−ブルにカンナをかけて、ちゃんとぜんぶ平らげてしまいました。(スチールでなくてさいわいでした)繊維はじゅうぶんに補給できたにちがいありません。》
 

 国内でも、伝統的な食習慣にはいろいろなバリエーションがある。うどん・蕎麦論争をまつまでもなく、とりわけ関西と関東の食べ物の対比は話題になりやすい。こと食文化に関しては圧倒的な先進性をほこる関西と、後発ながら政治文化の中心となった関東地域は、おたがいのやっかみもからんで食論争を展開する。歴史的な食文化の違いは、現在でもさまざまな方面に残されている。
 


『肉食と関西人』
《 「肉問題」がひとつの話題になりましたが、江戸時代の随筆『翁草』によりますと、日本で牛肉をはじめて食用に供したのは京都であるらしく当時はその肉のことを「わか」と呼んでいたようであります。もちろん、語源はポルトガル語。したがって上敬さんのおはなしをはじめ、肉にかかわる話が関西にかたよるのもおもしろく拝見しました。(ちなみに関西人は関東人の3倍牛肉を消費しています)また、このごろ、肉があれやこれやの加工食品になっているので、一連の食肉怪談がうまれるのでしょう。》
 

 食風土の違いばかりでなく、特異な食行動も話題の材料となる。これまでにでた「就職試験でマヨネーズ一気呑み」する学生や「お相撲さんの異常な食欲」なども、この特異な食行動にはいるであろう。つぎのような変人さんの食行動もある。
 

『スーパーでの買い喰い変人1』
《(*1)某スーパーマーケットでパンとか買って、それを食べながら「×××だ!」「なにぃ!」、云々、劇画調に意味不明の台詞を発してスーパー内をうろつき食べ物がなくなるとまた何か買って同様の事を1日繰り返すナゾの人物。》
 

『スーパーでの買い喰い変人2』
《(*2)上とはまた別の某スーパーマーケットで豆腐のパック1個だけを買い求め、同店内の軽食コーナーのテーブルで備え付けの醤油と七味を掛け、同じく備え付けの割箸でうれしそうに(豆腐だけ)食べるのを繰り返すナゾの人物。》
 

 食事中にグロテスクな話題がでると食欲が減退してしまうのは、おうおうにして経験することである。
 


『死体の胃をすくったレンゲで』
《 同一人物に聞いた話。司法解剖の時、胃の内容物を調べるが、中身を採取するのに吸引したり、金属性の道具ですくったりだと、胃酸で腐食したり胃壁に傷をつけたりする。そこで使っているのは、陶性のレンゲである。
 マーボー豆腐を食べている時に聞いた。》
 

 食事とは、基本的には動物の栄養摂取行為であるにすぎない。食行為は生殖・排泄行為とならんで、人間のもっとも動物的な要素が露呈してくる場面である。となれば食事行動は、本来グロテスクな要素から免れえないものである。獣の内臓をむさぼる肉食獣の姿はグロテスクであろうが、われわれの食生活の本質はそれと一向に変わりのないものであろう。
 


 蓄積された食文化にのっとって調理され様式化された食卓の光景は、そのような生々しさを忘れさせてくれている。食欲という原初的な肉体の快楽は、様式化された食文化によって人間の精神の快楽にまで演出され高められている。しかしながら上記のような死体の内臓を思いおこさせる話題ひとつで、グロテスクさが表面化してしまうのである。「文化」とは、人間の動物性に着せかけられたひとつの「衣装」にすぎないのであろうか。
 

*『現代伝説考(全)』はこちらから読めます
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/txt_den/densetu1.htm